ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

アリゾナの空は青かった(2)ツーソンに降り立つ

2018-04-02 22:28:28 | アリゾナ・ツーソン留学記´78
2018年4月2日


Wikiより。ツーソンの町、ダウンタウン


ツーソンはTucsonと書き、インディアンの言葉で「暗い山の麓」と言う意味だ。一年の360日が晴天の日の、砂漠にあるオアシスのような学生の町である。

4、5月から10月までは夏の季節になり、平均気温は37度。初めてツーソンを訪れる者は、必ず「夏は路上のアスファルトの上で目玉焼きができる」とのジョークを聞かされるのである。

太平洋を越え、ロス・アンジェルス経由でローカル便に乗り換えて、そのツーソンに降り立ったのは、1978年1月。1月でも気温が時には20度くらいまで上昇することもあり、ここに住む異国人は、見知らぬ土地にいて寒さゆえ襲われる孤独感からは、少なくとも救われることになる。

さて、空港を出るとアリゾナ大学の世話役寮生である男子学生たちが数人、その日、東京から到着した日本人留学生を出迎えに来ていた。その日は何人くらいの留学生がツーソンに到着したであろうか、今のわたしの記憶にはない。何しろ自分のことで精一杯だったのだ。

「男子寮!」「女子寮!」という呼び声が飛び交う中、迎え客の中にわたしは知っている顔をみつけた。
7ヶ月ぶりで再会するイギリス人のロバート・ギアこと、ロブである。

ロブはバーミンガム出身で、イギリスの大学を卒業後、お役所に2年ほど勤めた後、単独で世界一周を試みていたバッグパッカーである。イギリス本国からフランス、ドイツ、イタリア等のヨーロッパ諸国を経て、トルコ、インド、ネパール、タイ、香港から日本へ渡ったと聞く。

行く先々で英会話学校で英語を教えながら、そこに数ヶ月滞在し、旅費ができたところで再び移動する、という無銭旅行をしていたのである。当時は、今のように誰でも手軽気軽に外国旅行が出来るような時代ではなかった。そして、若者たちは普通は例外なくお金がなくて、それでも未知との遭遇や冒険心に 駆られそれを振り払うことができない者たちは、「無銭旅行」という手立てに出たのだった。

ロブもそのひとりで、喘息という厄介な連れと共にボロボロの旅行日記帳を肌身離さずの「世界一周」実施中であった。


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