穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

新聞閲覧所

2019-06-12 07:22:49 | 破片

 第九は千円を払って私設新聞閲覧所に入った。彼が新聞閲覧所と勝手に呼んでいるが喫茶店である。女性と学生とみるとレジ係では時計を見て一時間足した時間をレシートに記入して客に渡す。その時間が過ぎたらまた千円を払わなければならないと注記してある。そのおかげで店の中はスタッグ・バーのような雰囲気である。年金生活者でなにもすることがない老人たちが備え付けの新聞をめくって半日を過ごすのである。第九も散歩の途中、隣の大型書店を巡察した後でしばし小憩することが多い。

  テーブルの備え付けてある注文用紙に「インスタント・コーヒー スプーン3杯、砂糖10グラム」と書き込む。注文用紙の銘柄欄には「特に希望なし」という欄にチェック・マークを入れる。湯温欄には80度と記入する。それを注文を取りに来た女子高生のようなウェイトレスに渡す。

  ゆったりとした背もたれのある革張りの椅子が余裕をもって配置されている。一時間千円分のスペースがある。禁煙ではないが、スペイシャスな椅子の配置から実質的な分煙となっている。運ばれてきたコーヒーを一口飲むと第九はぐるりと店内を見回した。いつも見かける老人たちと目があって軽く会釈した。

  デイパックから読みかけの文庫本をとりだした。二、三ページ読むと、だめだな、もう失速している、と彼は呟いて本をテーブルの上に放り出した。出だしには作家はみんな力むから、まあまあ読めると思って読むと百ページも行かないうちに小学生の作文のようになる。今読んだのはまだましなほうだ。一応二百ページまで我慢して読んだんだから。

  彼は立ち上がると、新聞の置いてあるラックまで歩いて行き、一紙の朝刊を取り上げると席に戻る途中ふと思いついて一人の老人のそばで立ち止まった。店の常連で顔見知りの老人である。かれは立ち止まると「ちょっとお邪魔してもいいですか」と問いかけた。老人は見事な禿頭で磨きこまれた頭皮は美しく輝いている。かれはいつも手入れの行き届いた禿頭を感嘆して眺めるのである。

 老人は人懐っこい笑顔になると、「どうぞ、どうぞ」といって脇の椅子の上に置いてあったバッグやコートを片寄せて彼を座るように誘った。老人の年はわからないが、90歳前後と見えた。彼は今日の東京では聞くことのできなくなったほれぼれするような歯切れのいい東京弁、というより江戸弁のなごりを感じさせる言葉を話す。それを聞くだけでいい気持ちになる。きっと若い時から東京で生活してきたのだろうと思って第九は質問した。

 「昨夜妙な夢を見ましてね」とかれはニコニコしている老人に語り掛けた。「東京が空襲を受けた時の話なんです」

「ほう」と老人が応じた。

「もちろん、その時には生まれていなかったので記憶があるわけもないのですが、やけに生々しい現実感のある夢でした」

「なるほど」

「その時には、つまり空襲警報が発令されているさなかに私は風呂に入っていたのです。そうしたらいきなり庭に何かが落ちてきた。家族がそれを見に行ったら金属の破片でした。姉、私には姉がいないんですけどね、その姉が暗闇の中でその破片につまずいて足の血管を切って大出血をしたんです。勿論夢の中の話ですよ」と第九は念を押した。

「それでこの金属の破片は何だろう」という話になった。高射砲が命中したアメリカの爆撃機の胴体の破片だとか、いや日本軍の高射砲の破片だとかいろいろな意見がでたわけです。そのなかで書生の園田というのが、近くの後楽園に高射砲の陣地があるからそこから発射された高射砲弾が上空で破裂した破片ではないかというのですね」

 老人は奇妙な顔をして第九の顔を見ている。

「そこでお聞きしたいのは後楽園に日本軍の高射砲陣地があったというのは本当ですか。ご記憶があるかなと思って」

 「さあてね」と老人は三ミリほどに伸びている顎の無精ひげを撫でた。

「それは岡山の後楽園ではないでしょうな」

 これには第六も意表をつかれた。そういえば岡山もアメリカ軍の大空襲を受けたと読んだことがある。

「わたしは小石川の後楽園とばかり思ってました」

「しかし、あなたはNHKの空襲警報は東部軍管区発表と聞いたのでしょう」

「そうです」

「そうすると岡山ということはないな」

 


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