スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典東京大賞典&方法論

2024-12-29 18:56:48 | 地方競馬
 第70回東京大賞典
 好発はフォーエバーヤング。外からクラウンプライドが追い掛けていくと譲り,クラウンプライドの逃げに。控えたフォーエバーヤングが2番手。2馬身差でウィルソンテソーロとグランブリッジ。その後ろにデルマソトガケとグランデマーレ。さらにラムジェットとサヨノネイチヤとウシュバテソーロ。キングオブザナイルは10馬身ほど離されました。向正面の入口でクラウンプライドのリードが3馬身くらいに。内からラムジェットが進出してグランブリッジと並んでの3番手となり,ウィルソンテソーロはその2頭の後ろに。前半の1000mは63秒0の超スローペース。
 3コーナーでクラウンプライドのリードは1馬身くらいに。外から押してフォーエバーヤングが追い上げていき,さらに外からグランブリッジ。直線に入るまでクラウンプライドは頑張りましたが,外からフォーエバーヤングが先頭に立つと内からラムジェットが追い上げて2番手。勝ち馬を追うようにウィルソンテソーロも追ってきましたが,フォーエバーヤングが2頭の追撃を許さずに優勝。外のウィルソンテソーロが1馬身4分の3差で2着。ラムジェットがクビ差で3着。
                     
 優勝したフォーエバーヤングジャパンダートクラシック以来の勝利で大レース3勝目。今年はチャンピオンズカップよりもメンバーのレベルが高くなりましたが,現3歳馬はレベルが高い上に,古馬との対戦も前走で経験していましたから,勝てるのではないかとみていました。1キロの斤量差があったとはいえこれが能力の差とみてよく,ダートでは日本でトップに立っているのは間違いないと思います。世界を駆け巡って大きく崩れないのは肉体的にも精神的にもタフな証明で,その点も特筆に値するでしょう。父はリアルスティール。3代母がローミンレイチェルでひとつ下の半妹が今年のアルテミスステークスを勝っている現役のブラウンラチェット
 騎乗した坂井瑠星騎手はチャンピオンズカップ以来の大レース13勝目。東京大賞典は初勝利。管理している矢作芳人調教師はジャパンダートクラシック以来の大レース27勝目。東京大賞典は初勝利。

 ステノNicola Stenoの地層学の革新性,というのは当時にとっての革新性ですが,これは各々の地層の均一性および異質性を比較することによって,その地層が形成された年代を把握するという点にありました。これはちょうど,聖書の各部分の執筆時期および編纂時期を確定させ,そのことによってそこに書かれていることの意味を確定させようとするスピノザの方法に類似しているといえるでしょう。そしてこのスピノザの文献学的方法が現代の聖書解釈学にも通用する内容を有しているのと同じように,ステノの方法も,現代の地層学に通用する内容をもっているのです。ただステノはその方法を用いても,5700年という年数に縛られていましたから,そこから正しい答えを導き出すことができなかっただけです。
 高地から海の生物,たとえば魚や貝の化石が発見されるということがあるのはなぜかということは,僕たちには答えを導き出すことができますが,ステノの時代にはそうであったわけではありません。そしてステノが発見した方法は,その答えを正しく導き出すのに役立つことになります。ですからステノ自身の研究がゆくゆくは行き詰まったであろうということは確かだと僕も思いますが,ステノの研究が方法論としてはきわめて優秀であったということは,僕は否定し難い事実であると思います。
 ステノとスピノザが類似した方法論を採用したということは,偶然であったかもしれませんが,何らかの関係があったとみることもできないわけではありません。少なくともステノとスピノザは,ステノがオランダにいた時代には親しく交際していたわけで,その当時のスピノザがこうした方法論についてステノに語ったことがあったかもしれません。後に地質学の研究を開始したステノが,そのスピノザが語ったことをヒントとして,地質学の研究にそれを生かしたのかもしれません。ステノの先駆的論考が出版されたのは1669年ですから,その内容が『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』から直接の影響なりヒントを得たなりしたことはありませんが,ステノがスピノザから方法論に関してヒントを得ていたという可能性は,完全には否定できないのです。
 この部分はここまでです。
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農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&自然科学と宗教

2024-12-25 19:39:28 | 地方競馬
 第24回兵庫ゴールドトロフィー
 発馬後に飛び出していったのは4頭。エートラックスの逃げになり,ヘリオスが2番手。スペシャルエックスが3番手で挟まれる不利があったラプタスは4番手。マックスとサイレンスタイムは併走になり7番手にアラジンバローズ。8番手がエコロクラージュで9番手にフォーヴィスム。ギガースとパワーブローキングが併走で2馬身差の最後尾にサンライズホークで発馬後の正面を通過。向正面にかけて外に出されたラプタスが3番手に上がりスペシャルエックスが4番手に。前の8頭と後ろの4頭の差が大きく開きました。ミドルペース。
 前の馬の中で頑張ったのは逃げたエートラックスとラプタス。向正面で最後尾から動いたサンライズホークとそれに合わせたフォーヴィスムの2頭が外から捲り上げてきて,この4頭が並ぶように直線に。追い上げてきた2頭が並んで逃げたエートラックスを差すとそのまま競り合ってフィニッシュ。写真判定で優勝はフォーヴィスム。サンライズホークがハナ差で2着。逃げたエートラックスが5馬身差の3着で内を回ったスペシャルエックスが4分の3馬身差で4着。優勝争いを演じた2頭の後から追い込んできたギガースがアタマ差で5着。
                       
 優勝したフォーヴィスムスパーキングサマーカップ以来の勝利で重賞は初挑戦での優勝。南関東転入後は1600mをずっと使っていたのですが,JRA時代の2勝クラスと3勝クラスは1400mで勝っていて,この距離の方がよかったのでしょう。兵庫まで遠征して重賞を制覇したのは評価に値するところ。斤量差があったとはいえこの距離の重賞は多くありますから,メンバー次第でまた優勝も見込めるのではないでしょうか。父はドゥラメンテ
 騎乗したのは現在は高知で騎乗している吉原寛人騎手川崎記念以来の重賞9勝目。兵庫ゴールドトロフィーは初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は川崎記念以来の重賞2勝目。

 吉田はこの後で,ステノNicola Stenoが自然科学の研究から身を引いてカトリックの布教に専念したのは必然で,それを,聖書宗教としてのカトリックあるいはキリスト教に入れ上げてしまったことと関連して説明しています。僕はこの点については吉田の説明に全面的には同意しませんが,僕の見解opinioは後に説明することにして,ここでは吉田がいっていることをまずみておくことにします。
 先述しておいたようにステノは1669年に『固い地面の中に自然にふくまれている固い物体についての先駆的論考De solido intra splidum naturaliter contento dissertationis prodromus』という地質学の知見を書物としてまとめています。これは化石と地層に焦点を当てた論考で,おそらくステノがスピノザにも献本したので,スピノザの死後に蔵書として残されていました。1669年には間違いなくステノはカトリックに改宗しています。つまりこれはカトリック信者としてのステノが書いた論考です。
 自然科学の研究と,その研究者が信仰する宗教religioは無関係のように思えます。ただそれは現代的な僕たちの視点からそう見えるというだけであって,ステノが論考を書いている時代は必ずしもそうではありませんでした。これは,この時代の自然科学の研究によって,その研究の成果が宗教裁判の対象になり得たということから明白でしょう。ブルーノGiordano Brunoは研究の内容を問われて火炙りの刑に処せられましたし,ガリレイGalileo Galileiも,改心したと認められたので重刑には処されませんでしたが,裁判にはかけられています。ブルーノとかガリレイというのは,必ずしも深い信仰心をもって自然科学を研究したというわけではなかったといえますが,当然ながらその逆のパターンもあるのであって,自然科学を研究することによって聖書に示されている知見の正しさを証明しようとした自然科学者も存在したわけです。なので自然科学の研究と研究者が信仰する宗教というのは,この時代には分かち難く結びついている場合もあるのであって,ステノもそうでした。つまりステノの地層学の研究というのは,単に学問としての地層学について先駆的な所見を論考するということだけを目的finisとしていたわけではなくて,その研究によって聖書の正しさを証明するという目的もあったのです。
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ゴールドカップ&列聖

