高島野十郎の展覧会を見た(三鷹)。若い頃の鋭い目つきの自画像。うち1枚は脛や頬に傷まであり、一筋の血を流している…当時の精神状態の象徴。
その横に上品な老紳士が微笑むモノクロ写真もあった。同一人物?
また、粗末な、折り皺のついた古びた静物画。冷たい光沢を放つブリキの水差しと、味噌でも入れる瓶と…シルバー・グレーと茶を基調にした厳しさを漂わせる絵!
解説には「現存する最も若い時期の絵、まだ野十郎らしさは無い」。これが野十郎らしさでは無いとするなら、どんな風になって行くのか?
絵の多くは「東京大学農科水産学科」が所蔵している。ひょっとして、この画家は東大の関係者か?通り過ぎたデッサンの陳列を改めて見た。
魚の骨格標本を緻密に描いている。寸法(高さ・幅・太さ・目の直径…)も明記して。二枚貝のもあった。東大の最優等の学生時代のものだった。僕は軽い胸騒ぎを覚えた。
まず、東大出身の画家、というのはどうなんだろう?次に、これだけ精密なデッサンが描けたら写実画が上手いのは当たり前。「当たり前」以上の域に到達するのか、しないのか…。
1890年生まれなので、西暦から年齢を出しやすい。
40歳前後で4年ほどアメリカとヨーロッパに行った。その地で素早く風景画を描いた。帰国し、それらの成果により何度か個展を開いた。
帰国して4年後くらいに、それまでの「yajuro」というサインを縦書きの「野十郎」にした。なぜすぐではなく4年後?
以後、大雑把に言えばセピア色の風景画が多くなる。もともと線によるデッサンが得意だったからか、浮世絵風にも見える。まれに描き添えられる人物が昭和初期の庶民風俗を写し出し、面白い。
僕は「野十郎」になる前の「yajuro」の絵の方が好きだ。ろうそくの絵も、最も良い1枚に「yajuro」のサインがあり、他の、自己模倣のような数枚にサインは無かった。
ろうそくや月の絵を何枚も知人にプレゼントしたそうだが、もらった側はどう思ったろう?リビング・ルームに飾れる絵ではないし…(野心的な芸術作品は、そもそもリビング・ルームを拒否する)。
「線描の写実画家」というレッテルを破ろうとしてか否か、一方で太陽を直視した絵や、網膜の残像を描いた絵もあり、それらは当然、輪郭が無く、黄色い光線が円状に放射する。
没年の1975年にもその絵を描いており、昇天のイメージのようにも思われた。
(絵:パソコンのお絵かきソフトで作った)
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