センチメンタル・ジャーニー(ショートショート)
杉浦は老人の本棚を見ながら哲学書が多いな、と思った。大学では何を専攻していたのだろう。本棚にある本はどれもきれいな状態で長年の間に日に焼けたあともなく装丁が汚れたりしていない。皆最近買った本のように見える。杉浦の疑問に答えるように老人は「最近はセンチメンタル・ジャーニーでね。昔読んだ本を買いなおしたりしている」
「センチメンタル・ジャーニーですか?」と予想外の言葉に杉浦は戸惑った。
「若い時に旅行したところに年を取ってから懐かしくて再訪することをセンチメンタル・ジャーニーというじゃないか」老人は笑った。「新婚旅行の土地を老夫婦が尋ねたりね」
「すると、若い時には哲学に凝ったとかいうことですか」
「そう、これでも哲学徒だったからね。大学を出るとすぐに塵網に落ちたから、そういう本とはすっかり縁が切れてね。全部売っぱらってしまったので、最近出た本を買ったんですよ」
「ジンモウというと」
「ははは、社会に出て会社員になったということですよ、ちょっと気障だったかな。陶淵明の詩にあるでしょう。『誤って塵網に落ちて一去十三年』だったかな」
「なるほど」と杉浦は老人を見た。「デカルトの方法序説か。われおもう、ゆえにわれあり、ですか。明晰判明な知識というわけですね。そういえば、僕もこれを読んだ時に気になったんだが、明晰判明な知識と言うのはなんですかね。妄想もわれおもう、だし。誤ったことを考えるのだって、我思うでしょう」
老人はにこにこして肯いている。
杉浦は続けた。「明晰というのは意識の状態なんだろうけど、判明というのは何のことですか」
「難しいことを言うね」と老人は右の耳の上を指で揉んだ。老人の癖である。「夢だって明晰判明なものがあるからな」
そのとおりだ、と杉浦は考えた。老人はまだ耳の上を揉んでいる。
「最近は夢の中でもセンチメンタル・ジャーニーをやっていてね。子供のころの夢をよく見るんだがこれがびっくりするほど明晰判明なときがある」
「そういえば、夢にもいろいろありますからね。明晰な表象と言うか、生々しくて、詳細で、鮮やかなのも中にはありますね」
「年を取ったせいかな。昔のことをひょいと思い出すんだよ」
「へえ、逆じゃないですか」
「そうじゃないんだな、記憶は『後入れ先だし』が原則なんだが年を取ると脳細胞が少なくなるからかな。最近のことよりかは昔のことが思い出される。それもずっと前のことがね」
老人が頭を撫でるのを見ながら「そんなものですかね」と杉浦はつぶやいた。
「それだけじゃないんだ。感性記憶が思いもよらない悟性判断に統一されて、目が覚めてからびっくりすることがあるんだ」
「まるでカントですね」