穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アウトサイダーに巡り合う

2020-10-09 09:57:50 | 破片

 といっても知己ではない。コリン・ウイルソンはもう昔の名前である。ひところは新作が出るたびに書店の店頭を賑わしたものであるが、最近はとんとお目にかかれない。それですっかり忘れていたが、先日書店巡察の途次棚にひっそりと並べてあるのに出会った。中公文庫「アウトサイダー」上下二巻である。

 私も昔彼の本を何冊か、たぶん二冊ぐらい読んだ。この「アウトサイダー」と言うのはひところは「実存主義」と同じくらい流通した言葉であった。しかし私は当時もこの本は読まなかった。とくに理由はない。たまたまそういうめぐりあわせだったのだろう。現在私の書棚には彼の「オカルト」上下二巻が残っている。読んだ本は処分してしまう私にしては何となく捨てるのを躊躇っている本(文庫上下二冊)である。

 彼の著作の特徴らしいが、テーマについて広範、多数の引用があるので、後々検索用の文献として使うこともあるかな、ということで廃棄を免れている。もっとも、実際に利用したことは記憶にないが。引用が正確であるか、各個の解釈が適切であるかどうかは専門家ではないから評価できない。評者によっては問題を指摘しているらしいが。正しくなくても、間違っていてもいいではないか。読んだあとで本当かなと調べればいいことだ。とにかく索引の第一段階には役にたつ。

  奥付を見る。単行本翻訳の初版は1988年であるが、中公文庫の初版は2012年であり、2017年に再版とある。今手元に取ったのはこの再版である。やはり流行ではないのだろう、売れていないようである。あとがきで見ると、やはり多数の作家、思想家?の引用があり、彼の論旨は50ページに纏められるが、引用で500ページになったとある。相変わらず「オカルト」と同じ手法らしい。それで索引になるかと贖った次第であった。

 中を眺めてみるとなるほど、多数の引用がある。中には名前を知っていて読んだことのあるドストだとか、ニーチェ、カミュ、サルトルほかがある。名前を知っているが読んだことがないのもある。初めて聞く名前も多数ある。なるほど、知っている名前からの引用はともかく、彼が与えている解釈は何とも言えない。しかし、これを見てそれらの作品を再読しようかなという気になった。

 画家のゴッホがある。舞踏家のニジンスキーがある。どうやって論じるのかと思ったら、彼らの日記とか手紙とか伝記から迫ろうというようである。「アラビアのロレンス」まで詳細に論じられているのには驚いた。ロレンスは第一次大戦でアラビアのベトヴィンの部族と一緒に参謀として指揮官としてオスマントルコと戦った人物である。テロ、列車襲撃や数々の凄惨な戦闘にかかわった人物として知られるが、アウトサイダーとして取り上げられているのには驚いた。

 ざっと眺めたところで、小生得意の「読みながら書評」をしようかと思ったが、アウトサイダーの定義が見つからない。で読みながら書評はお預けにする。しかしなんだね、これを見ると誰でも表現家、言いなれない、聞きなれない言葉を使ってすみません。つまり作家、画家、バレーダンサーあるいは音楽家要するに「芸術家」はすべてアウトサイダーになるのかな。金儲けオリエンテッドの芸能人、大衆作家以外はすべてアウトサイダーという考え方もあるだろう。

 昨日村上春樹がまたノーベル賞を受賞できなかったが、金をもうけすぎているから、その上、名誉と言うのもどうかな、ということかもしれない。それにしても、毎年テレビにでてくる村上春樹ファンクラブの連中はやはり奇観というか偉観というべきだろう。

 

 


破片:140 物事自体

2020-10-02 09:05:43 | 破片

 お待たせしました。連載「破片」に戻ります。

 うりざね顔の美女が弾かれたように、何かに気が付いて突然立ち上がった。皆がびっくりしたような表情で彼女を見上げたが、彼女は無言でレジの後ろの店員たちの私物が置いてあるスペースに行くと、大きなバッグの中をかき回していたが、黒い表紙の厚い本を取り出して戻ってきた。

「なんだい、それは?」

「うん、、」というと彼女は終わりのほうのページをめくっていたが、「あったわ、Dinge an sich だわね。Things in themselvessだってさ」

