スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

書簡六&貧血

2024-08-10 18:57:19 | 哲学
 書簡十一は書簡六への返信でした。これは1662年4月にレインスブルフRijnsburgのスピノザからオルデンブルクHeinrich Ordenburgに宛てられたもので,遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。ただこれは原書簡がロンドンの王立協会に残っていて,それは遺稿集に掲載されたものといくらかの相違があるとのことです。遺稿集に掲載されたものはスピノザが書き残しておいたもので,当然ながら遺稿集の編集者たちはそちらを利用しましたから,それが遺稿集に掲載される運びとなりました。オルデンブルクに宛てたものは,書簡の最後にスピノザの自伝的なものが数節含まれていて,それはスピノザが保管していたものには省略されていたので,その部分は遺稿集には掲載されていません。他面からいえば,スピノザは将来的に書簡を公開するつもりで保管しておいたのですから,その部分は公開の必要はないとスピノザが考えていたということの証明といえるでしょう。
                         
 オルデンブルクとスピノザがレインスブルフで会見したのはこの前年のことで,おそらくこの書簡が書かれるまでは1年が経っていません。その間にオルデンブルクとスピノザの間には文通があったのですが,その中でオルデンブルクがロバート・ボイルRobert Boyleの著書を送りました。同時にオルデンブルクはその本に対する講評を求めました。書簡六の内容はすべて講評に充てられています。硝石並びに,物体の流動性と固定性に関するロバート・ボイルの著書への批評を含む,というのがこの書簡のタイトルで,実際に原書簡はスピノザの自伝的なものも含まれていたのでそういう題名になっているのでしょうが,遺稿集に掲載されている部分,したがって『スピノザ往復書簡集Epistolae』に掲載されている部分は,そのすべてがロバート・ボイルの著書への批評になっています。
 批評といってもその中でスピノザはいくつかの疑問点をあげ,その疑問をオルデンブルクにぶつけています。もちろんオルデンブルクにぶつけるというのは,オルデンブルクを介してロバート・ボイルにぶつけるという意味です。書簡十一は,投げ掛けられたその疑問に対するロバート・ボイルからの解答ということになります。

 帰途に薬局に寄って帰りました。この日は注射針の在庫が足りませんでした。配達を依頼して帰りました。また,この薬局が10月一杯で閉店すると知らされました。厳密にいうと閉店ではなく移転だったのですが,移転先が屛風浦駅の近くでしたので,僕がそこで薬を処方されるには不便でした。なので僕がこの薬局でインスリンと注射針を処方されたのは,この日が最後になりました。11月からは別の薬局を利用しています。その薬局については11月の通院のときに詳しく説明します。帰宅したのは午後4時でした。
 10月26日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。インフルエンザの予防接種の申込書が事前に郵送されていましたので,記入したものを妹の通所施設の担当者に渡しました。
 10月27日,金曜日。午前中にО眼科に行き,妹の目薬を処方してもらいました。いつもは妹を迎えに行った後,そのままО眼科に行くのですが,О眼科は木曜日は休診なので前日には行くことができず,この日に行ったものです。午後は本牧脳神経外科の通院でした。前回の通院のときに採血をしたのですが,貧血が進行しているとの指摘を受けました。妹は以前にも貧血の症状があり,鉄剤の処方を受けていました。ただ鉄剤は便を固くするので,みはりいぼ痔にはよくありません。このため,貧血の症状が一定程度まで改善した時点で,鉄剤の服用を中止したという経緯がありました。本牧脳神経外科の主治医はこうした経緯は知りませんでしたので,僕の方から伝えました。数値が悪化していたとはいえ,すぐに鉄剤を服用しなければないほどではないので,現状はこのままでいいだろうととのことでした。なお,後にさらに貧血を示す数値が悪化したら,鉄剤は本牧脳神経外科でも処方できるとのことでしたので,いずれは処方してもらうことになるかもしれません。
 10月29日,日曜日。この日の朝に注射針が配達されていました。注射針であれインスリンであれ,配達は薬剤師がその日の仕事が終わった後,つまり薬局の閉店後に行うものですので,実際に配達されたのは前日の夜だったのだと思います。午後は妹をグループホームに送りました。
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完全性の喪失&有機体

