穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アクメの長さ

2019-05-28 08:16:24 | 妊娠五か月

 ハメットとチャンドラーの執筆生活を比較する。ブラック・マスクへ一語1セントで書き散らかしていた習作時代の短編を除くと、チャンドラーは50歳から70歳で死ぬまで最初から終始、高高度水平飛行であった。ハメットはエンジンの推力を120パーセントにあげてシャニムニ密雲を突き抜けて雲海の上に急上昇したあとで、失速滑空して不時着してしまった。

  ハメットの長編執筆時代(もちろん合間に短編も書いているが)は6年間でいわゆるハードボイルド的な四作は最初の四年間に集中している。しかもすべてが連載もので、ということは締め切りを指定されていて、全体の推敲が出来ない状態で書きなぐっている。その行き当たりばったり的なところが、たくまずして、ぶっきらぼうなハードボイルド調になっている。

  ハメットのスタイルがハードボイルドだというのだが、長編四作でもまちまちのようだ。最近また、「マルタの鷹」と「ガラスの鍵」を読み返した。だいぶ前に読んだ「赤い収穫」と「ディン家の呪い」はほとんど記憶がない。すでに本を処分してしまったし、最近では市場で入手できない。「ディン家の呪い」はなにやら新興宗教の教祖が出てくるキレの無い作品というくらいしか記憶がない。ハメット自身もこの作品を評価していなかったと読んだ記憶がある。彼の出世作ともいうべき「赤い収穫」はウェスタン(西部劇)の延長線にあるチカチカドンドンのドタバタ映画的なものだったと思う。馬の代わりに自動車がでてくる。拳銃のかわりに機関銃が出てくる。

  「作家逢坂剛」によるとハメットの作品は、三人称である。これは特徴というほどのものではない。そのほかに心理描写がないというのだな。心理状態を作中人物の表情とかしぐさで表現する(言い換えれば読者に推測させる)というのだ。追加注下記##

 これは長編第三作の「マルタの鷹」には当てはまる。素人考えでもこういう執筆というのは大変な作業だと思う。確かに画期的なことだろう。しかし、第四作でハメットが最も気に入っていたという「ガラスの鍵」では陳腐で慣習的な常套的形容詞や修飾句が復活している。ハメットは息切れしたんだな。その上に「ガラスの鍵」の題材には「艶」がない。地味すぎる。やはり結論として第三作の「マルタの鷹」が彼の作品のピークだろう。

  それを示すように書店の棚には現在は「マルタの鷹」しか置いていないようだ。

# 追加注 28日夜加筆

今朝のアップを読み返して、誤解される、あるいは戸惑われるようなところがあるかもしれないので、注を加える。『心理状態を作中人物の表情とかしぐさで表現する』というところだが、これは『悲しそうな顔をする』と書くことではない。そのかわりに、たとえば女主人公の場合は『目の周りの筋肉に急にしわが寄った』とか『甲高い声が一層高く細くなった』とか、何でもいいがそういうふうに表現する、たとえば、ですよ。そうハメットが書いたかどうかは確かめていない。何でもいいわけだ。言わずもがな、のことで申し訳ありません。

 

 

 

 

 


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