再度疑問を提出する。しかし、今回は小さな声で:
彼は何時書いていたのだろうか。桂子という「たいへんな女」と睡眠薬と酒のカルテットを演奏していた時か。
睡眠薬と酒、あるいは覚醒剤使用の症例には詳しくないが、とてもあの彼の小説に描かれた躁状態では執筆どころではあるまい。また、薬が切れたときの極端な脱力状態(田中英光の描写では指一本動かせない)では、これまた執筆出来る状態ではあるまい。また書いてもとてもあの文章のツヤは出ないだろう。
桂子もの、あるいは晩年の無頼派ものは短期間におびただしい作品が発表されているらしい。もっとも、いずれも短編らしいが、一体何時書いていたのだ。
これが演技あるいは誇張で相当程度想像(あるいは創作)で書いていたなら分かる。またあり得ると思う。ある意味で彼の描写は非常に客観的で狂躁状態の当事者が書けるようなものではない。大体そういう時のことは本人は覚えていないというではないか。
無頼派時代の小説には多数の人物が登場するが、後世たとえば西村氏のような人が評伝的な裏付け取材をしているのだろうか。
自分の経験三割、創作七割というあたりではないのか。全然タネがなくてはこれまた書けないからね。それでも私小説というのか、という、まあ、定義の問題ではある。
話は飛ぶがこの辺の「誇張」はハードボイルド小説のいくら鉄パイプで殴られてもピンピンしている。クジラが水を飲む様にウィスキーを飲んでもなんともない、という主人公を連想させる。あるいはヘミングウェーの「日はまた昇る」だったかな、重傷を負った足を手術する直前に種馬よろしくベッドの上で女を相手に暴れ回る主人公を思わせるのである。読んでいる方はしらけちゃうんだが、田中英光のすごい所は読んでいても全然読者を白けさせないというところであろうか。おわり