「どういうことだい」とからかわれたと思ったのか、下駄顔老人が怒ったような声を出した。
元パチプロ氏はびくっとしたように身を引いたが、「どうもね、自分で説明がつかないんですよ。当日は忙しくてろくろく検討する時間がありませんでしてね、午前中から外出する用事があって。しかし、習慣になっているから馬券を買わないと落ち着かないんでしょうね。まったく当てずっぽうで少々買ったんですよ。普段は締め切り間際までああでもないあ、こうでもないとぐずぐず迷うんですがね。どうせ当たるわけがないと思ってね、それが帰宅して結果を見て驚きましたね。18番人気の馬を頭で買った馬券が的中してる。しかも二着、三着も当たっている」
彼はからからになった喉を湿らそうとコップを取り上げたが、さっき一気に飲んだのでグラスの底まで干上がっている。彼はグラスを高く掲げてレジのほうに向かって、お冷をお願いします、と叫んだ。
生憎女ボイは全員手が空かないらしくマダムがピッチャーを持ってやってきた。
今日はとても賑やかですね、と言いながらまず立花氏のグラスを満たし、ほかの客のグラスをそれぞれ覗き込んで少しずつ水を継ぎ足した。
「彼が百万円馬券を当てた話をしているのさ」
ママは明眸をさらに大きく見開いて、「本当ですか、当店にも融資していただけますか。営業自粛で運転資金が枯渇しているんですよ」
立花氏はすっかり恐縮してしまって、「いや、外れ続きでマイナスがかなりありましてね、期間利益が出ていないんですよ」と申し訳なさそうに言った。ママは笑って「ご無理を申し上げて、厚かましいお願いをいたしました」と目じりに美しい小皺を作ってほほ笑んだ。
そうすると、完全にまぐれというわけか、とまだ信じられないように卵頭が言った。でお稲荷さんというのはどういうことだい、と下駄顔が疑問を示した。
「いや、私も不思議に思ってね、そのうちに思い出したんだが、その十日ほど前に近所のお稲荷さんにお参りをしたんですよ」
「馬券を当てさしてくださいと祈ったのかい」
「いや、そんなことは考えませんでしたね。どうぞコロナに感染しないようにと祈願しました。競馬のことなど念頭にありませんでしたね。そんなお願いをお稲荷さんが聞いてくれるわけがありませんからね」
「それでね、お賽銭もあげようと思いついて財布の中をのぞいたら五円玉があいにくない」
「どうして五円玉なんだい」
「ご縁があるようにとか言って、ゴロ合わせであげる人がいるわね」とママが口を挟んだ。
「それでね」と彼は続けた。50円玉が一つ財布のなかにあったんですよ。もったいなかったけどそれを取り出して賽銭箱に放り込みました」
「50円がきいたのかな」
「さあねえ、わたしもそのことはすっかり忘れていましてね。だいぶたってからそういえばと、お賽銭を入れたことを思い出してね」
「そんな、50円で百万馬券が当たるなんてことがあるのかな」とCCが言った。
「私の知り合いでもお賽銭マニアがいるんですよ」と立ったまま、まだ皆の話を聞いていたママが口をはさんだ。「水商売の人なんですけどね、ナイトクラブのオーナーなんですけど、店の女の子たちに命令して出勤前に神社にお賽銭を上げさせているんですよ」
「毎日、いや毎晩か」
「そう、お稲荷さんじゃないんですけどね、大きな神社だと境内に沢山分社みたいなのがあるでしょう」
「うん、あるある」
「そういう分社にもくまなくお賽銭をあげさせるのよ」
「いくら入れるんです」
「それがみんな一円玉」
へえ、とみんな予想が外れてびっくりした顔をした。「なんのためにそんなことをするのかな」
「商売繁盛ですよ。ナイトクラブが繁盛しますようにね」
「どこにあるんです、そのナイトクラブは」
「銀座」
ところで、と下駄顔が言った。「それから毎週お賽銭をあげているのかい」
「まさか、でもふと思い立って、その後一回そのお稲荷さんに行きましたよ」
それでどうだった。
ぜんぜん、あたりが来ませんね。
「お賽銭はいくらあげたの」
「五円」
「それじゃ足りなかったのかな、50円じゃないとだめなのかな」
「そうかもしれませんねえ、お稲荷さんにも欲張りなのがいるのでしょうからね」とママが注釈を入れた。