「いったいなんのことだい」

「さっき、カントの物自体の物は単数形か複数かって話していたじゃない」とはるか昔にだれかが話題にして、とっくの昔に別の話題に移っていたのでみんなはポカンとした。

「何ですか、それは」と彼女が手にしている本を指さして、まず聞いたのはCCである。

「カントの純粋理性批判の英訳、ペンギンブックスよ。ひょっとしたら索引に出ていないかな、と思ってみたわけ」

「欧米の哲学書にはまず索引のないのはないからな。まして翻訳書なら」と立花がつぶやいた。

「Dingeと複数形だから物事とか事柄という意味よね」と彼女は下駄顔の顔を見た。

「そうか、それでハーマンが東インド会社を扱ったんだな」と立花は気が付いた。

「そすうると、安倍前内閣も事柄と言うか政治的事象だから、実在論者の哲学的探究の対象になるわけだね」

「そうだわね、なんでも対象になるみたいね」

「しかし、安倍内閣が政治学や歴史学あるいは外交論の対象になるのは分かるが、哲学的対象になるというのはどういうことだい。思弁的にニチャニチャやろうということかい」とエッグヘッドがもっともな疑問を口にした。

「そうさな、ハーマンの本でも読んでみるか」と立花が応じた。

「しかし、なんだね」と割り込んだのは下駄顔である。「これまでの話は、つまり哲学史ではさっき話していた相関主義と言うのは、人間の認識は知覚を通して人間の内部に表象なり観念が出来るというのだろう。ものというのは知覚を通して知覚を刺激をして内部に入ってくるというのだろうか。そうすると、物事や事象が知覚の経路を通して入ってくるというのは大分議論が逸れているのではないか」

「そうですね、机やリンゴ(哲学者お得意の例)が知覚されるのと、安倍政権が意識に捉えられるというか何というかは、まったく違うね。それをおなじ括りにいれて論じるのは論理の破綻じゃないか」

「そのとおりです」

「ようするにだな、物自体というのは明治時代以来一度も誰も疑問に思わなかった誤訳ということだな」

「幕末からかもしれませんよ。西周なんて江戸時代にカントを読んでいたかもしれませんからね」

「そうすると、物自体ゴミ箱説を復活するか。要するに訳の分からない、はみ出したものを放り込んでおくファイルにつけたラベルと考えれば、カントもあまり厳密には考えなかったのだろう」

 

 

 


哲学読みながら書評

2020-09-23 06:32:25 | 破片

 はじめに:前に「読みながら、読む前書評」というのをいくつかやったが、主として小説の類であった。今度は哲学についても「読みながら」書評を試みる。

 さて、二十世紀後半のポスト・モダンの流行蔓延に対する批判として「思弁的実在論」とか「新しい実在論」とか「実在論を立て直す」だとかが二十一世紀の流行らしい。ポストモダンがインフルエンザとすると、どうやらそれに対する集団免疫ができたと思ったらコロナ的な実在論ウイールスが哲学業界を席巻しだしたらしい。これにはまだ免疫がない。しばらくは流行が収束しそうもない。

 それで流行には敏感な小筆は何冊か翻訳本を買い込んだ次第であった。これが存外厄介なしろもので、見てくれのいい言葉すなわち「読みくれのいい言葉」でいえば難解、別の言い方をすれば納豆みたいに歯ごたえがない。どうして素直に読めるものではない。そこでとりあえず、読みながら書評をすることにした。「その都度」(これも二十世紀の哲学書でよく出くわす言葉であるが)、メモのつもりで感じたことを書く。メモにしておけば後で見て、ははあ、と役に立つこともあるだろう。

 メモでインターネットに上げておけば、メモ帳を持ち歩かなくても外出先、旅行先でスマホでチェックできる。当然こういう反論があるであろう。そういう無責任な私的なメモを公共的空間であるインターネットにあげるというのはどういうことだ、と。お叱りごもっともなれど、このブログはアクセスも少なく、ほとんど私的空間といえるからお許しいただけけるかと愚考いたした次第である。

 いや、前置きが長くなった。次回からメモを上げさしていただく。

 


139:コピペの二義 

2020-09-18 09:53:14 | 破片

「そんなに、コピペが悪いならなぜ多用するんですか」とCCが不思議そうな表情を見せた。

「ふむ」というと「コピペに二つの場合があってね。いつか世間やテレビでコピペだ、コピペだとまるで詐欺のように相手を袋叩きにして騒いだことがあるでしょう」

「ありましたね」

「あの場合のコピー・アンンド・ペーストは他人の文章を自分の文章かのように、装うことでね。これは小説家なんかの一部からは非常に卑劣なこととして非難される」

「どうしてですか」

「自分のオマンマの食い上げになるからでしょう。すくなくとも、やられたほうはそう思う。今話しているのはそうではない。他人の文章を引用句に入れて出典を明らかにすることです」

「そうすると、オリジナルの作者から文句が出ない」

「それもあるし、哲学などの人文科学系では、こういう偉い人もこう書いていますよ、あるいはこういっているけど私は認めない、という文脈で使われる。ま、出典を明らかにしているから正直だということでしょう」