2024-12-24 19:01:54 | 地方競馬
 第62回ゴールドカップ。オメガレインボーは野畑騎手から笹川騎手に変更。
 一旦はシーサーベントが前に出ましたが外から追い抜いたエンテレケイアの逃げ。シーザーベント,スマイルウィ,アウストロの3頭が並んで追い,5番手にサヨノグローリー。2馬身差でカジノフォンテンが続きその後ろにオメガレインボーとティアラフォーカス。4馬身差でビヨンドボーダーズ。最後尾にグレートジャーニー。向正面に入って2番手以下はシーサーベント,スマイルウィ,アウストロの順になり,内からサヨノグローリーが5番手に。最初の600mは36秒5のミドルペース。
 3コーナーでエンテレケイアのリードは1馬身。その後ろが再びシーサーベント,スマイルウィ,アウストロで併走となり,サヨノグローリーはここも内を回りました。直線に入ってエンテレケイアがコーナーワークで再びリードを広げたのですが,3頭併走の大外から伸びたアウストロが差し切って優勝。逃げ粘ったエンテレケイアがクビ差で2着。内から差したサヨノグローリーが1馬身差で3着。
 優勝したアウストロは南関東重賞初挑戦での勝利。昨年10月から軌道に乗り,それ以降は8戦して6勝,2着2回。ここ2走は浦和のA2クラスを連勝していました。このレースは速力で上回るエンテレケイアを力でスマイルウィが捻じ伏せられるのかが最大の焦点。エンテレケイアは持ち前のスピードでスマイルウィは封じたのですが,その後ろから差してきたアウストロに屈するという形になりました。スマイルウィの後ろからレースを進められた展開面の利がありましたし,コース適性の利もあったなど,恵まれたところがあったのも確かだと思いますが,負かした馬たちが強い上にまだ4歳馬ですから今後も楽しめる馬かもしれません。父はダノンレジェンド。6代母がパロクサイドで3代母のひとつ下の半妹がエアグルーヴ
 騎乗した浦和の秋元耕成騎手は益田でのデビューから25年8か月で南関東重賞初勝利。管理している浦和の小沢宏次調教師は南関東重賞2勝目。ゴールドカップは初勝利。

 ステノNicola Stenoは1677年9月にまず上申書,それからバチカン写本という順で異端審問の機関に提出したのですが,少なくともこの提出した時点では,ステノは自然科学の研究からは身を引いていたとされています。逆にいえば,その直前まではカトリックの普及にだけ専念していたというわけでなく,自然科学の研究にも勤しんでいたということでしょう。チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがイタリアに移ったのがいつであったかということが不明なのですが,もしかしたらチルンハウスとステノが初めて会ったときは,ステノはむしろ自然科学の研究の方に重きを置いていたのかもしれません。
                            
 提出の後,ステノはカトリックの司教としてドイツおよびオランダの各地を渡り歩き,プロテスタントが主流の地域で,カトリックへの再改宗を促し,また残っていたカトリックの信者たちの世話をするようになりました。この吉田の説明が正しいなら,『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』で,スピノザが死んだときにステノとライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが一緒に仕事をしていたというのはやはりスチュアートMatthew Stewartの創作で,史実ではなかったということになります。ただし,ステノがドイツに移ったときにライプニッツと出会い,一緒に仕事をしたことがあったということは,吉田は何も語っていませんが,歴史的事実と解釈していいようです。これについては資料が残っていて,ただその時期が確定的に書かれていないので,スチュアートはその資料を参照して,勘違いしたのかもしれません。いい換えれば意図的に創作したというわけではないのであって,資料を読み間違えただけかもしれないということです。この点はスチュアートの名誉のためにもいっておかなければなりません。
 ステノは熱心に仕事に打ち込んだ影響が出たのかもしれませんが,1686年にドイツで死んでいます。このときまだ48歳でした。1988年になってから,当時のローマ教皇から列福というのを受けています。ローマカトリックでは列聖という処置があって,これは聖人に指定されるという意味です。列福というのはそのひとつ前の段階を意味するようです。したがって現在ではステノはローマカトリックの中では聖人の一歩手前となっているのです。
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農林水産大臣賞典名古屋大賞典&上申書の内容

2024-12-19 18:59:33 | 地方競馬
 第47回名古屋大賞典
 一旦はヤマニンウルスが前に出ましたが,外からノットゥルノが追い上げてノットゥルノの逃げに。勢い良く追い上げたこともありすぐに3馬身くらいのリードになりました。ミッキーファイトが2番手になって控えたヤマニンウルスは3番手。4番手にベルピット。5番手にアウトレンジ。6番手にシンメデージー。発馬後の向正面ではこの後ろにやや差がつきましたが,正面に入ると差は詰まり,アルバーシャが7番手,8番手にアナザートゥルース,9番手にサンマルパトロール,10番手にラジカルバローズで11番手にメルト。最後尾のファルコンウィングだけが離されました。ミドルペース。
 ノットゥルノは快調に飛ばしていき,2周目の向正面に入ったあたりでリードは4馬身くらいに。ミッキーファイト,ヤマニンウルスは続いていきましたがベルピットは苦しくなり,アウトレンジが外から4番手に。3コーナーにかけてミッキーファイトがノットゥルノとの差を詰めていくとヤマニンウルスはやや離され,最終コーナーで外から追い上げてきたアウトレンジと併走。ただ前の2頭とは水が開いてしまいました。直線に入ってもノットゥルノはよく粘りましたが,外からミッキーファイトが差して優勝。逃げ粘ったノットゥルノがクビ差で2着。3着はヤマニンウルスとアウトレンジの競り合いに,内からシンメデージー,外からアナザートゥルース,さらに大外からサンマルパトロールも並んでいって接戦。内を回ったシンメデージーが4分の3馬身差で3着。大外のサンマルパトロールがクビ差の4着でアナザートゥルースがクビ差で5着。ヤマニンウルスがクビ差の6着でアウトレンジは4分の3馬身差で7着。
 優勝したミッキーファイトはレパードステークス以来の勝利で重賞2勝目。これまで大きく崩れたことはなく,ジャパンダートクラシックでもフォーエバーヤングから1馬身4分の1差の2着に食い込んでいました。ここは5戦全勝のヤマニンウルスがいたために2番人気の評価でしたが,シンメデージーが3着に入っていることからも分かるように今年の3歳馬はレベルが高く,能力はこちらの方が上だったということでしょう。斤量差があるのに着差が僅かだった点はやや不満ですが,ここが古馬との初対戦でしたから仕方ないかもしれません。これまでの戦績から考えても,もっと上を目指せる馬だと思います。母の父はスペシャルウィーク。4代母がエアグルーヴで7代母がパロクサイド。5つ上の半兄が2019年の中京記念を勝ったグルーヴィットで4つ上の半兄が2022年にシリウスステークスとチャンピオンズカップを勝ったジュンライトボルト
 騎乗した戸崎圭太騎手と管理している田中博康調教師は名古屋大賞典初勝利。

