遊説隊員は毎日の練習の他に、外部の友人たちに公●党の候補への投票を依頼する「F活動」ということも行わなくてはなりません。
創価学会ではこの公●党支援活動を「法戦」と呼び、仏法の戦いと位置づけています。
なぜかというと、日蓮さんがかつて政治が乱れていた鎌倉時代に時の権力者である北条さんを書状をもって命がけでいさめたことがあり、
だから私たちも日蓮さんを見習って政治に関わり、正しい人材(公●党の議員) . . . 本文を読む
前回は地区リーダーになった辺りのことまで書きましたが、ちょっと戻ってB長時代の話です。
B長の任命を受け、ぬるい活動をしつつ、功徳をどんどん認定され、会合参加も少しずつ増やしつつあったその頃。
まだその時は会合に行ってもお客様状態で、居心地は悪くなかったし、こんなんだったら会合出てもいいかなと思うようになっていました。
そんなある日のこと、部長が改まって家にやって来ました。
「遊説、やってみない? . . . 本文を読む
活動家になると、「役職」というものが与えられます。
これによって出る会合の数が増え、ノルマが与えられるようになります。
私の場合は、最初はB長だったと思います。
創価学会の組織の最小の単位がブロックで、その女子部の長ということです。
B長の面接を受けるとき、なぜかスーツで行くように言われます。
何となく、厳かな、大事なこととのような気持ちになります。
しかしB長というのは、次なるステップへの足掛か . . . 本文を読む
こうして晴れて活動家になった社会人一年目の私。
創価学会員の活動の多くは、活動家(新聞啓蒙したり、選挙を頼んだり、折伏をしたりできる人のこと)を増やすことに費やされます。
創価学会は会費も無料。貧乏人と病人のための宗教。
などといいますが、実は活動家になるとけっこう出費が増えます。
しかも、あまりお金を使っているという意識がないのが問題です。
これは「創価学会に関する出費はすべてお布施のようなもの . . . 本文を読む
専門学校時代は結局、当時の女子部の部長があまりにもあまりな人だったので、逃げまわって終わった気がしました。
学校も遠い場所にあったし、バイトも続けていたし、彼氏もいたし、私も忙しかったのです。
そして私は無事に専門学校を卒業し、就職しました。
彼氏も就職し、その数ヶ月後、遠くへ転勤になってしまいました。
最初は頑張って遠距離恋愛していたんですが、長く近くにいすぎたこととかいろいろあって、別れました . . . 本文を読む