「さっき、学生のようだと言ったのは」

「まだ一家をなしていない学生なんかは、自分はこういう哲学者の所説もちゃんと読んで勉強していますよ、とアピールしている。論文を読む指導教授などに対してね」

「だから自分の説のように白っトボケるよりは正直で可愛らしいということですか」

「そうだね、しかし一家をなしているようなつもりでいる哲学者がこういうコピペ満載、コピペに終始した文章を書くのは品格にかけるようだ。読みにくいことは勿論だがね」

 

 


138: 比喩の下手なのは知能の低さを表す

2020-09-18 07:50:01 | 破片

「どういう所が面白くなかったんですか」と第九は下駄顔に質した。

老人は顔をぴしゃぴしゃと叩いた。まるで力士が立ち合い前に気合を入れるように、というより、神経に刺激を与えるように。

「この作者は馬鹿ですな」と彼は切り捨てた。

「なるほど」とガブリエルの本を読んでいない全員は賛意を示した。老人のいうことには敬意を示さなければならないというように。

「アタマの良し悪しはたとえ話の作り方で分かる。だから馬鹿でも自覚している人間はなるだけ比喩を使わないように用心するものだ。ところろがこのガブリエルという男はたとえ話が好きなんだな。そのたとえ話が地の文章とどうつながるのか分からない」

「常にですか」とみんなはあきれたように聞いた。

「まあ、ほとんどだな」

「アタマのいいひとは比喩を効果的に使うためには滅多に比喩を挿入しない。ここぞというときを見計らって挿入する。それもキレのいいやつをね。それは哲学でも小説でも全く同じだよ」

 エッグヘッドが頷いた。「ここで引き合いに出すのはどうかと思うが、聖書の中の比喩は超一級品だね。短くて実に印象的ですぐに記憶できる。キリスト教が古代の終わりにほかの有力な宗教に勝ったのは絶妙な比喩が聖書にちりばめられていたからかも知れない」

「ところがさ、このガブちゃんは二、三行地の文を書いたと思うと一ページも二ページもたどたどしいたとえ話を続ける。それも続けてこれでもか、これでもかと二つも三つも続ける。その意味が不明だから直前に読んだ本文の趣旨なんかアタマから吹っ飛んでしまうのさ」

「そうなの、それから文章にやたらと引用文が多いのも読みにくいわね」

みんな彼女を見た。「これだけどさ」と彼女はテーブルの上にある「思弁的実在論入門」を指ではじいた。「もっとも、これはゴールドスミス校で旗揚げ講演をした四人の発表をハーマンがまとめたから、ほかの三人に怒られないようにやたらとコピペしたのかもしれない。それにしてもコピペしなくてもある程度は正確に自分の文章で紹介できるでしょう。コピペをやたらにすることは学生が指導教官に褒めてもらうために使う手でしょう。とにかく読みにくくってしょうがなかったわね。

他人の主張を正確かつ客観的に把握しているという自信があれば、学生の論文みたいに文章の大半をコピペで埋めるべきではないわね、どうなの」と彼女は哲学での立花先輩の顔を見て言った。

「そのとおりだよ、やたらとコピペをするのが無難だと思っているのは小心ものだな」

 


137:トンチ本見つけた

2020-09-16 08:18:45 | 破片

 突然、下駄顔が言を発した。「そういえばこの間、変な本を読みましたぜ」

三日ひげの伸びた顔面を下顎から上のほうに撫で上げながらつぶやいた。

「何という本ですか」

「えーと、世界はない、とか言いましたね」

「どんな本でした」

「だから世界はないというきちがいじみた内容さ。いや、なぜ思い出したかと言うとこの本は宣伝文句によると、新しい実在論だというのだな。今皆さんが思弁的実在論だとか話していたでしょう。それで『新しい実在論』もその親戚かと思ってね」

作者の名前は、と立花が聞いた。

「えーと、マックス・ガブリエルとかいったな」

それはマルクス・ガブリエルでしょう、と立花が確認するように訂正した。

「そうだったかも知れない」と下駄顔は譲歩した。

「『なぜ世界は存在しないか』でしょう。そういう題の邦訳がありましたよ」

「あなたは読んだんですか」

「いや、読んでいないが」

「どんな内容ですか。よく哲学の本は読んでいるのですか」と第九は土方の監督のような下駄顔を不審げに眺めた。

「そういうわけじゃない。タイトルがあまりに突飛でしょう。彼女じゃないが、題名に釣られて買ってしまった」と恥じ入ったように苦笑したのである。

 

「論証の粗雑な本でしたな。最初のほうしか読んでいないが。あなたはもちろん読んでいるのでしょう」と立花に聞いた。

「いや、読んでいません」

「そうですか、題名の突飛なことと、選書で二千円弱と人文書に多い値段の高い本ではないからでしょうね。発売してから二年足らずのあいだに17刷も出ている。そんなに売れていればきっと面白い本だろうと思ったね」

