最後の日、俺は「明日からは毎日が日曜日」と口ずさみながら会社の紙袋に私物を詰めていた。課長は昨日になって急に、送別会を開きたい、ととってつけた言い訳の様に言い出した。俺は丁寧に謝絶した。時間になって、紙袋を下げて廊下に出るとエレベーター・ホールに向った。後輩が数人一緒に部屋を出て来た。
その内の一人が「どこかに飲みに行きませんか」と話しかけて来た。他の連中もそのつもりらしい。そのつもりで一緒に出て来たらしい。私的に飲むなら問題はあるまい。我々は駅の近くにある焼き鳥屋に入った。店はまだガラガラだった。生ビールのジョッキを傾け枝豆をむしゃむしゃやった。
「驚きましたよ、鱒渕さん。突然のことでしたね」と一人が言った。
「うむ、まあな。君たちにも迷惑がかかるかな。もっとも俺はもう仕事から干されていたから君たちに引き継ぐこともなかったと思うが、なにか分からないことがあったら聞いてくれよ」
「どこかに転職するんですか」と池田という男が聞いた。こいつだけはついて来た連中とはなんとなく肌合いが違った。他の連中は入社以来事務畑でやって来た平凡なおとなしい連中だが、池田はメカニックで高卒、おまけに中途採用である。半年ほど前に転勤して来た。課長の引きだと言う。
「せっかく面倒くさい会社勤めを辞めたんだ。当分の間はのんびりとするさ。毎日が日曜日ということだな」
池田は暗い陰険な目付きで俺の顔を見た。
「うらやましいな。ぼくもそういう身分になりたいよ」と色白で脂っ気のない髪の毛をぼさぼさにした童顔の後輩が言った。
「そんなことは言わない方がいいぜ、どう課長の耳に入るかも知れないからな」と俺は柔らかく世間知らずの後輩に注意した。
そういえば、エレベーターの前で声をかけられた時には池田は見かけなかった。他の連中が俺を誘ったのを見てどんな話をするか監視しようとしたのだろう。あとで課長に報告して忠勤を励むつもりらしい。池田の存在は他の後輩にも無言の影響をあたえたらしく、話があまり弾まない。
俺も後輩に向って課長を非難するようなことは言うつもりは無かったが、スパイが同席していては気楽に話しがしにくい。つまらない言葉尻を得意げに粉飾して課長に報告されて若い彼らに迷惑がかからないとも限らない。勢いせっかく誘ってくれたが話は盛り上がらなかった。
そのうちに客が増えて来たので我々は席をたった。最後に日だったし、誘ってくれて嬉しかったので俺がおごろうと思ったが池田を見て思い直した。おごったりしたら課長にどう報告されるか分からない。かえって彼らの将来に影響が出る。「割り勘にしようや」といって池田の表情を観察した。