 ステノNicola Stenoの上申書の内容については,吉田は概ね次のように説明しています。
                             
 バチカン写本に含まれている思想は感染力が強い疾病のようなものであって,これ以上の感染をできる限り防ぐためには,また,すでにその疾病に毒されてしまっている人びとの治癒を推進するためには,この疾病の感染源とでもいうべきものを発見し,しかるべき対抗措置をとるために,努力してしすぎるということはないと思われる,というものです。
 この上申書が提出されたのはすでに述べたように1677年9月4日です。スピノザの遺稿集Opera Posthumaが発刊されたのは同年の暮れになってからですから,この時点ではまだ未発刊でした。『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』では,遺稿集の発刊を阻止しようと躍起になっていたのは,オランダのカルヴァン派だけではなくカトリックも同様であったとされていますが,このステノの上申書の内容からすると,その部分には信憑性があると解してよいようです。
 一方でこのことは,次のようなことを推測させます。
 カトリック陣営がスピノザの遺稿集の発刊を阻止したかったのであれば,それを阻止するためには全力を尽くしたと思われます。努力しすぎてしすぎるということはないというのは,上申書にみられるステノの意見というより,カトリック陣営の総意であったと思われるからです。そうであれば,それをだれが編集し,またどこで編集されているのかということは,きわめて重要な情報であった筈です。そしてその情報がステノにあるいはカトリックの上層部に齎されていたら,遺稿集が発刊されるということは困難だったと思われます。これらの情報があれば,遺稿集の発刊の前に編集者たちの発刊の準備を阻止することができたと推測できるからです。そしてその情報を,たぶんチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausは知っていたと思われます。チルンハウスはシュラーGeorg Hermann Schullerと知り合うことによってスピノザとも知己になったのであり,そのシュラーと定期的に書簡で連絡を取っていたのはすでに述べた通りです。そしてそのシュラーは遺稿集の編集者のひとりなのですから,そのことをチルンハウスが知らなかったという方がむしろ不自然であるといわなければならないでしょう。
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目指せケンタッキー 農林水産大臣賞典全日本2歳優駿&身の安全

2024-12-12 19:08:16 | 地方競馬
 昨晩の第75回全日本2歳優駿
 コパノヴィンセントが前に出てミリアッドラヴが2番手になったところ,外からホーリーグレイルが追い抜いていき,ホーリーグレイルの逃げに。3馬身差で追い上げていったミリアッドラヴ。深追いしなかったコパノヴィンセントの内にハッピーマンが追い上げてきて2馬身差の3番手を併走。3馬身差でナチュラルライズ。2馬身差でソルジャーフィルド。2馬身差でウィルオレオールとグランジョルノ。6馬身差でジュゲムーン。4馬身差でキングミニスター。8馬身差の最後尾にカムイカルと非常に縦長の隊列。前半の800mは49秒7のハイペース。
 3コーナーを回ると逃げたホーリーグレイルは一杯。ミリアッドラヴが自然と先頭に立ち,ハッピーマンが2番手にさらにナチュラルライズとソルジャーフィルドの追い上げ。先頭で直線に入ったミリアッドラヴは一旦は差を広げ,そこからまたハッピーマンが差を詰めてきましたが抜かせず,ミリアッドラヴの優勝。ハッピーマンが4分の3馬身差で2着。ソルジャーフィルドとナチュラルライズが競り合うところに後方からジュゲムーンが一気に追い上げてきて3着争いは大接戦。ソルジャーフィルドが1馬身半差の3着でナチュラルライズがハナ差で4着。ジュゲムーンがアタマ差の5着。
                         
 優勝したミリアッドラヴはここがエーデルワイス賞以来のレース。重賞連勝,デビューから3連勝での大レース制覇。縦長の展開でしたが超がつくほどのハイペースだったというわけではなく,スムーズに2番手を追走できたのが大きかったです。軽快なスピードを武器とするタイプにみえますので,1600mをこなしたとはいっても,さらに距離が延長することがプラスに働くようには思えず,むしろ距離短縮した方が能力を発揮しやすいように思われます。体重が大きく減っていたのも今後に向けては不安材料で,一息入れて立て直すことが必要かもしれません。母の父はスマートファルコン。母のふたつ上の半姉に2017年のTCK女王盃エンプレス杯を勝ったワンミリオンス。Myriadは無数の。
 騎乗した西村淳也騎手はスプリンターズステークス以来の大レース2勝目。管理している新谷功一調教師は開業から4年9ヶ月で大レース初勝利。

 ステノNicola Stenoが書簡六十七の二の中に,スピノザの名前を出さず,また『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』という本の題名も出さなかったのは,もしかしたらステノ自身のうちに何らかの配慮があったからかもしれません。しかし,宗教的パンフレットとして公開されるなら,読む人が読めばこれはスピノザに宛てられたものであり,そこでいわれている本が『神学・政治論』であるということは,容易に理解できたと思われます。少なくともステノがそれを分からなかった,宛先がだれで本が何であるかを分かる人はだれもいないであろうと思っていたとは考えにくいです。仮にもしもステノがそう思っていたのなら,ステノはそのことについて楽観しすぎているといわざるを得ません。ですからステノは確かにそのことは理解して,書簡六十七の二を書いたと僕は想定します。
 その上でステノはスピノザのことを,かつてきわめて親しかったし,今でも疎遠ではないと思っていると書いているわけです。なのでここからはふたつのことが読み取れるでしょう。ひとつは,自身がスピノザとかつて親密な交際をしていたし,今でもそれほど疎遠な関係というわけではないということが,このパンフレットを読む人物たちに知られても構わないと思っていたということです。これはある意味では驚くべきことです。これはスピノザの死後のことになりますが,フッデJohann HuddeやライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは自身がスピノザと関係があったことを秘匿したいと考えていたからです。それは自身の身の安全,より正確にいえば立場上の安全に関係するとかれらが考えていたからだと推察されます。ステノが書いたものが宗教的パンフレットであったすれば,公開されたのはまだスピノザが生きていたときであったと推察されますが,それでもステノは,自身がスピノザとかつて親密であったことはおろか,その時点でも疎遠とはいえないということが周囲の人びとに分かってしまったとしても構わない,つまり自身の身の安全にもカトリック信者としての立場上の安全にも影響を及ぼさないと考えていたことになるでしょう。
 そしてもうひとつ,ステノがそのように考えていたのであれば,そう考える土台というものがあった筈なのです。
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ジェムストーン賞&アルベルトとスピノザ

2024-12-06 19:09:17 | 地方競馬
 昨晩の第1回ジェムストーン賞
 逃げたのはプリムスパールス。内からチートメジャーとヤマノファルコン,外からノブハッピーホースとヨシノダイセンが追っていきました。これらの後ろにラブミーメアリーとユルリとシナノクーパー。ジョイフルロック,フレンドローマ,ミラクルメイキング,オニアシの順で続き3馬身差でスキャロップ。最後尾にプローラーティオーという隊列。前半の600mは35秒0の超ハイペース。
 3コーナーでプリムスパールスのリードは2馬身くらい。ヨシノダイセンが単独の2番手となり,内からヤマノファルコンが追い上げてきました。直線に入ると逃げるプリムスパールスと追うヨシノダイセンの間をヤマノファルコンがこじ開けようとして3頭の競り合い。そこからプリムスパールスがまた引き離していき,楽に逃げ切って優勝。ヨシノダイセンの外から追い上げてきたフレンドローマが4馬身差で2着。大外から追い込んだミラクルメイキングがクビ差で3着。ヨシノダイセンが半馬身差の4着でヤマノファルコンがクビ差の5着。
 優勝したプリムスパールスは南関東重賞初勝利。デビュー戦で2秒2もの差をつけて勝つとゴールドジュニアに出走して最下位。3戦目の特別戦は2馬身半差で快勝しこのレースに出走しました。大井が2度目だったこと,距離が1200mになったことが勝因としてあげられます。この時期の1200m戦ですから様ざまなキャリアの馬が出走していたレースで,馬券面からは難解でしたが,結果は圧勝になりました。ただレース全体のレベルがどうであったのかは疑問が残るところ。この馬は現状は1400mでも長いというタイプの馬だと思います。父はベストウォーリア。母の父はダイワメジャー
 騎乗した船橋の澤田龍哉騎手は昨年のプラチナカップ以来の南関東重賞5勝目。管理している船橋の米谷康秀調教師は南関東重賞2勝目。

