宗玄カズヒロ ブログ  ~好きに生きよう~ 懲りずに 媚びずに 

2014/5月にアメブロに移転しました。これからも宜しくお願いします!http://ameblo.jp/kazakko/

喜怒哀楽 を語る。

2014-04-20 16:44:11 | これでいのだ!
男はつらいよ。

女の人もね。

人は怒ったり哀しみたくないよね。

でも人って喜怒哀楽があって、それは生き物の中で人間が表現できる宝物と言えないかな?

そりゃ(喜楽)は良いけど(怒哀)は嫌。
当たり前です。




(喜楽)は重宝されて(怒哀)は煙たがれる。



ただバイオリズムみたいなものがあって
怒りや哀しんでいる時はツライけど、通り越した時に喜こびや楽しみが訪れる。

プラスとマイナス 上昇と下向 夏と冬・・・
対比の関係にあるから必要なのだ。

人生の振子は真ん中で止まっていてくれない。
(喜楽)(怒哀)の間を行ったり来たりして、天命が来た時にやっと止まる。
生きている間私たちはこの振り子に揺られるのだ。

ではこの喜怒哀楽の(喜楽)は歓迎だから放っておいて良いのだが、



(怒哀)の方ををどうするか?



避けたいところだがそうは問屋が卸さない。
逃げたところで借金取りは追いかけてくるし、追い払ってみても貸し借りは帳消しにできない。



よく言われることだが(怒哀)を受け入れるということ。

受け入れるとは感じる、充分に堪能する、全身全霊で味わうということ。
そしてそこから解決策とか、なんとかしようともがかないこと。
常に、ただ存在する、呼応する、ニュートラルに在るということ。


怒った、あースッキリした。
泣いた、あーサッパリした。
つまらなかった、あー窮屈だった。



ただそれだけ。


それ以上でも以下でもない。



間違ったことをしていない時に指摘されたら胸を張って怒る。
プライド傷つけられたらどこがおかしいと怒る。
なんか訳わからず八つ当たりして怒る。
そんなひん曲がった性格を恨みわんわん泣く。
とんでもないことをしてしまったと謝り土下座して泣く。

そしてそんな自分も生きていかなくてはいけない
頑張らなくてはいけないと泣く・・・。



人間って素晴らしい。



(怒哀)も捨てたものではない。
(怒哀)を愛さなくてはいけない。
(怒哀)を超えて(喜楽)にたどり着かなくてはいけない。

そうこうしていると(怒哀)はやがて(喜楽)と手を結び、喜怒哀楽となるのだと思う。




僕はシンガーソングライターだ。

良い曲を作り歌う使命を果たさなければいけない。

そのために精神世界や心理学や実存主義なんかを頭の悪いなりに勉強している。

もっともっと人間を知り学びたい。

音楽を通じてこの喜怒哀楽を表現し、人間を今より好きになりたい。




人間ってやっぱいいよなぁ。




そんな日々を綴るブログを続けていきたいと思っています。






2014春 宗玄和広




最新の画像もっと見る

コメントを投稿