 

「面白かったですか」と彼は間の抜けた質問をした。

「いや、読んでいてバカバカしくなったな」

 


136:カントのブラックボックス

2020-09-09 07:42:32 | 破片

 どうもねえ、と立花は思いついたように話しかけた。「カントは物自体を真剣には考えていなかったと思うな。厄介な問題を捨てるゴミ箱のようなつもりで物自体なんて言葉を作ったような気がする」

「そりゃ、またどうして」とびっくりしたようにエッグヘッドが言った。「物自体といえば神様みたいに思われているじゃありませんか。彼岸というか到達できない人間の知恵では理解できない世界と受け取られているんでしょう」

「そうらしいね」と立花は他人事のように答えた。「しかしね、カントは物自体をテンポラリーファイルと考えていたんじゃないかな。彼を『独断のまどろみから醒まして」くれたヒュームにも物自体という考え方があった。ヒュームの場合には分からない問題はしばらくテンポラリーファイルに入れておく、という程度の意味合いだったんだね。物自体というのは。そのうちにうまい解決策が見つかると思っていた節がある。結局解決しなかったんだけどね」

 長広舌で喉がまた乾いたらしく彼は大声をあげてお冷を要求した。お冷で喉に新たに湿りをくれた彼は続けた。

「カントはヒュームを踏襲したと」

「うん、これは便利だと思ったんだね、きっと。到達できない、解決できない問題をゴミ箱に放り込むわけさ。これが彼のアルゴリズムになったんだ。カントの実践理性批判と判断力批判にもこのゴミ箱は登場する」

「へええ」とみんな驚いたような、あきれたような嘆声を発した。

「どういう?」

「実践理性批判ではマジックボックス、ゴミ箱というのはちょっと人聞きが悪いからマジックボックスと以後言うがね、実践理性批判では『存在者自体』とか『叡智者自体』とか『人間自体』という言葉が出てくる。どうもこれが『物自体』の兄貴分らしいな。というのも、実践理性批判を書き始めたのは純粋理性批判よりも早いんだね。書き悩んで出版は純粋理性批判のほうが先になったけどね。とにかく分からないこと、しかも最も大事な基本的なことをここに閉じ込めると残りの部分はすっきりとまとまる」

「ブラックボックスみたいなものですね」と第九が言った。

「そうだね、マジックボックスよりブラックボックスのほうがいいね」と立花は第九を見た。

「なーるほど、うまく纏めましたな」と下駄顔が感心した。「カントには『判断力批判』というのがあるでしょう。あれはどうなんです」

待ってましたというように立花は答えた。判断力批判では『超感性的基体』というのを捻りだした」

「自由自在だね」とエッグヘッドが感嘆した。

するてえと、とCCが総括した。『何とか自体』というのはカントの思考手法ということか。

「そうね、ヘーゲルがなんでも三枚におろすのが癖になっているように、あるいはプラトンのdichotomyのようにね、彼らのアルゴリズムなんだろうね」

Dichotomyってなんです?

「二分法と言いますね」

 

 


135:物自体

2020-09-07 08:41:27 | 破片

  つまなさそうな顔をしてタバコの煙を鼻から出していた憂い顔の美女が発声した。

「物自体ってなんなのさ」

立花は不意を突かれて大きな耳をピクピク動かした。

「とくに分からないのは物という言葉ね。者じゃないから人間じゃないんでしょうけどね」

そういわれて哲学の先輩である立花は言葉を探しているようだったが、ドイツ語でDing an sichね。英語でいうとThing itselfだよ」と彼はひとまず彼女の鋭い指摘をかわして時間をかせいた。

「そんなことは分かっているわよ」と彼女はかがんでいた姿勢を起こして鼻の穴から太い鼠色の煙を彼の顔に吹き付けた。

狡猾な彼は「明治時代以来カントに関する著書は百万はあるだろう」

「まさか」

「著作のほかに論文や大学の紀要を加えたら百万ぐらいはあるんじゃないの」

「日本でですか」

「日本だけなら一万ぐらいはあるだろう。そのなかで物自体は何か、と探求したものがあるかということさ。私はその種の論文は不案内だが、どうもほとんどないんじゃないかな」

「どうして、そんな推測ができるんですか」

「物なんて説明しなくても分かった気になるだろう、だれでも」

「はい」

「しかし、彼女の鋭い指摘で改めて考えてみると確かに物とはなにか、カントが考えていたモノは何か、というのは曖昧だな」

「ごく普通に考えれば」と言いながら彼女の顔を見た。こんな説明じゃとても彼女を満足させられないな、思いながら。「人間以外の物体じゃないかな」

「じゃあ、動物も物なの」

「そうだねえ」と彼は思案顔で用心深く答えた。

 その時にエッグヘッドがコメントした。「ドイツ語でDingと単数形でいうと、『もの、物品』という意味だね。複数系にすると、『事、事柄、事態、出来事』とまったく違った意味になる。物自体は単数形のDingだから物品だろうね、これも自然物か机のような人工物まで含むかの問題はあるがね」