2024-08-03 19:19:40 | 哲学
 スピノザの哲学では,努力と能動は直接的に結びつくわけではありません。努力conatusはコナトゥスconatusを意味するので,現実的に存在する人間は能動的であろうと受動的であろうと常に努力をしているといえるからです。ただフロムErich Seligmann Frommが『人間における自由Man for Himself』の中で,こうした人間の働きと目標は,人間以外のあらゆる事物と異なるものではないというとき,これは完全に正しいといわなければなりません。フロムは人間の働きactioと目標を第三部定理六に訴えて規定していますが,この定理Propositioは現実的に存在する人間にだけ適用されるわけではなく,現実的に存在するすべての個物res singularisに適用されるからです。
                         
 この後でフロムは第四部定理二四を援用し,スピノザが到達したvirtusの概念notioは,一般的規範を人間に対して適用したものであるといっています。実際にはこの定理は,単に自己の利益suum utilisを求める原理に基づいて自己の有esseを維持するということを,理性ratioの導きに従ってなすという点が重要ではあるのですが,コナトゥスを原理としていることは間違いないのであって,確かにスピノザは人間の徳というのを規定するときに,一般的な規範を人間に対して適用しているといえるでしょう。いい換えればこれが人間の徳であれば,現実的に存在するすべての個物にとって,このことは徳であることになるでしょう。
 さらにフロムは,人間がその現実的存在を維持するということは,人間が可能性としてもっている姿になるということであるとスピノザはいっているといっています。僕はこの点についてはいくらかの補足が必要だと思います。
 まずフロムは,このこともまた人間にだけ適用されるのではなくて,現実的に存在するすべての個物に適用されるといっています。これは正しい解釈です。馬が人間になるということは,たとえば馬が昆虫になるというのと同じ意味において,馬にとっての完全性perfectioの喪失を意味します。いい換えれば馬が人間になるのであれば,それは馬にとっての悪malumです。馬が現実的存在を維持するというのは,馬が人間や昆虫になることを意味するのではなく,馬が馬としての現実的存在を維持することです。このことが人間にも妥当するのであって,たとえば人間が神Deusになってしまうなら,それは人間にとっての完全性の喪失であり,悪なのです。

 これは『国家論Tractatus Politicus』を巡る考察です。
 スピノザは『国家論』の第二章の第六節の冒頭で,多くの人びとは,愚者は自然の秩序ordo naturaeに従うのではなく自然の秩序を乱すのであって,自然における人間は国家の中の国家imperium in imperioのようなものと考えているという意味のこといっています。
 この部分を理解する前提として理解しておかなければならないのは,スピノザは国家というものを,ひとつの有機体であるかのように考えているということです。これは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』においてもみられる図式ですが,『国家論』では顕著にみられる図式であるといえます。つまり国家をひとつの身体corpusと喩え,それがひとつの精神mensによって導かれていくかのように国家論を展開していくのです。もう少し具体的にいうと,国家というものを複数の個物res singularisによって構成されるひとつの個物とみなし,かつその個物がひとつの生物であるかのようにみて論述を展開していくのです。ではそれがどのような生物としてみられるかということを國分は探求しています。たとえば身体と精神が合一した人間のようなものとして,国家をみるべきかというのが具体的な問いで,それを解明する鍵として,『国家論』の第二部第六節の冒頭を示しているのです。
 この部分は一読すると,現実的に存在する人間を,国家と同様に理性的であるとみなす謬見を糾そうとしているように解せます。国家というのは理性的であるけれど,人間は理性的であるわけではないのだから,人間というのを国家の中の国家であると考えてはいけないと主張しているようにみえるからです。しかしこの解釈は,この部分は確かにそのように解釈することができるというだけなのであって,『国家論』の全体からみると,適切といえない解釈になります。むしろスピノザが糾そうとした謬見というものがあったとすれば,それは別のものであったと國分は指摘しています。それはそもそも,人間を国家のようなものとして喩えること自体を批判しているというのが國分の見解opinioです。あるいは同じことになりますが,国家の中にあるもの,つまり国家の中の人間が,その外枠である国家と同じような仕方で存在していると考えることを批判しているのです。
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第四部定理六五証明&自己の利益と徳