 アルベルトAlbert Burghがファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenのラテン語学校で学んでいた時代,上演した演劇のいくつかにおいてスピノザと共演したということが,『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では確定的に記述されています。『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt』について検討したときにいったように,エンデンのラテン語学校では演劇が授業のひとつとして行われていたのですが,これは演劇を通して生徒がラテン語を学ぶことを意図していただけでなく,観客を入れて上演し,収入を得ることも目的としていました。ここでいわれている上演は,そうした上演と思われます。ナドラーSteven Nadlerは資料も示していますので,このことは史実と確定してよさそうです。
                           
 ラテン語学校で学んだ後,アルベルトはライデン大学に入学しています。これが何年のことであったかが正確に書かれていないのですが,少なくともステノNicola Stenoとアルベルトが同窓生であったことは間違いありません。なのでステノとアルベルトがその時点で出会っていた可能性は否定できません。そしてステノがライデン大学で学んでいた頃はスピノザはライデンLeiden近郊のレインスブルフRijnsburgに住んでいて,おそらくライデン大学に出入りしていました。よって書簡七十六でいわれているように,アルベルトとスピノザがステノについて語り合ったことがあるというのは,状況として不自然でないことになります。もっともこれは状況についての説明で,書簡七十六の内容について疑わなければならないような理由はありませんから,スピノザ,ステノ,アルベルトの3人が,互いに互いを知っていたということは史実として確定して問題ありません。
 いずれにしてもアルベルトとスピノザは,ファン・デン・エンデンのラテン語学校において知り合っていたのは間違いありませんし,おそらくアルベルトがライデン大学に入学した後も会っていたでしょう。したがって,スピノザがコンラート・ブルフの家で世話になっていたという可能性が否定されたとしても,スピノザとアルベルトの父親であるコンラート・ブルフが知り合いであり得たことになります。ですからコンラートがスピノザに対して,アルベルトに書簡を書いてほしいと依頼するケースもあり得ます。
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勝島王冠&友人の依頼

2024-12-05 19:06:22 | 地方競馬
 昨晩の第16回勝島王冠
 キングストンボーイはタイミングが合わず1馬身の不利。ランリョウオーが逃げて2番手にサヨノネイチヤ。巻き返したキングストンボーイが3番手に追い上げ4番手にパワーブローキング。5番手にヒーローコール。6番手にキタノオクトパス。その後ろはリンゾウチャネル,コラルノクターン,ユアヒストリー,アイブランコの4頭。2馬身差でモダスオペランディとゴールドハイアー。3馬身差でマースインディ。4馬身差でクリノドラゴン。最後尾にアポロビビ。最初の800mは49秒5のミドルペース。
 3コーナーでランリョウオー,サヨノネイチヤ,キングストンボーイの3頭が併走に。2馬身差でパワーブローキング。さらに2馬身差でキタノオクトパス。コーナーで外からキングストンボーイが前に出ようとしたのでサヨノネイチヤが対抗し,ランリョウオーはここで後退。サヨノネイチヤとキングストンボーイが並んで直線に。直線でも競り合いましたが,外のキングストンボーイが決着をつけ,そのままサヨノネイチヤを引き離して圧勝。サヨノネイチヤが5馬身差で2着。パワーブローキングが2馬身差の3着。後方から大外を追い込んだマースインディが4分の3馬身差で4着。マースインディの内から並んで伸びてきたユアヒストリーがハナ差の5着。
 優勝したキングストンボーイはこのレースがJRAからの転入初戦。5月にオープンで2着になっていましたから,頭打ちでの転入ではなく,南関東重賞ならすぐに通用する力量がありました。サヨノネイチヤは帝王賞も南部杯も競馬にはなっていたので強敵でしたが,3キロの斤量差があれば負かすこともあり得るとみていましたが,想像以上の差がつきました。この開催の大井競馬は早い時計での決着が目立っていたのですが,そういった馬場状態に対する適正の差もあったのかと思います。大レースは厳しそうですが重賞なら通用しそう。南関東重賞に出走するなら常に優勝候補でしょう。父はドゥラメンテ。3つ上の半兄に2018年の皐月賞を勝ったエポカドーロ
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は黒潮盃以来の南関東重賞72勝目。第13回以来となる3年ぶりの勝島王冠2勝目。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞11勝目。勝島王冠は初勝利。

 スピノザからアルベルトAlbert Burghへの返信は書簡七十六で,1675年12月にハーグDen Haagから出されています。以前にステノNicola Stenoについてスピノザとアルベルトが語り合ったことがあったということを史実として確定させる内容を含んだ書簡です。書簡六十七はこの年の9月に出されたものですから,スピノザはおよそ3ヶ月が経った後に返信を書いたことになります。
                            
 期間が開いたことについては,この書簡の冒頭でスピノザが記しています。それによれば,スピノザはアルベルトからの書簡には返事を書くつもりがありませんでした。なぜなら,カトリックの闘士となってしまったアルベルトを家族の元に引き返すために必要なのは,理性ratioによる説得ではなく,時間tempusの経過であるとスピノザは考えていたからです。しかしアルベルトの才能に期待をしていた友人たちが,スピノザに対して,アルベルトの友人としての義務を果たすように,というのはアルベルトのことを理性的に説得するようにという意味ですが,そのような依頼をしきりにするので,それに心を動かされて書簡を書くことをスピノザは決意したのです。
 ここでは若干の説明が必要です。スピノザは友人の意見opinioに心を動かされたといっていますが,実はスピノザはアルベルトだけでなく,アルベルトの家族とも親しかったと思われます。実際にスピノザは,アルベルトをアルベルトの家族の元に引き戻すのに必要なことが何かということを語っているわけですから,友人の依頼というものの中には,アルベルトの家族からの依頼も含まれていたと考えられるのです。
 スピノザがユダヤ人共同体から追放された後,レインスブルフRijnsburgに住むようになるまでの間のことは,史実として残されている歴史的資料が少なく,よく分かっていません。ただその間に,コンラート・ブルフ,これはアルベルトの父ですが,そのコンラート・ブルフの家に滞在していた可能性が『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』で指摘されています。コンラートはアムステルダムAmsterdamの裕福な裁判官で,コレギアント派collegiantenに同情的であったとされています。アルベルトの方はファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenのラテン語学校に入学したので,そこでスピノザと親しくなったといわれています。
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サンケイスポーツ盃船橋記念&ふたつの事情

2024-11-28 19:03:33 | 地方競馬
 昨晩の第69回船橋記念
 好発はルクスディオン。それを内からエンテレケイアとカプリフレイバーが追っていく形。2馬身差でスワーヴシャルル。ジャスティンとティアラフォーカスは併走でサンダーゼウス。ポーラチュカとギガースも併走。アイゴールド,ラヴケリーと続いてファイナルキングとカールスパートの併走。最後尾にエルロイ。最初の400mは22秒8のハイペース。
 3コーナーではエンテレケイアが単独の先頭に立ち,カプリフレイバーが2番手。好発を決めたルクスディオンは2馬身差の3番手に後退し,外からスワーヴシャルル,内からジャスティンの追い上げ。直線の入口でカプリフレイバーとの差を広げたエンテレケイアが,そのまま抜け出して快勝。スワーヴシャルルが単独の2番手に上がったところ,外からギガースが追い込んできて,かなり差を詰めたものの届かず,スワーヴシャルルが4馬身差で2着。ギガースがアタマ差で3着。
 優勝したエンテレケイアアフター5スター賞以来の勝利で南関東重賞3勝目。1000mでは南関東では敵なしという状況ですから,順当な優勝。スピードを前面に出す馬は,休養すると急激に能力が衰えてしまうケースがあるのですが,この馬は順調にレースを使い続けています。順調にレースに使い続けていられる限りは,これからも活躍が期待できると思います。父はアジアエクスプレス。はとこの子に2021年のホープフルステークスと2022年の中日新聞杯を勝っている現役のキラーアビリティ。Entelecheiaはアリストテレスの哲学用語で,完成された現実性。
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手はアフター5スター賞以来の南関東重賞37勝目。船橋記念は初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞70勝目。船橋記念は初勝利。