 なにかに気が付いたように立花は「待てよ」と言いながらテーブルの本を取り上げると「彼の文章にオランダ東インド会社についての文章があるそうだが、この会社は植民地時代の歴史的事柄だから、複数系の意味も含めているんだね」

「誰の著作ですか」

「ハーマンのだ」

「するてえと、彼の解釈では歴史的な事象も社会的な事象もモノなんだ。とにかく、そういう基本的なことは誠実に定義しておいてもらわないと困るね。すこし粗雑すぎる気味があるようだ」

 

 


134:カメラを信用しない馬鹿

2020-09-06 13:55:20 | 破片

 ようするに、彼らはカメラを信用しない馬鹿なんですかね、と第九が思いついたように発言した。

「なんだって」

「だって、認識というか思考なんて写真を写すようなものでしょう。それを昔のフィルム時代ならその時代の技術で加工する。今のデジカメの時代なら加工の範囲はぐっと広くなっている。それが思考であり、概念であり、思想であり、哲学なんじゃありませんか」

「なるほど・・・」

「それを対象の裏側か、向こうに何かあるなんて考えても始まらない。というかそんなことを考えること自体が精神病的だと思うんだがな」

「そうだねえ」とCCが言った。

 立花はショルダーバッグから洗顔シートを取り出すと、また噴き出した顔の汗を丁寧に拭いた。「中世はね、向こう岸に神様がいると思っていたんですよ。それで神様はどういう方だとか、本当に居るだろうかという事柄を議論していたわけですね、千年以上」

「そうだねえ、ボンサンなんか他にすることもないやね」

「実在論は問題ない。正しいも正しくないもない。実在論を確信しない人間は統合失調症といってもいい。当たり前なことだ。しかし、じゃあ実在は赤いおべべを着ているか、とかあんみつが好きかなんて議論は気がふれている」

 誰がが言った。「そうすると、哲学は自分のすることが無くなったから中世の習慣に戻ったということか」

「うむ」というと立花はひざを叩いた。「思弁的実在主義者の議論の仕方はスコラ哲学そのものだね、どうも妙だと読んでいて違和感があったのだが、それだったんだ」

「そういうことなんだ」と確認するように立花はひとりで頷いた。そういう議論は中世、あるいは近世をとおして脈々綿々として続いてきたから、お手本はいくらでも哲学史のなかにいる。そうか、どうもこの四人組は二つのグループに分かれると思っていたが、そうなんだ。彼らの文章にはやたらと古い哲学者の引用が多いんですよ。単なる引用というよりも彼らに依拠している。たとえばハーマンはフッサールとハイデガーに拝跪している。グラントはシェリングに」

「あとの二人は」

「ああ、彼らは哲学以外のものに全幅の信頼を置く。たとえば、ブラシエは自然科学信者だし、メイヤスーは数学が実在を記述する言語として一番いいなんて言っているのだ。その様子は中世のスコラ学者が神学のハシタ女と言われたのに似ている。特にブラシエは完全に自然科学の端た女だね」

 

 


133:呼び込みに引っかかっちゃたのよ

2020-09-05 08:52:42 | 破片

 立花は美しく均衡を保った美女のうりざね型の顔を嘆賞しながら聞いた。

「どうしてこんな本を買ったんだい」

「呼び込みに連れ込まれたのよ」

「えっ何だい。ホストクラブに行ったのかい」

「そりゃあ無いでしょう。脂ぎったおばさんでもなのに。それに男性の相手ならいくらでもありそうな美人にそんなことを聞いちゃいけませんよ」と第九はあきれてたしなめた。

「そうでもないぜ。最近では未成年の女子大生でも一人でホストクラブに行きますよ」と風俗通のCCが口をはさんだ。

彼女は苦笑して「ホストクラブにはいかないけどさ」と言いながらテーブルの上にある本を手に取ったが、「あら無い」と声を荒げた。「どうしたのサ、帯があったでしょう」と立花を睨みつけて詰問した。

「えっオビ? そうだシオリの代わりに使ったから本に挟んでないかな」

彼女はパラパラとめくっていたが、帯を見つけて「これこれ、ちょっと聞いてよ」とその上にある惹句を読み上げた。

* 2007年4月27日、ロンドンで「思弁的実在論」は誕生した。最初のメンバーは四人。ブラシエ、グラント、ハーマン、メイヤスー。思考と存在の相関を超えた実在への志向を共有した彼らの哲学は、瞬く間に世界を席巻し思想界の一大潮流となる、云々 *」