2024-07-26 18:57:51 | 哲学
 第四部定理六五をスピノザがどのように証明しているのかをみておきます。
                                   
 スピノザが最初に訴求しているのは第四部序言です。ここから,僕たちがより大なる善bonumを享受することを妨害するようなそれより小なる善があるとすれば,この小なる善は悪malumといわれなければなりません。このことは第四部定義二からも明らかだといえます。これと同様に,大なる悪を妨害するような小なる悪は善であることになります。
 次にスピノザが訴求するのは第四部定理六三系です。この系Corollariumでは,僕たちは理性ratioから生じる欲望cupiditasによって直接的に善に赴き,間接的に悪を逃れることになっています。したがって,僕たちは理性の導きに従う限りでは,より小なる善よりはより大なる善に就くことになりますし,より大なる悪よりはより小なる悪に就くことになるのです。
 この証明Demonstratioから理解できるのは,理性の導きに従うということが,第四部定理六三系でいわれている,理性から生じる欲望に従うということに等置されているという点です。このとき,この系でいわれている何に注目しなければいけないのかというと,理性から生じる欲望は僕たちを直接的に善に赴かせるのに対して,間接的に悪を逃れさせるといっている点です。この直接的ということと間接的ということとの間にどのような相違があるのかということが,第四部定理六五が,また第四部定理六五から帰結するといえる第四部定理六六が,なぜ第四部定理六四と矛盾しないのかということを解決する鍵になると思われます。というのも,第四部定理六五はその文言自体もまたこの証明の内容も,それ自体でみるならば,理性が悪を十全に認識するcognoscereということを前提していると解することができるからです。

 道義心pietasというのは理性ratioから生じる欲望cupiditasの一種です。そしてこの欲望から生じる行動は敬虔pietasであるといわれます。ところがスピノザは,この行動自体は,理性から生じようと受動感情から生じようと,同じように敬虔というのです。したがって,もし殴打という行為が理性から生じる欲望によって齎されるのであれば,それは道義心による殴打であって,この殴打は善bonumというほかありません。一方,たとえば憎しみによって同じ殴打が齎されるということがあるなら,これはあくまでも仮定であって,第四部定理四五によってそういうことは実際にはないのですが,もしそれがあるとしたら,憎しみから生じるその殴打も敬虔であり,善であるということになるのです。第四部定理五九備考では憎しみという,絶対に善ではあり得ない感情に起因する殴打を例示しているので分かりにくいのですが,受動感情から発生する行動のすべてがmalumといわれるわけではないのです。いい換えれば,受動感情から生じる行為は受動感情から生じるがゆえに徳とはいわれ得ないのですが,有徳的でないからといってそれがすべからく悪といわれなければならないというものではありません。あくまでも自己の利益suum utilisという観点からみられるときに,ある所作は善といわれたり悪といわれたり,あるいは善でも悪でもないといわれることになるのであって,有徳的でないからといって必ず自己の利益に反することになるというわけではありません。
 それでは國分の探求をさらに追っていくことにします。
 なぜ他者を殴打してはいけないのかということを,『エチカ』の下に求めるとすれば,ここまでに探求してきたことがそのすべてです。たとえば憎しみodiumによって他者を殴打するとき,それは殴打する人間にとっての好ましくない状態を意味します。すなわち殴打する人間の自己の利益に反する状態を表示します。だからそれは悪であって,悪であるから他者を殴打してはいけないということが帰結するのです。これは,他者を殴打するなということに対して十分な根拠を与えているとはいえないかもしれません。というか,他者を殴打するなという道徳的命令自体を発令していないとさえいえるでしょう。
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書簡八十二&徳の規準