 このことから分かるのは,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausはバチカン写本を慎重に扱っていたのであって,不用意に他人にそれを読ませてしまうようなことは避けていたということです。なのでこの観点からすれば,チルンハウスがバチカン写本を自主的にステノNicola Stenoに渡してしまうということはあり得ないことのように思えます。とくにホイヘンスChristiaan Huygensには自身がそれを所持していることを秘匿し,自身がそれを読むべき人物であると評価していたライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対しても独断で読ませるようなことはせず,スピノザにその許可を求めていたチルンハウスが,カトリックの中でそれなりの立場にあったステノに草稿を渡してしまうようなことは,考えられないといっていいくらいでしょう。
                            
 一方で別の事情があります。ステノがバチカン写本を入手したのは,スピノザの死後のことです。スピノザが死んだのが1677年の2月で,ステノが草稿を入手したのは1677年8月です。スピノザの遺稿集Opera Posthumaはこの年の暮れには発刊されていて,この時期はおそらくその編集中であったと推測されます。たぶんチルンハウスはそのことを知っていたでしょう。したがってこの時期のチルンハウスは,すでにバチカン写本を所持し続ける意味が薄れつつありました。遺稿集が発刊されればそこには『エチカ』が掲載されるのは間違いありませんから,もし読む必要が生じたら,そちらを読めばいいからです。なのでこの時期のチルンハウスは,スピノザが生きていた頃ほどにはバチカン写本を慎重に取り扱う必要はなくなっていました。こうしたチルンハウスの気持ちの変化が,草稿がステノの手に渡ってしまったことといくらかの関係があったとみることもできるでしょう。
 解説の方で,おとり捜査のようなやり口でチルンハウスがステノにバチカン写本を巻き上げられたと書いてあるそうですから,そこには何らかの根拠はあるのでしょう。ただその根拠が何か分からない以上はその事情を考察することが無意味というわけではありません。ただ考察するのであれば,ここに示した二点はそのための論拠にしなければならないと思います。
 吉田はこの後でチルンハウスとステノについての概略を説明しています。
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農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&出発

2024-11-21 18:52:04 | 地方競馬
 第26回兵庫ジュニアグランプリ
 コパノヴィンセントが無理なく前に出てそのまま逃げることに。外の分だけ前に出られなかったべラジオドリームが2番手。ヤマニンシュラとコスモストームが並び,サンジュウロウとヴィグラスデイズとシャインミラカナの3頭が併走。ラピドフィオーレ,ハッピーマン,キミノハートの順で続き2馬身差でマナヴァルキューレ。4馬身差の最後尾にジーニアスレノン。ミドルペースでした。
 3コーナーを回ってサンジュウロウとシャインミラカナは後退。最内を回って追い上げてきたのがハッピーマン。べラジオドリームは直線の手前で一杯。2番手に上がったヤマニンシュラと逃げたコパノヴィンセントの間を突いたハッピーマンが粘るコパノヴィンセントを差し切って優勝。コパノヴィンセントが1馬身半差で2着。ヤマニンシュラが1馬身半差の3着。ヴィグラスデイズがクビ差の4着でコスモストームが半馬身差の5着と,総じて前につけていた馬がそのまま流れ込む決着。
 優勝したハッピーマンは重賞初制覇。このレースはJRAの1勝クラスで好走歴がある馬が3頭いて,そのうちの2頭によるワンツー。ハッピーマンは道中の位置取りが後ろになってしまい,展開面からは不利でしたが,内を回ることで相殺しました。それでも前にいた馬たちが有利なレースであったことは間違いありませんから,このメンバーの中では能力が上位であったとみていいと思います。小回りで器用なレースで勝ち切った点も評価できます。父はダノンレジェンド。母の父がキングカメハメハで祖母が2007年のフラワーカップを勝ったショウナンタレント。その父がアグネスタキオン
 騎乗した坂井瑠星騎手と管理している寺島良調教師は兵庫ジュニアグランプリ初制覇。

 『国家論Tractatus Politicus』の第六章の第一節では,人間は本性naturaの上で共同社会状態status civilisを欲求するので,人間が共同社会状態を解消してしまうことは起こり得ないという意味のことがいわれています。これは一読すると,スピノザがホッブズThomas Hobbesと同じことをいっているように見えます。ホッブズは,それがどんなにひどい共同社会状態であったとしても,自然状態status naturalisに戻るよりいいから,人間が共同社会状態を解消して自然状態に回帰することはないといっているからです。しかし実際には,人間が共同社会状態を解消することはないという同じことをいっているとしても,スピノザとホッブズでは違う意味のことを主張していると考えなければなりません。ホッブズは実際に自然状態があって,そこに回帰することはないといっているのに対し,スピノザはそもそも自然状態などというものは存在しないから,共同社会状態を解消して別の状態に移行することはできないといっているのだからです。すなわち人間は常に共同社会状態に現実的に存在することになるのですから,政治論を構築していくときは共同社会状態から出発しなければならないのであって,共同社会状態以前の状態としての自然状態から出発することはできないのです。
                            
 もちろん共同社会状態というのは,現実的に存在するあるひとりの人間だけを抽出するなら,その人にとって不本意で苦痛に満ちたものであるということがあり得ます。ホッブズの政治理論では,それでもその状態は自然状態よりよい状態であるということができますが,スピノザの政治理論ではそのようにいうことができなくなります。したがって人間は,というのは僕たちはという意味ですが,共同社会状態が現にあって,その中で現に暮らしているということをもってよしとするわけにはいかなくなります。自然状態など存在せず共同社会状態しか存在しないのであれば,現実的に存在している人間に対して苦痛を齎すのは共同社会状態にほかならないからです。それがどんなに無法で歪んだものであったとしても,共同社会状態は共同社会状態であって,そうした共同社会状態が現に生きる人間の苦痛の原因causaとなり得るということを弁えておかなければなりません。
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農林水産大臣賞典浦和記念&懸念

2024-11-20 18:59:11 | 地方競馬
 第45回浦和記念
 鞭を入れてメイショウフンジンがハナへ。2番手にダイシンビスケスで3番手にアウトレンジ。2馬身差でライトウォーリア。4馬身差でサヨノグローリー。2馬身差でアイブランコとディクテオン。あとはディアセオリー,ナニハサテオキ,オウケンムーン,スリーヘリオスの順で発馬後の向正面を通過。正面に入って逃げたメイショウフンジンがペースを落としたことで全体の隊列は縮まりました。向正面に戻って内からライトウォーリアが3番手に上がり,アウトレンジが4番手に。3馬身差でディクテオンとナニハサテオキ。その後ろがサヨノグローリーとアイブランコの併走に。前半の1000mは63秒5のスローペース。
 4番手の外になっていたアウトレンジが3コーナー手前から外を進出。2番手のダイシンビスケスは苦しくなって後退。コーナーの途中でアウトレンジが逃げたメイショウフンジンの前に出て先頭で直線に。そのまま後ろを引き離していって快勝。内を回ったライトウォーリアが直線だけメイショウフンジンの外に出され,メイショウフンジンを差して6馬身差の2着。メイショウフンジンが2馬身差の3着に粘り,外から追ってきたディクテオンがクビ差で4着。
 優勝したアウトレンジは重賞初制覇。とはいえ前々走でオープンを勝ち,前走のみやこステークスが不来方賞を勝ったサンライズジパングの2着でしたから,実績は下でも近況からは上位と思われました。また,4歳とまだ若かった点も魅力。逃げることができなかった2着馬とは2キロの斤量差がありましたので,着差ほどの能力差は見込めないかもしれませんが,大レースでも好勝負になる余地があると思います。母の父はキングカメハメハ。9代母がスカーレットインクの3代母にあたる同一牝系。
 騎乗したフランスのクリスチャン・デムーロ騎手と管理している大久保龍志調教師はは浦和記念初勝利。