「それに引っかかったのか」と下駄顔が笑った。

「そうなのよ、我ながらたわいがないわね」

「その、思考と存在の相関というのはなんのことですか」

「カントの哲学で:人間は感覚を通して入ってくるものを人間に備わった処理装置、超越論的認識論というんだがね、でまとめたものしか認識できない:という思想だね」

「しごくまっとうな考えに思えるがそれに四人組は反対しているんですか」とエッグヘッドは質問した。 

「カントが余計な一言を付け加えたんですな。 :感覚の向こうにある『物自体』は人間には認識できない :と余計なことをいった」

「言わずもがなのことだな」

「物自体という立言も間違いというか無意味でしょうな」と下駄顔が決めつけた。

「それが常識ですが、なかなか常識が通用しない世界がある」

「ふむ」

「それでよくわからんのだが、物自体というのが絶対なんですか」

「なにか彼岸のような天国のような、世界の内奥にある真理というか神秘と思いなすんでしょうな」

「そうすると実在論者は彼岸はこういうものだ、と自分は解明できるというわけですな。しかし、理論物理学でも実験物理学でもそんなことは証明というか実証できないから思弁を駆使して暴こうというわけだ」

「ま、そんなところでしょう」

 

 

 

 


132:鳥羽伏見の挙兵のつもりらしいが 

2020-09-02 09:52:09 | 破片

 四人の哲学漫才チームがコンビを立ち上げたんですわ、と立花が話し始めた。

「2007年に四人の若造がロンドン大学のゴールドスミス校で「思弁的実在論」と題されたワークショップをぶち上げたんですな」

「何です、どういう意味ですか、思弁的実在論というのは」と門外漢のCCが聞いた。

「さあね、それが問題ですよ。満足な定義はだれも与えていないようですね。実在論というのはかなり流通している用語だから分かるだろう」と憂い顔の美女に大学教授が学生を試すような視線を向けた。彼女は若き哲学徒なのである。

「うん」と彼女はあいまいに自信がなさそうに答えた。「実在論と言っても何種類かあるんじゃない」

「そのとおり、ま、彼らの場合は観念論の対立概念というわけだ」

「それでさ、まるきり分からないのは思弁的という意味ね」

「そうさ、あんまり通用していない言葉だし、正面切って名乗りを上げるような言葉でもない。そうだな、軽蔑的に使われる用語だな」

「どういうこと?」

「自分の理論が思弁的という人がいる。彼らは当然思弁的ではない(と彼らがみなす相手を見下して)軽蔑的に使う。また、思弁的というラベルを軽蔑的に使う人は、相手が思弁的だというときは相手が根拠のない空論を弄しているという意味で軽蔑的に使うのさ」

「どういう意味でですか」

「思弁的というのは、いい加減な、とか根拠がない空論という意味でさ」

「じゃあ自分が思弁的だと威張っている人は」

「相手が幼稚な小学生的な合理主義で、あるいは女性的な合理主義だというわけさ。へーゲルなんかは悟性的というね、その上に思弁的な思考があるわけだ。カントなんかはヘーゲルに言わせれば悟性的なんだな」

「じゃヘーゲルはカントを軽蔑していたの」

「そんなことは全くない。ただ悟性的な思考では限界があるというわけだ」

「するってえと、その四人組がどうして自分たちを思弁的実在論なんて言っているのだ」

立花は前に置いた本をぱらぱらとめくって探していたが、「そうそう一か所だけ誰かが思弁的という言葉を定義していたところがあった、というよりも直接言及していたところがあったんだがな」と探していたが、「そうそうこれだ」というとその個所を読んだ。

 * 絶対的なものにアクセスできると主張するあらゆる思考を思弁的と

   呼ぶことにしよう *

 

「絶対的なものというのはカントのいう物自体ということかしら」と長南さんが頸をかしげて独り言ちた。

「この作者はそのつもりだろうな」と大学教授が生徒の採点をするように言った。

「そうすると彼ら四人の主張はカントを目の敵にしているわけだわね」

「そこまで言うのは言い過ぎだが、物自体が認識できないというカントの主張が気にくわないのは間違いないね」

「彼らにとっての脅迫観念ということだな」と下駄顔が頷いた。

 

 


131:いまさらカント批判でもあるまいが 

2020-08-30 07:44:17 | 破片

 レジで新しい客を出迎えるざわめきが起こった。立花が入ってきた。

「今日は休業日ですか」とエッグヘッドが尋ねた。まだ三時である。パチプロならまだ働いている頃である。

「いや、店を追い出されたんですよ」というと出されたおしぼりが破れるほどの勢いで汗だらけの顔を拭いた。

「どうしてですか、東京都の衛生局の査察でもあったんですか」

「いや、そうじゃなくてね。店員にいきなり台に鍵をかけられたんですよ」

「そりゃひどいな。どうしてですか」とCCがびっくりして聞いた。

 

