普段はノーベル賞を受賞したからといって読むということはないのだが、書店で見かけて買う気になった。「八月の日曜日」と「家族手帳」というのが並べられていたが、「家族手帳」を選んだ。解説によると15の掌編からなる自伝的作品である。
日本的という漠然とした印象を受けた。日本的といっても日本の小説のようなという意味では決してない。昔の日本家屋の感じというのか、水墨画というのか、水彩画と言ったら良いのか。くっきりとした墨による線描というのか。特に前半の各章はそのような印象である。読後感はいい。
各章の長さは大体10ページ位で長いので20ページたらずである。幼児のころの記憶とか、様々に空想した父母の若い頃のことだが、二編ほど作者(僕)の大人になってからの仕事の経験の話があるが、これが面白くない。退屈である。それが20ページくらいの話なのである。20ページにもならない章で早く終わらないかな、と退屈に感じるのだからあまり面白くないことが分かるだろう。
これらの章は中編にするつもりだったが、うまく行かず本のページ数を増やすための埋め草にしたのではないかという印象を受ける。本全体のページは220ページくらいのものである。
読み終わって他の作品も読んでみようという気になった。神保町の新刊本大型書店を三軒まわったが、目立たないところに冒頭で記した「八月の日曜日」と「家族手帳」しか置いていない。「家族手帳」のほうが売れるのか、売ろうとするのか、平積みの山が高い。
インターネットで調べて「暗いブティック街」というのを買おうと思ったが置いていない。ようやく三軒目で見つけた。これから読むところだ。
余談だが、この三冊は装丁の感じが似ている。単色で細めの女性的な感じのタイトルなど。ページの(なんというのか)型組というのか、わりと大きな活字で行間のスペースも余裕があって目に優しい作りである。まさか装丁者が同じということもないだろうが。モディアノの印象に合わしているような気がする。