悳 俊彦さんの個展がある銀座のスルガ台画廊に行ってきました。
氏は作曲家にもなりたかったそうで、音楽にめっぽう詳しく―実際、舞台音楽なども制作されるそう―僕と十数年来、懇意の間柄です。
画風は武蔵野の風景画をライフワークにされていて、写実風で内省的、幻想的でもあり、日本画のような感じもします。
「風土(ふど)展」というグループ発表も年1回されていて、そちらでは100号ほどの大画面の作品を数点発表されるのですが、個展の方は25号くらいの、小さめのサイズが主で、画風も「いい!自分の部屋に欲しい」と、すっと入って行けるものがほとんどです。
値段も小さく書かれていて、「20万…40万…80万!」(ところで、7号や、70号というサイズは存在しないそうです。うっかり口にしないようにしましょう。)
お若い頃は抽象画もお描きになったそうですが、結局やりがいを感じられなくなったそうで、僕は氏の具象画しか知りません。「具象で新しいものを描く方が本当は大変だよ」といつも仰います。
「この絵は内容に比べて、サイズが大きすぎ、緩慢になった。最初は木々だけを描くつもりが、描いてみたら地面や家を入れたくなった」「こちらはもっと大きな、100号で描きたい内容だ、その方が映える」など、解説して下さいました。
「僕の絵を見た人は、落ち着きます、癒されます、とよく言うけど、“癒される”なんて言われたくないんだ。ベートーヴェンみたいな絵を描きたいなあ…」とも。
「それは見る人が…」と、僕はそこまでしか言えませんでしたが…見る人の自由、とか、癒されると思って喜んでくれてもその絵の価値を低めている訳ではない、とか、見る人の多くはそれほど絵を深く読もうと思ってはいないし、その能力もないし、あったとしても言葉にするのは素人には難しい、とか、言いたかったのです。
僕も悳さんの画風には、気高い中にも「哀愁」「諦観」などを感じるので、むしろブラームスやフランクに通ずるように思います。
「こないだ美大を出たと思ったら、もう70だもの。あっという間だねえ」と言う悳さん、年をとるのは皆平等、僕も同感です。
これからは「大家」の域への挑戦者、卵として益々ご活躍下さい。
お茶目で気配りの利く、お話し上手の奥様が、見事にサポートしていらっしゃいます。
池田先生のブログには以前何度か訪問させていただいておりました。実は密かに注目しておりました。はなはだ失礼とは存じますがこれを機会に定期的に訪問させていただければと存じます。先生のさらなるご活躍を期待しています!。