 立花はコップのお冷を一気に呷ると大声を出してコップを高々と上げてお代わりを要求した。「いや、午前中は一進一退でしてね。それが昼過ぎから馬鹿当たりの連続ですよ。ピーピーと囀りだしたんですわ、台が。そうしたら店員が飛んできて何も言わずに鍵穴に鍵を突っ込んで回して台を止めてしまった。そしてもう終わりだ、と言うんですな」

「無茶苦茶だな」

「ことわりもなく、説明もなしにですからね。わたしも反射的に立ち上がって店員をにらみつけましたよ。背は高いが馬鹿に痩せたひょろひょろした若い男でね」というと運ばれてきた二杯目のお冷を一口で飲んでホーッとため息をついた。「細い吊り上がった目をしたヤツでね、子供みたいに髭のない男でしたね。しかし、考えましたね。こういう奴はいきなりポケットからナイフなんかを出すことがある。そうしたらその男は逃げるように行ってしまった」

 

「いったいどういうことなんだ」と下駄顔が糺した。

「いや、分かりません。まあ、こんな店でけんかをして大立ち回りをしてもばかばかしいとそれまでに出た玉の入ったかごを持ってカウンターに交換に行きましたよ」

「何箱ぐらいあったんですか」と誰かが下種な根性で聞いた。

「五箱ありましたね」

「それはすげえや」

「それでそれをカウンタの上に放り投げるように置いたんですよ。さっきのいきさつから交換を拒否するかと思いましたがね」

「さっきの店員がそこにいたんですか」

「いや別の店員でした。交換はいつも通りでしたがね」

 

「一体どういうことなんでしょうね」と第九は首をひねった。

「後で考えるとね」と立花は続けた。「おそらく店長に指示されてその台は釘を閉めておけと言われたんじゃないか。それで出ないように調整したつもりがバカバカで出だした。これじゃ店長にどやされると思って慌てて止めに来たんじゃないですかね」

「しかし、そんなしくじりなんてあるんですか」

「釘師というプロがいてね、そういう連中なら間違えないんだろうが、店員は技術が未熟だったんでしょうね」というと今度は尻ポケットからテッシューを出して顔を拭きだした。

 そこへ、立花がいるのを見つけて憂い顔の美女がやってきた。「あれ読んだ。どういうことなのよ」

「ああ、ざっと眺めたがね」と言いながら立花はショルダーバックから二冊の単行本を出してテーブルの上において長南のほうへ押しやった。表紙には「思弁的実在論入門」とあり、もう一冊には「有限性の後で」とあった。

 

 

 


130:精神に食わせるものが無くなった

2020-08-28 07:01:22 | 破片

精神に食わせるものが無くなって、第九は焦った。ギトギトに脂ぎった四十路を超えた女性ファイナンシアル・プランナーの腹の上で主夫を務めて世過ぎをしている彼は精神が空洞化しないように時々精神にガソリンを食わせて精神のバランスをとっているのであるが、コロナ騒ぎでガソリンスタンドが全部閉鎖してしまった。精神は真空を嫌う。アリストテレスが言っていたかな。いや、自然は真空を嫌うか、どっちでも同じことだ。この分じゃ早発性痴ほう症になる。自動ジョイスティックに成り下がる。漠然とした焦りを彼は感じた。夏の終わりのセミのようにカラカラになってしまう。

 久しぶりにスタッグ・カフェ「ダウンタウン」に行くと下駄顔がびっくりしたような顔をして彼の顔を見た。

「すこし痩せましたな。夏痩せですか」

 

 

 


129:段ボール活用法  

2020-08-11 07:22:02 | 破片

「まず大切なことは一度にどかっと整理しようとしないことですね。もっとも、これはその人の性格によりますがね。蔵書の半分を一度に気前よく思い切って処分できる人は別ですよ」と脇に座った第九のほうに目をくれた。

「わたしにはそんな思い切ったことは出来ないな」

「それなら私の例が参考になるかもしれない。とにかく一度に大量に処分しないことですよ。一度に一冊とか二冊捨てるんです。まず持っている本の種分けをします。人によって持っている本が違うからその人なりの分け方をすればいいわけだが、私の場合はね、まず、文庫本から整理しますね。例えば文庫本の小説から始めますね。たとえば、一般小説とエンタメに分ける。さらにそれでもまだ沢山あればそれをそれぞれ日本の小説と外国の小説に別ける。あるいは同じ作者の本がたくさんあれば、それを一固めにするとかね」

