穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

メルロ=ポンティは才人にして芸人である

2016-04-21 10:41:34 | 哲学書評

M=Pはアクロバティックな芸人にして才人である
例の鷲田清一氏の「メルロ=ポンティ」いろいろ忙しくてまだ180ページ当たりだが、進行形の書評を。

彼はエッセイストだね、書き方のスティルとしては。モンテーニュ、パスカルにつながる。大変な才人だと思う。アクロバティックな思考をする。まるでサーカス芸人のようだ、哲学界の。いかにもフランスの伝統なのだろう。もっともサーカス芸人にあこがれるのは子供だけだが。

(現象学とは絶え間なく記述を続けること。。)といった趣旨のところがあったが、絶え間なく、膨大なエッセーを紡ぎだす作業の総体を現象学というのだろう。いずれにせよ現象学というネーミングがつまずきの石となる。

正直言って何のことだが分からないでしょう。わたしは哲学書を読むときは先行する哲学者との共通点に気を付けます。人間の考えることは同じようなものだという考えです。共通点を探すと当然違いもわかります。偏差というかスティルといいますかね。おっと出かけなければならない。続きはあとで。