 スピノザの思想に準じて検討していけば,『国家論Tractatus Politicus』の当該部分で空想の産物といわれているのは,実際は自然権jus naturaeではなく自然状態status naturalisであるという吉田の指摘に僕は同意します。したがって,思い切ったことをいえば,スピノザはその部分で,自然状態は空想の産物だといってしまえばよかったのではないかと僕は思いますし,そういうべきだったのではないかと思います。もちろんこの部分の文脈は,空想の産物であるのが自然権であるのか自然状態であるのかということをいいたかったわけではなく,自然状態ではないも同然である自然権が,共同社会状態status civilisでは空想の産物ではなく現実的なものになるということをいいたいがための前振りですから,スピノザとしては自然権が空想の産物であるといっておいた方がよかったのだということは僕も理解できます。しかし一方で,書簡五十においては自然権はそっくりそのまま残しているといっているのですから,自然状態が空想の産物であるとスピノザが考えていることは確実だと思いますから,たとえこの部分でではなくとも,スピノザはそのようにいっておくべきではなかったかと思います。そうでなければ『国家論』のこの部分と,書簡五十でスピノザは矛盾したことをいっていると理解されかねないと懸念されるからです。
                            
 自然状態を空想の状態と解するスピノザの政治論から,どのようなことが結論されるのかということが第一四回では考察されていますので,それもみておきましょう。
 自然状態が空想の産物であるのなら,現実的に存在する人間は,自然状態にはいないということになります。これは現時点でいないということだけを意味するのではなく,かつて人間は自然状態に存在したということはないし,これからも自然状態の存在するということはないという意味です。ではどこにいるのかといえば,それは共同社会状態にいるということになります。つまり人間は常に共同社会状態に存在していたのだし,これからも共同社会状態に存在し続けるということです。そしてその状態において,現実的に存在する人間は自然権を行使してきたのだし,今も行使し,またこれからも行使し続けていくことになるのです。
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デイリー盃ロジータ記念&共同社会状態以前

2024-11-14 19:01:04 | 地方競馬
 北海道から1頭,高知から1頭が遠征してきた昨晩の第35回ロジータ記念
                            
 トウケイカッタローは発馬してすぐに控えました。逃げたのはミスカッレーラ。2番手にローリエフレイバーで3番手にリケアマロン。4番手にグラインドアウト。その後ろはニジイロハービー,エレノーラ,シトラルテミニの集団。ポルラノーチェ,フェルディナンド,ベイデンマリーナ,プリンセスアリー,フォルトリアンの順で続き,2馬身差でイマヲトキメク。最後尾にトウケイカッタロー。位置取りはほとんど変わらずに2周目の向正面に。ここで4番手がグラウンドアウトとシトラルテミニの併走になり,その後ろがニジイロハービー,エレノーラ,フェルディナンドの集団。さらにプリンセスアリーが追い上げてきました。スローペース。
 3コーナーでは逃げたミスカッレーラを押しながらローリエフレイバーが追走。外から捲り上げてきたのがポルラノーチェでここからはこの3頭の争いに。早めに手が動いていたローリエフレイバーですが,直線に向くと逃げるミスカッレーラと捲ってきたポルラノーチェの間から伸び,前に出て優勝。外のポルラノーチェがクビ差で2着。ミスカッレーラは2馬身半差で3着。
 優勝したローリエフレイバー東京2歳優駿牝馬以来の勝利で南関東重賞2勝目。今年は東京プリンセス賞で2着になった以外はあまり走れていなかったのですが,東京2歳優駿牝馬までのことをみれば能力があることははっきりしていました。ここは復活の勝利とみていいでしょう。気温が高くなる時期は苦手というタイプなのかもしれません。母の父はネオユニヴァース
 騎乗した川崎の野畑凌騎手は東京2歳優駿牝馬以来の南関東重賞2勝目。管理している大井の月岡健二調教師は南関東重賞10勝目。ロジータ記念は初勝利。

 スピノザが自然権jus naturaeを経由させて自然状態status naturalisを規定しているのは,スピノザもまた自然状態というのを現実的に存在した状態ではなく,理念上の概念notioであると解しているからではないかと僕は考えています。社会契約説を完成させるためには自然状態の概念が必須といえますが,そうした状態,いわば共同社会状態status civilisより以前の状態が人類史の中に存在したという見方に僕は否定的です。自然状態というのは共同社会状態以前の状態としか解せませんから,僕は人類史の中でそういう状態があったというように考えないのです。もちろんこれは共同社会societasというのをどの程度の大きさとして解するのかということと関係するのであって,ある一定数のまとまりを超過しなければ共同社会状態とはいえないというのであれば,そういう状態があったというほかはないかもしれません。しかし自然状態の意義というのは,ホッブズThomas Hobbesが指摘しているように,個々の人間が自分の利益utilitasだけを考慮に入れて各々の力potentiaを発揮するという状態なのであって,それを自然状態というのであれば,そのような状態はなかったと僕は考えます。スピノザの哲学に寄せて考えれば,第三部定理七でいわれているコナトゥスconatusは明らかに力でもあって,この力が自然権を規定することになるのですが,この定理Propositioはある人間が他の人間と協力することを拒むことを意味しません。むしろ他者と協力することが自己の利益suum utilisとなるならば,その人間は他者と協力するということがこの定理からは出てこなければならないのです。そしてその限りにおいては諸個人が自分の利益だけを考慮に入れているということはできないのであり,その状態は自然状態とはいえないことになります。いい換えれば個々の人間の現実的本性actualis essentiaが,自然状態は人類史の中で存在しなかったということの証明Demonstratioを含んでいると僕は考えるのです。そしておそらくスピノザも,それに近い考え方をしているのではないかと思うのです。
 もちろんスピノザははっきりとそういっているわけではありませんから,これは僕の仮説のようなものであり,実際にそうだったといえるわけではないでしょう。ただいずれにしてもスピノザが社会契約説を軽視するのは事実です。
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神奈川新聞社賞ローレル賞&自然権と自然状態