2024-07-17 19:25:32 | 哲学
 チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが最後にスピノザに出した手紙が書簡八十二です。遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。1676年6月23日付でパリから出されました。この時点ではライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizもまだパリにいたのではないかと推定されます。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』ではチルンハウスがライプニッツのために,シュラーGeorg Hermann Schullerに対する紹介状を書いたことになっていて,それはたぶんライプニッツがパリを発つ時点でチルンハウスがパリにいたということを意味していると僕は解します。チルンハウスが所持していた『エチカ』の草稿がステノNicola Stenoの手に渡ったのはローマでのことですから,その後でステノがパリを離れたことは間違いないと思われます。
                                        
 チルンハウスはこの書簡ではひとつの質問をしています。これは,どのようにして延長Extensioの概念conceptusから事物の多様性がアプリオリに証明されるのかというものです。チルンハウスはスピノザがそのことについて何か考えをもっているのだけれども,そのことを証明したことがないので,それを知りたいと思ったのです。ただ前もっていっておけば,スピノザはそのような仕方で事物の多様性が証明され得るというようには考えていません。そう考えていたのはデカルトRené Descartesで,しかしデカルトは,そのことは人間が認識できる事柄を超越しているのだとして,なぜそうなるのかということの証明Demonstratioはしていません。スピノザは,事物の多様性を証明するためにはデカルトのような方法methodusでは不可能であるというように考えていたのであって,この質問に関しては,チルンハウスがデカルトの見解opinioとスピノザの見解を混同しているといえそうです。
 チルンハウスはそれを知りたい理由として,ある事物の本性essentiaからはひとつの特質proprietasだけが導出されるからだとしています。つまりひとつの事物の本性から多様な事物が特質として導かれることはあり得ないとチルンハウスは考えているのです。このことをチルンハウスは数学的な観点から説明しています。ある特定の事物の本性から多数の特質が導出されるということが,たとえばどのようなことであるのかということをチルンハウスは知りたかったということになります。

 國分の検討を順序立てて追っていく前に,今回は僕の方から前もって簡単な結論を示しておきます。スピノザの道徳論の第一の規準となるものは何かといえば,それは自分自身です。このことを僕は次のような論理に訴求します。
 第四部定理二二系で,virtusの第一にして唯一の基礎はコナトゥスconatusであるといわれています。これは一般論としてそういわれていて,後でみるように実際にそう解釈することも可能ですが,一方で一般論として解するのは危険な面を含んでいます。というのも,コナトゥスというのは第三部定理七でいわれているように,各々の事物の現実的本性actualem essentiamを構成するからです。したがって,Aの現実的本性とBの現実的本性が異なる分だけ,AのコナトゥスとBのコナトゥスは異なるといわなければなりません。したがって第四部定理二二系でいわれていることは,Aの徳の第一にして唯一の基礎はAのコナトゥスであり,Bの徳の第一にして唯一の基礎はBのコナトゥスであるというように解しておく方が安全です。AのコナトゥスとBのコナトゥスは異なるので,Aの徳とBの徳もその分だけ異なるということになり,これは結局のところ,現実的に存在する人間の数だけ徳があるということになってしまうのですが,徳の第一にして唯一の基礎がコナトゥスであるといわれている以上,このように解釈しておく方が間違いは起こりにくいでしょう。
 第四部定理二五は,ほかのもののためつまり自分以外のもののためにコナトゥスを発揮することはないといっています。したがって徳の唯一にして第一の基礎であるコナトゥスは,その人のためにのみ発揮されます。すなわちAのコナトゥスはAのためにのみ働くagereコナトゥスであって,BのコナトゥスはBのためにのみ働くコナトゥスです。したがって,Aの徳はAのために働くコナトゥスを第一にして唯一の基礎とするのですから,Aの徳の基礎はA自身であるというのと同じです。このことはBにとっても同様で,現実的に存在するすべての人間に同様であるということになるでしょう。これはつまり,徳の第一にして唯一の基礎は,現実的に存在する人間にとって,その人間自身であるということになるでしょう。
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書簡七十五&中立的な意識

