穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ロシアの鉄道の歴史

2013-05-01 08:22:57 | 書評
トルストイやドストエフスキーを読んでいて、不思議に感じるのは登場人物の鉄道旅行が頻繁に出てくることである。

執筆された時期に鑑みてロシアってそんなに先進国だったのかな、という疑問である。

ドストエフスキーの白痴は欧州からの列車の中から始まる。ムイシュキンとロゴージン(だったかな)の車内での会話からはじまる。

トルストイのアンナ・カレーニナでは登場人物たちがペテルブルグとモスクワをまるで、現代の日本人が新幹線で東京と大阪を往復するみたいな気安さで行き来する。無知な私としては読むたびに非常な違和感を感じる。

で調べたわけ。

ペテルブルグとモスクワの鉄道が開通したのは1851年。アンナ・カレーニナが発表されたのは1877年。白痴は1868年。つまり開通後20年前後だ。

もっとも、日本でも漱石の小説なんかで、明治2、30年代には鉄道旅行の場面が当たり前のように出てくるから、ロシアでもそんなものかな、とも思う。

欧州とロシア間の鉄道はいつ開通したのかな、と調べたが分からない。勿論わたしの調べ方が不十分なのだろう。もっと調べれば分かるのだろうが。

これもドスト、トルストイ両者の小説で登場人物が頻繁に欧州にいく。これも奇異な感じがするが、欧州との間の鉄道は聖ペテルブルグとモスクワよりも早く開通したのかもしれない。

貴族階級、富裕層だから出来たのだろうが、なんだか今の日本人が欧米コンプレックスからやたらに外国に行くのに似ているようだ。

ほんの一世代前のゴーゴリやプーシキンでは鉄道は出てこないんじゃないかな。鉄道の普及というのは、文学にも色々な影響を与えているようだ。特に後発のロシアでは。