穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

3-2:K書店にて

2018-08-02 10:12:01 | 妊娠五か月

 TはJR新宿駅で降りると東口を出て会社の退け時の人たちで混雑した中を歩いて近くのK書店に向かった。くたびれたビルに入っている老舗の大書店の横にあるエスカレータで二階に上がる。新刊の文芸書、人文関係の棚を一通り漫然と眺めてから文庫本のコーナーに向かった。立ち読み連中の群れていない岩波文庫の前に来ると、携帯電話を取り出して平敷に電話をかけた。

「いまK書店に着いた。いまどこにいるの」

「ごめんごめん、あと十分ぐらいで着く」

「そうか、文庫本のコーナーあたりにいるか」とTが言うと「わかった」と言って電話を切った。

  彼はいつも書店で待ち合わせをする。喫茶店などを待ち合わせの場所にすると、相手より早く着いたりすると気分が悪い。まして約束の時間より相手が遅れてくるといらいらして不愉快になる。逆に相手を待たしていたりすると気づまりである。喫茶店ならまだいいが、それでもこれから一緒に食事をしようと約束しているときに喫茶店でコーヒーを飲んでしまうと食欲がなくなってしまう。おまけにさっき碁会所でコーヒーを一杯飲んだ後でもある。

 これがレストランだともっと不愉快になる。一人できてウェイトレスにあとから連れが来るからとか言って、四人掛けのテーブルを占領している客がある。一時間もひとりで席を占領している女を時々見かける。大体こういうのは中年の女や老婆が多い。人のことだからどうでもいいようなものだが、見ていても「義憤?」を感じる。自分はそんなことはしたくないと思うのである。

  そこへ行くと書店で待ち合わせるのは周りの客の目を気にしなくてもいいし、待っている間に立ち読みでしていれば退屈せずに時間をつぶせる。文庫本の島をぶらぶらと流して歩いた。それにしてもどうしてこんなに本が多いのだろうといつも彼は疑うのであった。ある文庫で通り魔殺人事件を扱った本が数冊出ているとインターネットで調べていたので、S文庫のあたりを見てみたが陳列はしていないようだった。

  平敷がせかせかと走るようにして近づいてきた。背が低くて小太りの彼は急いできたらしく禿げあがった額に汗をかいている。それをハンカチで拭きながら近づくと「遅れて申し訳ないな」と話しかけた。「なにか資料になるような本があったかい」と聞いた。

「案外ないものだね、四冊ほど見つけたけどノンフィクションで犯罪を扱ったものは偏っているね」

「そうか、とりあえず飯でも食おうか。何かいい。近くのIデパートに行こう」と誘った。

 彼と食事をするときは近くにデパートがあるときにはデパートのレストラン街に行くのである。『腹も身の内というからな』というのが平敷の口癖である。万が一、何かがあった時に小さな食い物屋じゃ対応が不安だからというのである。食中毒やなんかの時にきちんと対応できるのはデパートのレストラン街に出店している店なら一応安心できるという理屈である。『町の店では苦情を言っても、まあこちらが悪質クレーマーであるかのような対応をされるのがおちだからな。そうでなければあまり客の接遇の仕方を教育されていない初心な女の子が恐慌をきたして取り乱し、苦情を言ったこちらが悪いような気にさせられる』というのだ。

「しょっちゅう、そんなことがあるのかい」とTが聞くと「まず無いね。デパートのレストランでは。だから利用するんだが」

おなじ理屈から彼は個人タクシーを利用しない。事故があったときに会社として組織としての対応が期待できないからな、ということらしい。