穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

10-2:老人の示唆に驚く(第一部終わり)

2018-10-15 11:33:47 | 妊娠五か月

 囲碁大会の参加者の方角からは頻繁にチンチンという音がする。

「あれは制限時間の記録をしているんですか」

「自分の消費時間を記録しているんですよ。持ち時間は1時間でそれを過ぎると30秒以内に打たないと負けになる」

「NHKの囲碁対局みたいですね。どこでもそんなものなんでしょうね。それで持ち時間を過ぎると何回使えるんですか、その30秒を」

「五回らしいですよ」

見ると各テーブルにはちゃんと時計係がついている。新入社員かアルバイトらしい。あるいは碁会所がサービスで同業者の従業員から掻き集めてきたのかもしれない。壁に貼ってあるマトリックスを見ると六人の競技者で争うリーグ戦らしい。

「総当たりトーナメントらしいけど、一日で終わるんですかね」

「朝の十時からやっていますよ」と言って老人は顔をあげた。壁の時計を見上げると「もうじき終わるんじゃないですか。中には時間前に投了する人もいるし、早打ちの人もいますからね」

「もう二子で打てますね」と目を数えながら老人がいった。白の七目勝ちだった。

「もう一局出来そうですね」と老人が横を見ながら言った。「彼らの試合が終わると場所を変えないでここで表彰式とか納会みたいなことをするからそうなってはうるさくて碁も打てなくなるから」

  布石が無事に終わると老人が「さっきの話ですけどね」と言った。「死という集合で括れますね。自分の死と無関係な人間の死がね。そこから何とかなるかもしれませんね」

高梁は老人の意見に意表を突かれたが、『集合とはな、クラスといってもいいし、上位概念といってもいい。大げさにいえばイデアと言ってもいい。フム、スコラ哲学流に言えば≪事物の後に来る普遍≫かな。それとも≪事物の中にある普遍≫かな、≪事物に先立つ普遍≫ということはあるまい。おれは経験論者だからな≫と肚の中でつぶやいた。

  どうしました、と老人がじっと彼を見ている。つい考え事をしていて打つのを忘れていた。

「あ!どうも済みせません」と彼は盤面に視線を集中した。うわの空で石を置くと≪しかし、宅間も土浦事件の犯人も秋葉原事件の犯人も大して知性的な人間とは言えない。しかし、精神鑑定で精神は壊れていないと判定されている。とすればおれのモデルで言う基板は無事なわけだ。普遍とか概念とかいうのは基板レベルかな、基板と言うのはカント流にいえばアプリオリの機能に属するわけだ。じゃあどうして彼らだけがそういう概念というか集合のメンバーというかトークンを直結したのだろう。普通の人間はOSとかアプリケイション(文化)でマスクしている機能がOSかアプリケイションが壊れていて、もろに表面に出てきたということか≫と彼は思案した。

 「何だか変ですね、急に手がくずれてきた」という老人の声に驚いて盤面を見ると二、三手のあいだに局面の退勢が決定的になっている。かれは投了した。隣では試合が全部終わったらしく表彰式がにぎやかに始まっていた。

##  第一部 終わり  ##




 

 

 

 

 

 

 


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