この8月6日私の旦那寺の願林寺(一宮市萩原町朝宮)で平和の鐘を突いた。
昨年3月、町内の知人の女性は、長崎の原爆で被爆していたことを多くの周辺人々に明かさず,ひっそりと他界した。彼女ら夫妻が結婚するとき、被爆者なるがゆえに彼の両親の反対で勘当された。主人の彼は長男であるにもかかわらずひどい目にあったもんだ。彼女は、五島列島の出身で、当日の8月9日長崎にたまたま居合わせ被爆したのである。
その後、毛織物王国の一宮・尾西の地に、多くの女工さんとともに集団就職で当地を訪れていて、彼の家すなわち個人の経営する出機の家に、就職したことがたまたまの縁となり、夫妻の二人を強く引き合わせたものであった。
一男一女を授かったとはいえ、内にこめた夫婦生活や神経を悩ました生活は、彼女の膵臓を直撃していたようである。ガンの手術1年後足らずの他界となった。
こうした事実は、平和の鐘を8月6日に願林寺で突いたとき住職に話したが、この朝宮にこんな人がおいでたことを、住職ですら知らなかったのである。
このように内に込めたままなくなる人が浮かばれるためには、三度原爆を許すまじで、核兵器の廃絶をなんとしても実現することです。
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