2024-11-13 18:56:26 | 地方競馬
 北海道から1頭が遠征してきた東京2歳優駿牝馬トライアルの昨晩の第24回ローレル賞
                            
 逃げたのはリオンダリーナ。ただ2番手のサティスファイアと3番手のピーチブロッサムはほとんど差がなく追走しました。4番手はプラウドフレールとピンクタオルチャン。ドナギニーを挟んでチャチャハツゴウとモンゲーキララも併走。さらにザゴリ,オリコウデレガンス,ウィルシャインの3頭。これらの後ろにランベリーとなり,集団の最後尾がグレアネオンライト。シナノラビットは集団から3馬身ほど遅れた最後尾になりました。前半の800mは50秒6のハイペース。
 3コーナーからリオンダリーナとサティスファイアが併走に。その後ろからプラウドフレール,ピンクタオルチャン,モンゲーキララ,ウィルシャイン,オリコウデレガンスの5頭が並んで追い上げてくるという形。直線では外の2頭が前に出て,先んじて先頭に立ったウィルシャインが優勝。大外のオリコウデレガンスが4分の3馬身差で2着。捲り上げた馬のうち最も内にいたプラウドフレールが1馬身半差の3着。
 優勝したウィルシャインは南関東重賞初挑戦での優勝。8月のデビュー戦を勝つと9月の条件戦で2勝目。これでデビューから3連勝となりました。デビュー戦が船橋の1000mで2戦目が船橋の1200m。ここは相手が強化され,競馬場が変わった上に距離も伸びてのものでしたから,これは評価に値するでしょう。ただ,リオンダリーナはレース前に馬体の検査を受け,異常がなかったということでの出走。影響があったかは別としても,力を発揮できなかったのは一目瞭然。2着のオリコウデレガンスは発馬後の直線で明確な不利を受けてのものですから,勝ち馬のレベルが例年の水準には達していないという可能性も考慮しておく必要がありそうです。父はジャスタウェイ。3代母の半姉に1999年のユニコーンステークスとシリウスステークス,2000年のかきつばた記念とプロキオンステークスと南部杯を勝ったゴールドティアラ
 騎乗した船橋の本田正重騎手は川崎スパーキングスプリント以来の南関東重賞19勝目。ローレル賞は初勝利。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞14勝目。ローレル賞は初勝利。

 実際には前にもいっておいたように,社会契約そのものにスピノザは重きを置いているとはいえないので,共同社会状態status civilisの権力の維持のために何が必要であるのかということを,社会契約の観点から説明することが,スピノザの政治論において大きな意味があるとはいえないかもしれません。ただ,こうしたこともスピノザが自然状態status naturalisという概念notioを経由せずに自然権jus naturaeを規定していることから生じているといえます。
 吉田は,スピノザが社会契約説を軽視することも,自然状態を経由せずに自然権を規定していることから生じているといっています。この点も詳しくみていくことにします。これは第八回ではなく第一四回の方で言及されています。それは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では社会契約説に言及していますが,『国家論Tractatus Politicus』では社会契約説が姿を消してしまっていることと関係します。要するに第八回では『神学・政治論』がメインテーマになっているのに対し,第一四回では『国家論』の方がメインに講義されているということです。
 『国家論』の第二章は自然権についてという題名になっています。その第一五節の冒頭で,自然状態においては各人は自己を他の圧迫から防ぎ得る間だけ自己の権利の下にあるといわれています。この自己の権利が自然権を意味するのは間違いありません。一方,自然状態の方はこれよりも前に何の規定もされていません。したがって自然状態がどのような状態であるかといえば,自己を他の圧迫から防ぎ得る間だけ自然権の下にある状態であるということになるでしょう。つまりスピノザは自然権を自然状態という概念を経由せずに規定しているだけではなく,むしろ自然状態が,自然権のある状況の方から規定されていることになります。これはちょうどホッブズThomas Hobbesの真逆になっています。ホッブズはまず自然状態というのを規定しておいて,その万人の万人に対する闘争状態において個々の人間が行使する力potentiaのことを自然権といっているわけです。つまり自然状態なしに自然権を考えるconcipereことはできません。対してスピノザは,個々の人間がなし得る力すなわち自然権がある状態であるとき,その状態のことを自然状態といっていることになるのです。
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ハイセイコー記念&重みの理由

2024-11-09 19:09:42 | 地方競馬
 6日に行われた全日本2歳優駿トライアルの第57回ハイセイコー記念
 スマイルマンボがスムーズにハナへ。2番手にシビックドリーム。3番手はユウユウスキーとシナノクーパーとアクナーテンの3頭。3馬身差でパルヴェニュー。1馬身差でレーヌバンケット。1馬身差でユメカイドウと二ホンダイラ。1馬身差でスキャロップとグリークトレジャー。3馬身差でアレンパ。1馬身差でナイトウォーリア。1馬身差でピノマハナ。2馬身差でムサシエクスプレス。3馬身差の最後尾にヴァンディヴェール。前半の800mは51秒2のミドルペース。
 3コーナーでは2番手のシビックドリームに鞭が入り必死にスマイルマンボを追走。アクナーテンが単独の3番手に上がりユウユウスキーが4番手に。逃げたシビックドリームは楽な手応えで直線に向かい,後ろを引き離し鋭く逃げ切って優勝。早めに鞭が入りながら喰らいついたシビックドリームが6馬身差で3着。3コーナーでは4番手になりましたがインを回って再び追い上げたユウユウスキーが2馬身半差で3着。一旦は3番手のアクナーテンは3馬身差の4着。
 優勝したスマイルマンボは南関東重賞初出走での優勝。北海道でデビュー。デビュー戦を勝ち,特別戦で2着に入ると大井に転入。転入初戦を7馬身差で快勝してここに臨んでいました。そのときに負かした馬がゴールドジュニアを勝ちましたので,力量は相当と目されここは1番人気。典型的な前残りのレースでしたから,着差ほどの能力差を見込んでよいかは疑問ですが,この馬自身は相当の能力を有しているとみていいでしょう。テンポイントなどが出る戦前からのいわゆる在来牝系の出自で母が2012年のTCK女王盃を勝ったハルサンサン。その父がサウスヴィグラス
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はマイルグランプリ以来の南関東重賞43勝目。第51回,55回に続く2年ぶりのハイセイコー記念3勝目。管理している大井の坂井英光調教師は南関東重賞7勝目。ハイセイコー記念は初勝利。

 まず自然状態status naturalisがあって,その自然状態において各人がなし得るpotentiaを自然権jus naturaeと規定したとしても,共同社会状態status civilisにおいて自然権を放棄するということは不条理なのです。実際のところ,人間に与えられているある力,すなわちなし得ることをなし得なくなるということと,何らかの契約pactumによってなし得ることをなさないようにするということは別のことなのであり,なし得ることをなさないように契約するということは,なし得ることをなし得なくなるということとは異なるといわなければならないでしょう。しかしホッブズThomas Hobbesはこのふたつ,つまりなし得ることをなさないと契約するすることと,なし得ることがなし得なくなるということとを同一視しているので,その分だけ社会契約の重みが重くなるのだと僕は考えます。
                            
 この点を吉田がどのように説明しているのかをみておきましょう。
 すでに説明してきたように,ホッブズはまず共同社会状態なき自然状態というのを規定して,自然権をその自然状態によって説明します。これは自然状態を概念notioの上で自然権に先行させるということです。これに対してスピノザの哲学は,自然状態に触れることなく自然権を規定することができるようになっています。ここでは詳細を省くのでその点については『スピノザ 人間の自由の哲学』を読んでほしいのですが,実際にスピノザは自然権を規定するときに自然状態には触れていません。つまりスピノザの哲学における自然権は自然状態から独立して規定されます。一方でスピノザは自然状態というのも概念として使用します。したがって,ホッブズとは逆に,自然権が概念の上で自然状態に先行していることになります。
 こうした順序の逆転が,スピノザの政治論においては,社会契約説に対して致命的な帰結を齎すことになると吉田はいいます。というのは,社会契約というのが自然状態の解消を目的finisとしたものであるなら,スピノザの自然権は自然状態の概念にまったく左右されないので,社会契約を結んで共同社会状態に入ろうと,あるいは社会契約を締結せずに自然状態に留まろうと,各人の自然権が当人の手のうちにまったく変わることなくあるということになるからです。
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農林水産大臣賞典JBCクラシック&一般的な自然権

