私の過去を振り返れば十代後半つまり前妻である「清子」君との出会いで人生を厳しいものに変えてしまいました。そのころは私は確か18歳以上であったことは確かな事なので現在までにおけるエイリアンとの人生も責任を取らなければなりません!それは分かってはおりますが厳しい状況に追い込まれております。
この家にも昔は14~15人が暮らしており伝統的な農村の大家族の中で私は育ちました。決して裕福ではございませんでしたが何事もなく平穏無事に皆仲良く生活しておりました。曾祖父夫妻も一緒に暮らしておりましたが私が生まれた頃にはもうだいぶ歳を取っていて私の教育は家長である祖父と祖母が担っておりました!
二人とも明治の生まれで躾は厳しいものがございました。たまには殴られたこともございましたがそれも懐かしい思い出となっております!それは私が約束を破ったり悪い事した時だったのですが今になってその教育の意味をやっと理解し始めております!やはり年齢を重ねなければならない事は言うまでもございません!
時は流れ去っていく家族もおり結婚してこの家を離れる家族もおり最後に残されたのは私一人となってしまいました。この家の歴史も既に閉じようとしております!たとえエイリアンとの遭遇がなかったとしても運命は変わらずと言ったことなのでしょうか!未だにその模索は続いておりますが結論には達しておりません。もう少し生きたい!
現在の私を見れば祖父母にはなんと申し訳することができるのか反省の毎日を送っております!
追記
祖父は昔の人でしたのでというかねっからのお百姓さんでしたので何でも物の価値をお米の高で理解しておりました。その車は米何俵するんだとかお前は年に米何俵稼ぐんだとかいつも言っておりました。お米を一俵作るにはなみたいていの仕事ではございません!昔は全て手作業であったので農業も大変だったのでした。
とにかく一人前と認められるのには60キロの俵を担げるようになることでしたね!私は中学校2年くらいで60キロの俵を担げるようになりましたね!その時は祖父に褒めてもらうことができました!そのまま「清子」と出会わなければ平凡な人生でした。
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