すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

夢から覚めるプラクティス

2020-01-14 | サンガ
ただ
カオスの中に





はじめに言葉ありき





言葉がなければ
区別することもない



言葉を使うということは
言葉を発するところ(私)が
固定されるということ。

ここから、フィクション(世界)がはじまる



世界とは
仮想、仮説


「あの人」も「この人」も
「あの問題」も
「私」も
分けられたものはすべて
仮想、仮説









つまるところ

ここにある
私という現象が


いま、夢の中にいるのか

それとも

夢から覚めているのか



このどちらの在りようなのか、しかない







いいことも悪いことも
どっちも同じ
夢の中


いいとか悪いとか
分別(ふんべつ)や比較や批判や優劣や・・・・・・・・
これらは
ぜーーーーーんぶ
夢の産物


言い換えれば
これらはぜ―――――――んぶ
過去(という幻想)の産物


なぜなら
過去の記憶(データ)を引き合いに出さないことには
分別や比較はできないから





過去の記憶と過去の感情が絡み合って
個人の観念がつくられ

その観念から
また見たものを判断し分別しストックし

そうして守り固めて作り上げてきたモノサシ(基準、観念)を用いて「いま」もみるなら
それは夢(幻想)の中であって
いま(リアル)にいない






もしも
過去を用いずに
目の前のものを説明しようとしてみたら
なにひとつ
説明できるものはない





「私はなにも知らない」







知ったつもりになっていることを
落とそう


ものごとの価値や意味は
「私が付けてた」ことに気付いてみよう





という、プラクティス

まぁ 遊びみたいなもの






よろしければクリックお願いします↓

人気ブログランキング