2024-11-07 19:19:03 | 地方競馬
 佐賀競馬場の2000mで行われた4日の第24回JBCクラシック
 ウィリアムバローズの逃げとなり2番手にヒロイックテイルとノットゥルノ。2馬身差でガルボマンボとキリンジとメイショウハリオ。2馬身差でウィルソンテソーロ。2馬身差でアンブロジオ。2馬身差でダイモーン。1馬身差でシルトプレ。3馬身差の最後尾にシンコーマーチャンで発馬後の向正面を通過。正面に入って2番手がガルボマンボとヒロイックテイルとノットゥルノの3頭併走となり,単独の5番手にウィルソンテソーロ。直後にメイショウハリオ。2馬身差でキリンジという隊列に。さらに2周目の向正面に入るとウィルソンテソーロとガルボマンボで2番手併走という形に。スローペースでした。
 3コーナーを回ると内からウィルソンテソーロが先頭に。逃げたウィリアムバローズの外からメイショウハリオが上がって2番手は併走。先頭のまま直線に向かったウィリアムバローズはそのまま危なげなく抜け出して快勝。外を回ったメイショウハリオが4馬身差で2着。さらに外を追い込んだキリンジが3馬身差の3着で大外急襲のシルトプレが半馬身差で4着。
 優勝したウィルソンテソーロは昨年の白山大賞典以来の勝利。重賞4勝目で大レースは初制覇。大レースでの2着が3度もあった馬。ここはメンバーがやや楽だったので順当な優勝といっていいと思います。これまで勝てなかった馬がすべて出走していませんでしたので,その域まで追いついたとはいえないかもしれませんが,安定して能力を発揮する馬ですから,これからも大きく崩れることはないだろうと思います。父はキタサンブラック
                            
 騎乗した川田将雅騎手NHKマイルカップ以来の大レース45勝目。第19回,20回に続いて4年ぶりのJBCクラシック3勝目。管理している小手川準調教師は開業から4年7ヶ月で大レース初勝利。

 自己の有esseに固執するperseverare力potentiaを自然権jus naturaeとみなす考え方は,スピノザの思想においては,特別な意味を持つことになります。これは現在の考察とは直接的には関係しないのですが,無視することはできない点です。
 第三部定理七は,現実的に存在するすべての個物res singularisに妥当する定理Propositioです。したがって,自己の有に固執する力を自然権とみなすのであれば,スピノザの思想においては,人間だけが自然権を有するわけでなく,現実的に存在するすべての個物が自然権を有していることになります。もちろん僕たちは政治論を検討するときには,人間の政治論について検討するわけですから,その文脈で自然権を考える場合はとくにこのことを考慮しなくても大丈夫です。しかし哲学的な文脈ではそういうわけにはいきません。フロムErich Seligmann Frommは『人間における自由Man for Himself』の中で,スピノザが到達した徳virtusの概念notioは,一般的な規範を人間に対して適用したものにすぎないといっていますが,これが自然権の場合も当て嵌まるのであって,スピノザの哲学における自然権とは,一般的な自然権を人間に適用したものにすぎないのです。
 僕はスピノザが自然権という概念についてはホッブズThomas Hobbesからヒントを得たということを否定しません。つまり第三部定理七から直接的に自然権という概念を抽出したというわけではないと思います。しかしそれをスピノザの哲学の中で訴えるのであれば,第三部定理七でいわれている現実的本性actualis essentiaをそのまま自然権と結び付けているというほかないのであって,そうであれば自然権というのは現実的に存在するすべての個物に付与された権利なのであって,自然Naturaのうちで人間だけが特有に有する権利であると考えることはできません。実際にホッブズは自然状態において個々の人間がなし得る力についてそれを自然権と規定しているのですから,スピノザがそうした力についてそれを自然権とみなそうとすれば,第三部定理七に訴えるほかなかったとみるべきなのであり,自然権の着想をホッブズから得たスピノザにとって,自然権は現実的に存在するすべての個物に付与されている権利であり,それが現実的に存在する人間にも適用されるというのは,必然的なnecessarius結論であったといえます。
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農林水産大臣賞典JBC2歳優駿&権利と力

2024-11-06 18:55:36 | 地方競馬
 4日の第5回JBC2歳優駿
 カセノタイガーは立ち上がるような発馬になってしまい2馬身の不利。逃げたのはエイシンキャプテンで2番手にリコースパロー。3番手のイサナとローランドバローズまでが先行集団。2馬身差でタガノマカシヤ。後は1馬身の間隔でダノンフェルゼン,グランジョルノ,ソルジャーフィルドと続きました。3馬身差でカセノタイガー。8馬身差の最後尾にタカオスマイル。ハイペースでした。
 3コーナーでリコースパローが前に出るとその内からダノンフェルゼンが進出。ローランドバローズとタガノマカシヤが続いて逃げたエイシンキャプテンは後退。内から前に出たダノンフェルゼンと外のタガノマカシヤが並ぶように直線に入ると外からソルジャーフィルドの追い込み。内の2頭を差し切るとそのまま抜け出して優勝。2番手に上がったタガノマカシヤの外から差してきたグランジョルノが届いて3馬身差の2着。タガノマカシヤがクビ差で3着。発馬で不利があったカセノタイガーがクビ差の4着まで追い上げました。
 優勝した北海道のソルジャーフィルドはこれが4勝目での重賞制覇。北海道ではリコースパローがトップの存在で,この馬はブリーダーズゴールドジュニア,サンライズカップと連続してリコースパローの2着でしたから,2番手の評価。リコースパローが逃げたり先行していたのに対し,こちらは後ろからのレースでしたので,ペース次第では逆転もあり得ました。このレースはリコースパローにはペースが速すぎたということで,逆転に至ったということでしょう。まだ3着以下に負けたことがない馬ですから,全日本2歳優駿に進むなら一定の評価は必要だと思います。父は2018年のJRA賞の最優秀ダートホースとNARグランプリのダートグレード競走特別賞馬に選出されたルヴァンスレーヴでその父はシンボリクリスエス。祖母の父は1994年のラジオたんぱ賞を勝ったヤシマソブリン
 騎乗した北海道の小野楓馬騎手はデビューから5年半で重賞初勝利。管理している北海道の川島洋人調教師は開業から10年半で重賞初勝利。

 スピノザの哲学あるいは政治論は,ここまでに説明してきたホッブズThomas Hobbesの学説とは異なり,自然権jus naturaeを規定するために自然状態status naturalisというのを前提とする必要はありません。というのは,僕はホッブズの自然状態における自然権を,自己の有esseに固執するperseverare権利という,スピノザの学説に寄せた用語で説明しましたが,この自己の有に固執する権利というのが,スピノザの哲学では,第三部定理七にあるように,現実的に存在する個物res singularisの本性essentiaと規定されているからです。なおこの定理Propositioでは,権利については何か触れられているわけではなく,僕たちが用いる語では傾向conatusという語に似た意味の努力conatusといわれていますが,スピノザはこうした,現にある力potentiaというのを権利と同視するのであって,ホッブズもまた自然状態における自然権というのを,自然状態において各人が行使する力とみている点は同様であると理解して差し支えありません。ごく単純にいえば,権利と力を同一視するという点では,ホッブズとスピノザは一致しているとみてそれほど大きな間違いはないでしょう。
                       
 この点に関しては,スピノザがホッブズの影響を受けたとみることも可能だと思います。『スピノザー読む人の肖像』で自然権について探求したときにもいったことですが,ホッブズは個体に備わる力として自然権を発見したといえるのであって,スピノザも自然権という権利について考察するときに,そのホッブズの発見に従ったということができるからです。ただし,ホッブズの場合は自然状態を前提しなければ自然権を考えることができないようになっていますが,スピノザの場合は自然権を事物の現実的本性actualis essentiaとも等置しているのですから,自然権を考えるために自然状態を前提する必要はありません。事物の現実的本性というのは,その事物が自然状態にあろうと共同社会状態status civilisにあろうと同一であるからです。第二部定義二にあるように,スピノザの哲学では事物とその事物の本性は一対一で対応し合います。したがって,ある事物の現実的本性が,自然状態と共同社会状態では異なるということは,自然状態と共同社会状態である事物が別のものになるというのと同じことです。これは不条理というほかありません。
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