現在進行形書評である。前回は100ページあたりまで読んだ感想であった。その後持ち直した。流れる様になった。
推理小説風だというのは定説のようだ。事実そうなんだが。訳者あとがきによるると「すぐれた現代小説は推理小説的構造をとるという説がここでも立証されたわけだが」。へえ、そうですか。知らなかった。現代小説はあまり読まないものですから。
おなじくあとがきで「すぐれた現代小説はしばしば推理小説的構造をとるが、それは最後まで謎の解けない推理小説である」、「これは単なる推理小説ではない」。
ごもっともです。
前回書いたかな、これは推理小説的といっても、ハードボイルドなのだ、文章はハードボイルドじゃないけど。
ハードボイルド・ミステリーの私の定義は大分前に書いたが「犬も当たれば棒に当たる」である。ある日本の小説家だったか、評論家だったかは気取って「巡礼の旅」と言った。
要するに盲滅法に「探し探して証人から証人へと渡り歩く」のである。そのうちに当たりがくる。この小説も同様の進行である。最後が推理小説ではなく、謎の解明がうっちゃりを食わせられるが。もっともハードボイルドの大御所チャンドラーにも一作結末に新しいなぞを読者に提供する小説がある。Farewell My Lovely だったかな。いや The Little Sister だったかもしれない。ハリウッド女優が出てくる小説だった。さすがはチャンドラーだ。他のハードボイルド作家にはないはずだ。
もう一つ普通のハードボイルドと違うのは、ハードボイルドは大体一人称あるいは一視点である。この「暗い・・・」は「わたし」以外の視点で書かれている章が気が付いただけで三章ある。しかも皆主語が違う。ようするにそれが話の繋ぎになっていて、読者に欠落した情報を提供するわけだ。
なみのハードボイルドにもこういうのはあるが、いずれも「わたし(僕)」が手紙等で教えられた(要するに証人ということだ)か第三者からの伝聞を知人友人を通して聞くという形をとる。この小説の様にポンと情報を読者の前に放り出すというのはまず無い。
だからなんだって。つまりこれは「推理小説二十則」などという馬鹿馬鹿しい業界規則に縛られた低俗な推理小説ではないんだよ、ということである。