ジル・ドルーズとガダリ(以下JD)の共著にアンチ・オイデプスというのがある。これを見るに彼らはパラノイア類ヒステリー種である。彼らの焚き付けの最大のものはフロイトのエディプス・コンプレックスである。そのほか、おびただしく引用されている小説家、著述家(ほとんど無学の私の知らない人物)の言説にまつわりついてめらめらと炎を這いあがらせる。
これらの引用援用をのぞいたら何が残るのだろうか。自分の考えを述べるなら引用は最小限にすべきである。膨大な引用は習慣になっているようだが学生の論文ではあるまいし、知性やセンスを感じさせない。特に哲学では。田舎っぽさを感じさせるだけである。ヘーゲルではないが哲学はその人がその人なりに吸収した過去の哲学や思想がすべてが含まれているのは事実だが、学生の論文のように全著が直接的引用で埋まっているのはいただけない。先行者の思想を批判的かつ完全に咀嚼していないと言っているようなものではないか。
高梁第七読書日記より