ちょっとここのところ公私ともにスランプ気味であり、なにか脱出の糸口探していろいろ読んでいた。下記にあげるのは、最近読んだものの整理がつかず、あるいは文章が伸びなかったものの複数覚書である。
行動傾向分析で磨く 個性を活かすリーダーのコミュニケーション
余語まりあ
同文館出版
「聞き手側が会話の主導権を握っている」というこの一文を得たことが最大の収穫だった。会議や1on1でやたらに話す人がいるが、その場の主導権をとっているようで実はとられやすいふるまいなのである。1on1指南本やリーダーシップ本では「傾聴」が薦められているが、ただ話を聴いているだけではなくて実は相手に話させながら全体の誘導はこちらがコントロールするのだ、となった瞬間に権謀術数本になる。「鬼谷子」とかそうだな。
社会という「戦場」では意識低い系が生き残る
ぱやぱやくん
朝日新聞出版
本書のテイストは、大学を卒業して社会に出たらいろいろ面食らったり疲れちゃったりした20代むけか、といったところだが「社会で起こるたいていのことは「茶番」である」という指摘は本当にそうだと思う。会社の上司や役員、取引先からカスタマーまで言っていることのほとんどはポジショントークなのであって、その閉ざされたコミュニティの中でだけで通用する理屈でしかない。こういう本の出版元が朝日新聞出版というのがちょっと面白い。
クララとお日さま(ネタバレ)
カズオ・イシグロ
早川書房
もはやAIの進展はチューリングテストを突破しそうな勢いであるが、真の意味でAIに人間への共感がプログラムされるとどうなるだろうか。この小説のAIアンドロイドであるクララは、HAL9000なんかと違って自分の生存よりクライアントである人間の生存を常に優先する。では人間にとってそういう安心なAIが仲間になったとき、果たして人間は何をどう考えるか。この思考実験も本書のテーマの一つだろう。人間とAIの友情ものというにはあまりにも切ない結末。この虚無感はベイマックスも及ばない。同じ読後感のものがあるとすればシェル・シルヴァスタインの絵本「大きな木」だろうか。
うちの父が運転をやめません
垣谷美雨
角川文庫
作者はいろいろな社会課題をユーモラスに小説にしているが、本書は高齢者の危険運転。物語自体は、なんとなく途中で先が読めるというかオチがわかってしまうほどの一直線だが、テーマであるところの高齢者による危険運転(と認知症の増大)は予定されている未来としてあまりにも深刻だ。これの根っこにあるのは地方での急激な少子高齢化と人口減少による社会基盤の弱体化であって、ユーモラスどころかかなりホラーな未来が待っているといってよい。公共交通機関は経営難で鉄道もバスも廃止になるし、スーパーマーケットや金融機関は利用者減で閉店するし、病院まで閉院する始末。移動力のある人はそこから逃げてなんとかなったが、高齢者や経済弱者は地方から離れられなかった。しかも都市部では行政も経済もサブスクリプションにキャッシュレスにモバイルオーダーにEコマースにAIにチャットポットに投資をシフトさせている有様で、これについてこれない地域や人間は加速度的に遅れをとる一方である。今思うとコロナ禍のロックダウンからすべてははじまったような気がする。
マルジナリアでつかまえて2 世界でひとつの本になるの巻
山本貴光
本の雑誌社
「マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻 」の続編。マルジナリアの技法と考察を開陳した前書に比べると、2のほうはエッセイ色強めか。このシリーズを読んで以来、僕も本に書き込むことにためらいがなくなった。しかし、今度は読書の際にペンが欠かせなくなってしまった。これまで風呂につかりながら本を読むこともあったのだが、風呂でペンは扱いにくい。なによりも電子書籍が遠のいてしまった。最新のkindleにはメモ機能がついているけれどやはりちょっと違うんだよな。本の書き込みは、書き込みの位置や文字の大きさ、文字列の角度まで自由自在で、図解もイラストもOKで、几帳面な字から殴り書きまで、つまり「なんでもアリ」ゆえにそのときに生じた脳みそのスパークをもっともそれらしい形で定着させられるのがミソなのだと思う。