「細分化する目安はあるんですか」

「特にありませんね。分類がそうですね、段ボールに収まるくらいになればそれ以上は別けない」というとコーヒーカップを口に運んだ。

「そうすると」と思案気に第九が聞いた。「段ボールの大きさにも影響されますね」

「いいところをついている。その通り。大きすぎると分類の意味がない。第一重くて整理移動が難しくなる。小さすぎてもいけない。中くらいの大きさがいいな。私の経験で言うと文庫本の山が四つ入って、そう高さが三十センチくらいかな」

「そうすると段ボールが沢山要りますね。第一家には段ボールはないから。なにか商品を取り寄せた時でも包装を解くと捨ててしまいますからね」

「私は新しいのを買っていますね。安いものだし」

「ダンボールなんて売っているんですか」

「大きな文房具店では売っているところがありますよ。それからロフトとかハンズにもあると思うな」

「それで」と第九は不思議そうな顔をした。立花の話では本を捨てる話が出てこない。分類保存は整理したり、思いついて古い本を引っ張り出すときには役に立つかもしれないが。

立花は続けた。「いよいよ処分する方法ですがね。こういう風に分類しておいて、なにか新し本を買いますね。そうすると、例えばエンタメ小説だとすると、同じ種類の本が入った段ボールを見て捨てる本を選ぶわけです。ここがミソなんですが、一冊買ったら一冊だけ選択する。二冊買ったときには二冊処分する本を選ぶんです。こうすると蔵書は増えないでしょう」

「しかし、その時にもどれを捨てるか迷いませんか」

「迷いますね。それについても一つの目安があります。まず将来まず再び読まないだろうと思うものは捨てる。あるいは私は本を読んだ時の日付を書き込んでいるのだが、それが古いものを選ぶ。さらに文庫本のなかには版を重ねて常時店頭にあるいわば定番ものというのがある。これは捨てても読みたくなればすぐに手に入る。こうしたものは捨ててよい」

「なるほど、合理的ですね。私もすぐに始めてみます」

「そうそう中には間違えて二度買ってしまう本がある」

「そういうこともありますね」とCCが応じた。「そういうものは、整理してしまえばいいわけだ」

 


128:買本は女の安衣装集めと同じ

2020-08-10 07:39:09 | 破片

 買本は買春と同じで癖になるからな、と下駄顔が呟いた。

皆はポカンとした顔をしていたが、銀色のクルーケースの男が思いついたように「癖になると言えば女が衣装の異常収集に奔るのと同じかな。女房がやたらと衣装を狂ったように買いまくるんですよ」とぼやいた。

「あなたは資産家なんだね、知らなかったよ」とエッグヘッドが失礼なことを言った。

「資産家なんかじゃありませんよ。私が診療所を回って検査サンプルを集めてくるのと、女房がコンビニのレジ叩きの収入しかないんですから。衣装を買いまくるといっても特売場なんかで安衣装をあさるだけですがね。それでもその数は馬鹿にならない。狭いマンションの一室は床の上にじかに積みあげられてた洋服で一杯になっているんですよ。その大部分は一回ぐらいしか着ていないようですがね」

「そうかと思うと、靴を買いまくる女がいますね」

「そう、資産の多寡によっては宝石や指輪を買いあさる女もいる」

「本を買いまくるのも、同じことなんだろうな」と第九が気が付いたように発言した。

「本を全然読まないというか、買わないという人もいるが、一方で買う人は買うね。どうしてかな」とクルーケースの男が聞いた。

「悪質な宣伝のせいでしょうね」と第九は考えながら答えた。

「宣伝が悪質な業界のベストスリーに入るからな。出版業界は」と下駄顔が断定するように言った。

「へえ?そうするとほかのベストスリーはどこですか」

「不動産業界とサプリメント業界だよ」

「なるほど、言えてるね」と一同は賛意を表明した。「宣伝に引っかかってツイツイ買ってしまうわけだ」と頷いた。

「ところで」と第九のほうを向いて「一旦トランクルームに預けてしまうと引き出して読むなんて言うことはなくなるでしょう」

「そうなんですね。トランクルームというのは便利なようで、実際は利用もしない本のための倉庫代を長期間にわたって馬鹿丁寧に払っているようなものでね。今回も本の整理を断行しようと思ったんですが、本の山を前にするとなかなか決断が付かないことがわかりました。何かいい方法がありませんかね」

 それまで黙って皆の話を聞いていた立花さんが口を開いた。「私もね、十年ほど前に本の整理を始めたんですがね。どうにも溜まりに溜まった屑本に生活を圧迫されてね。夏目さんの参考になるかどうか」

「ぜひ聞かせてください」

「いろんな方法があると思いますがね。人によって事情が違いますから。あくまでも私のやり方ということでお話ししましょう」と立花さんは自分のやり方を説明した。