「若いうちは仕事に精を出して小説等を読んではいけない」と言ったのは永井荷風だったか。GOOブログは親切で一年前に自分が書いた記事を思い出させてくれる。昨年の11月22日に私が書いたそうだ。読み返してみると、夏目漱石の明暗の書評をしたなかで書いていた、「若いうちは本を読んではいけない」と。
私の場合は荷風とはちょっと違った意味で、若いうちに本を読まないと年をとって暇が出来た時に読む本が沢山残っていていい、というほどの意味であった。漱石の明暗も恥ずかしながらそのとき初読であったのでそう書いたのである。
わたしの印象では小説家の作品は若いうちのもののほうが質がいいことが多い。加齢とともに技術はたしかにあがるが、質が劣化する、言い換えれば「読書興なし」といったたぐいの作品が多い。勿論例外はある。そういう人は大作家というわけである。
したがって、孫のような年の作家が書いた恋愛小説を読むことが多い。これは「小っ恥ずかしい」ことかも知れない。だけど本当のはなしです。
よくインスピレーションなんていうが、なにかが乗り移って宗教でいう「お筆先」あるいはスピリチュアルの世界で言う「自動書記」のようなものではないか、と思うのだ。
ミューズはどうも若い男が好きらしい。小説家が年をとってくるとミューズがこなくなるらしい。もっとも面食いではないようだ。そういうわけで、いまさらながらラディゲの「肉体の悪魔」を読んでいる。勿論初読である。いばることもないが。16歳の作品らしい。まさにひ孫の作品だな。16歳のガキが書いたと思えばバカらしくて読めたものではないが、詩神がラディゲに乗り移った自動書記だと思えば、それなりの興が湧くものである。
もっとも詩神はラディゲがことの他のお気に入りだったらしく二十歳で天に引き上げられたということだ。