穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

田中英光のモデル小説その二

2015-12-21 22:33:42 | 田中英光

「風はいつも吹いている」昭和23年発表。「ぼく」から「私」がナレイターになる。すでに30歳をこえたらしい。「オリンポスの果実」がオリンピック日本選手団」のモデル小説だとするなら、これもモデル小説である。二章からなる短編であるが、第一章は作家と共産党活動家の二足のわらじを履いている。 

ちなみに私小説だとすると、田中は当時沼津の共産党支部の責任者であり同時に小説で稼いだ金を支部活動に貢いでいる。おびただしい人物が出てくるがほとんどすべてが当時の実在の共産党員らしい。名前も容易に想像出来る程度にしか替えていないようだ。小筆はその辺の名前には疎いが宮沢とあるのは明らかに後の共産党委員長だろう。その妻も名前を替えて出てくるがモデルは宮本百合子らしい。他にも沢山中央幹部(主として文化宣伝部か)や地方活動家の名前が出てくるがおそらく、共産党関係者や事情を知った連中は容易にモデルを推測出来るに違いない。

第二章は支部活動の責任者を止めて執筆に専念し、時々上京して自分の作品を行商して歩く場面である。ここにも多数の作家との交流が出てくるが、容易に誰がモデルであるか推測可能である。六車小路のような名前もある。有名な作家もおおいようで容易に判別出来よう。田中が死後その作品の流通が先細りになったのは作品の質というより、このモデル扱いの露骨さ(まさに私小説か)が出版界、小説家達に敬遠されたのではないか。

第二章では東京に来るたびに作家や編集者と飲み歩く様になり、後の無頼派と呼ばれる傾向が強くなっている端緒になった事情の一班がうかがわれる。

驚くのはヒロポンが街の薬局で売られていたことである。

共産党のなかでの人間関係の感情的なもつれが大分書かれているが、このような「愚痴」は小さい頃小筆も昔親戚の共産党員(多分)から聞かされてうんざりした記憶が蘇った。あれは彼らに共通する独特の(聞いている方、読んでいる方は)やりきれない思いがするだけの馬鹿馬鹿しい話なのだが。

注:当時はどの家庭でも一人や二人は共産党員みたいのがいるのが普通の世相でした。我が家が特殊というのではありません。

 


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