最先端研究で導き出された「考えすぎない」人の考え方
堀田秀吾
サンクチュアリ出版
だいたい、読書好きでこんなブログを長々やっているくらいだから「考えすぎる」クチである。家人にもよく言われる。
「考えすぎ」は必ずしも良い結果につながらない。考えすぎているときは考察の対象が厄介ごとや面倒くさい類のものであることがほとんどだし、思考がぐるぐるして寝つけなくなったり、自家中毒みたいに隘路にはまって他のことに手がつかなくなってしまうこともある。身に染みてわかっているのだが、この「考えすぎ」は性分としかいいようがない。
「悩まずにはいられない人 」という本によると、「悩んでいる人は悩みたいから悩んでいる」そうだ。悩んで立ち止まっているほうが事態を前に進めるよりも精神的に楽だからだ。
これに準えれば「考えすぎの人は考えたままでいたいから考えすぎている」と言えるだろう。
そうではなくて、考えるのはほどほどにしてちゃっちゃと決断しなさい。その決断の内容がのるものかそるものかは、結果論からみれば実は大事ではない。自分が味わうことになる幸福感(Well-being)としての結果はその決断内容がどういうものであれ、考えすぎて決断を先延ばしにしておくよりももずっと高いというのが統計的に証明されている。本書の「最先端研究」によるとそうなのだそうである。
また、とにかく先に「行動」、つまり、えいやで手をつけちゃったほうがその先にいろいろ考えるべき判断があるにしても最善に近い結果に着地しやすいとも本書では示されている。早起きにしろ雑事の片付けにろ気が進まない他人への連絡にしろ先延ばしにいいことはない。ひところ流行ったアドラー心理学では、人は考えてから行動するのではなくて、まず行動してからそこに考えがあてはまっていくと唱えられている。だから、行動しないでぐちゃぐちゃ考えるというのは、「考えること」そのものが行動になりさがってしまい、その「考え」に「考え」当てはまることになってずるずると自家中毒のようになっていく、ということだろう。
ということは、いちばんハードルが高いのは「行動」の最初の一歩である。重たい石の車輪をごろっと一回転させるごとく、ここの気力が大事なのである。フットワークが軽い人はこの最初の一歩にためらいがない人だ。
僕だってもちろんそんなことはわかっているのだ。それでいて考え過ぎちゃうのだから始末に悪い。むしろ大事なアジェンダは「どうすれば考えすぎずに行動にうつせるか」である。本書によれば
①情報を過多にとらない。
②メリットデメリットで考えない。
③「損しないためには」という発想で考えない。
④第3者視点で見つめてみる。
⑤なにか夢中できるものに気をそらす。
⑥文字にして書き出す
を挙げている。なるほど、あらためて解説されると思い当たることばかりだ。
①情報を過多にとらない。
行動経済学でもよく言われているが、選択肢が増えると人は判断できなくなる。目の前に3つしか商品がなければ自分が買うべきものはすぐに選べるが、10個並んでいるとどれが最善の選択だかわからなくなる。これは様々な角度からの情報が増えて優先順位が作れなくなるからだ。昨今はとにかく情報が多い。しかもスマホでいちど調べたり注目したりしたニュースや情報については、レコメンド技術によって次々と類似情報が目に入るようになった。もちろんその中には相矛盾するものだって含まれている。判断の材料としては迷うものが増えていってどうしていいかわからなくなる。
したがって、少ない情報のほうでとどめ、後はシャットアウトしたほうがむしろ行動には出やすくなるということだ。先に言うように、行動をしてみた結果がなんであれ、行動をせずに感じる結果よりは幸福感満足感は高いのだから、意図的に情報は少なくしておくというのは確かにありなのだろう。
②メリットデメリットで考えない。
ぼくはあまりメリデメで検証するようなことはしないのだけれど、ぼくの周囲にはこのタイプがいる。しかしこれもいい判断結果を導かない。なぜかというとメリットよりもデメリットのほうを人は過剰反応するからだ。これも行動経済学で有名な指摘である。「結婚はすべきか」なんて問いをメリデメで考えるなんてのはあるあるだが、どうしたってデメリットのほうが多く挙がるし、深刻に見える。そうすると「やらない(つまり行動しない)」というジャッジになりやすい。メリデメ論に陥ったら思考のトラップだと思ったほうがいい。
③「損しないためには」という発想で考えない。
これは、致命的な判断ミスにつながるリスクがあるからだ。「損」に対してのインパクト評価を人は実情以上にとってしまうので、それをカバーしようとしてとんでもないことをする。本書ではギャンブルで損した分を取り戻そうとありえないな大穴狙いをしてしまう話を挙げているが、出銭に関することだけでなく、いわゆる不祥事の隠蔽や粉飾行為もこれに当たると思う。怒られたくないあまりに嘘を嘘で固めたり、「クライシスマネジメントの本質 本質行動学による3・11大川小学校事故の研究 」のように、形だけの整合性をとって面倒を背負うことから回避している間に中身が破滅的なことになっていく例は枚挙にいとまがない。
④第3者視点で見つめてみる。
いわゆる「離見の見」というやつ。自分のことというのは冷静に見れないものである。他人が同じ状況に陥ってたら、案外に自分はその人に冷静にアドバイスをしたり、論点がどこかがはっきりわかったりするだろう。よく自称を自分の苗字や名前で話す人(女性に多い)がいるが、あの自分自身を遠巻き感覚でみる感受性は、ライフハックの一つかもしれない。
⑤なにか夢中できるものに気をそらす。
当座の考察はいったん脇においといて趣味でもスポーツでも他のことに頭を全振りすると、気分もよくなるし、脳の回路もほどけて考察の対象がシンプルになるということ。「アイデアの出し方」にも似たような話がある。脳生理学的に有効なのだろう。園芸が心身によいというのも(「庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭 」参照)同じ観点かもしれない。強制的にぼーっとしてみるのも有効とのこと。いわゆるマインドフルネスだな。
⑥文字にして書き出す。
頭の中のぐるぐるは手を使って文字に書き出すといい。ジャーナリングとも言う。これもよく知られたライフハックだが、スマホのメモ帳などを使うのではなくて実際に手に筆記具を持って書くところがポイントのようである。前頭葉が動くことで、ぐるぐるを司っていた大脳辺縁系の動きがおさまるそうな。要するに「考えすぎる」脳の運動をそもそも止めてしまう効果がある。
本書のサブタイトルは「最先端研究で導き出された」だ。とは言え「考えすぎ」は情報過多時代の現代病かというとそうではなく、昔の人はこういうのを「下手な考え休みに似たり」「案ずるより産むが安し」と言っていたわけである。昔から人間の性としては知られた習性なのだが、だから考えすぎることに対してどうすればいい塩梅に落ち着くのかは永遠の問いなのかもしれない。さらに最々先端の研究結果求む。