チャンドラーはミステリーでの殺人方法や状況設定にはへたに凝らないほうがいいと本格派にかみついた。実際かれの殺人方法は拳銃(ピストルというと当節はミステリー好きの女の子には笑われるらしい)と鈍器による殴打しかない。青酸カリなんかも出てくるが実況中継つきのリアリズムであって、不自然な凝り方はしていない。
ストーリー・テリングにあってもシンプルなほうがいいと思うのだが、彼の小説ではシンプルでないものも結構ある。面白ことに処女作と後期の代表作ではシンプルだが、中期の作品では錯綜しているのも妙だ。具体的に言うと可愛い女、高い窓、水底の女(湖中の女)、リトル・シスターである。理由は、というか意図はわからない。おそらく脇筋というかギミックをサービスのつもり沢山いれたので描写力で綺麗に処理できなかったためと思われる。とくに水底の女とリトル・シスターに顕著である。
チャンドラーの執筆した順番に読み返している。村上春樹訳で読んでいる。別に清水俊二にさかのぼらなくてもいいと判断したのである。いま「リトル・シスター」を数ページ読んだところであるが、村上春樹の訳者あとがきを読むと、チャンドラーは女性の描き方がいまひとつ食い足りないが、この「リトル・シスター」のオマフェイの描写はすばらしい、とある。前に読んだ時に気が付かなかったが、そういわれて今回は注意して読んでみた。
なるほど、しかしこれはチャンドラーの女性描写がうまい、下手の問題であろうか。オマフェイというのは田舎から出てきた若いカマトト女であるが、たしかに描写は細かいし力が入っている。村上春樹を喜ばせそうである。
彼女はこの作品では依頼人である。チャンドラーの読みどころの一つは冒頭に出てくる特徴のある依頼人とマーロウの掛け合いである。意地の張り合いである。作者も十分に力を入れるところだ。そして若い女性の依頼人というのは彼の作品では初めてである。当然チャンドラーも精力を注ぐところだ。
前に読んだ時の記憶では終わりはシッチャカメッチャカである。村上春樹の言葉によれば「誰が誰を殺したのか分からない」というエンディングであったと思う。
さて、ロンググッドバイは今回最初に読んだので、リトル・シスターを読み終われば後はプレイバックのみとなった。次は何を読もうか、とそんな心配をしている。
女性の話が出たので、チャンドラー作品の女性論でも書いてみるか。