2024-07-09 19:30:28 | 哲学
 ライプニッツGottfried Wilhelm LeibnizがオルデンブルクHeinrich Ordenburgから見せてもらった書簡として,書簡七十三のほかにあげられているのが書簡七十五です。
                                        
 これは書簡七十四への返信。1675年12月となっていますが,書簡七十四が1675年12月16日付となっていますから,その書簡がスピノザの手許に届くまでの期間を考慮すれば,1675年もかなり押し詰まった時期に書かれたものと思われます。遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。この書簡はライプニッツが筆写したものが現在も残されていますので,ライプニッツがオルデンブルクから見せてもらったことは確定できます。
 まずスピノザがいっているのは,すべてが神Deusの本性naturaの必然性necessitasから生じるということは,神を運命に従属させることとは異なるということです。
 次に,あらゆることが神の本性の必然性から発生するとしても,神の法や人間の法を廃棄する,いい換えれば無意味に帰することにはならないということです。これは善悪と関連しているのであって,すべてが必然的にnecessario生じるとしても,善bonumや悪malumはなくならないという意味です。
 書簡七十三において奇蹟miraculumと無知を同意語とみなしたのは,神や宗教religioを奇蹟の下に築こうとする宗教家は,自身に不明瞭な事柄をさらに不明瞭な事柄で説明しようとしているにすぎないからです。これはすべてを自身の無知に帰するという意味で帰無知法というべき方法論であって,この方法論を採用すること自体がその宗教家の無知の証明Demonstratioだとスピノザはいっています。
 キリストが死者たちの間から復活したというのは,精神的なものであり,信者の把握力に応じて示されました。要するにこれは寓話で,知的能力が低い信者がキリストを信仰することを目指して物語られたとスピノザはいっています。これは書簡七十八に続いていくことになります。
 最後に,オルデンブルクがスピノザの主張に矛盾を感じるのは,東方言語の表現をヨーロッパ話法の尺度で解そうとするからだという指摘があります。これは聖書の文章を研究する際にはだれにでも適用できそうな興味深い指摘だといえそうです。

 良心の呵責conscientiae morsusを感情affectusとしてみたとき,基本感情affectus primariiのうちのどれに該当するかといえば,悲しみtristitiaであるということはいうまでもないでしょう。僕たちがいう良心の呵責は,僕たちがなした事柄に対して発生する感情ですから,ここでは良心の呵責を,自分がなした事柄の観念ideaを伴った悲しみと規定しておきます。
 第四部定理八がいっているのは,僕たちのmalumの認識cognitioは,意識化された悲しみであるということです。したがって僕たちは,悪である事柄をなしたから良心の呵責を意識するのではありません。むしろ良心の呵責を意識するがゆえに,自分がなしたことを悪と認識するcognoscereのです。悪の認識が前もってあるがゆえにそれに良心の呵責を感じるというように思っているかもしれませんが,それは思い込み,あるいは同じことですが錯覚なのであって,良心の呵責を意識することによって,自分のなしたことを悪であると認識するのです。
 基本感情は喜びlaetitiaと悲しみ,そして欲望cupiditasの三種類に分類されるのですが,欲望というのは第三部諸感情の定義一にあるように,僕たちの現実的本性actualis essentiaを構成します。僕たちの現実的本性は喜びを希求し悲しみを忌避するのですから,欲望というのは喜びを希求する欲望と悲しみを忌避する欲望の二種類に大別することができます。よってあらゆる感情は,喜びというベクトルをもつか,悲しみというベクトルをもつかのどちらかであるということができます。しかるに僕たちは喜びを意識するならそれを善と認識し,悲しみを意識するならそれを悪と認識するのです。このことから理解できるように,僕たちは自身に生じる感情を意識するなら,その途端にそれを善と認識するか,そうでないならそれを悪と認識するのです。前もっていっておいたように,僕たちが意識するのは感情だけではないのですが,少なくとも僕たちの感情を意識する限り,僕たちはすでに善と悪の判断を下してしまっているのですから,善悪の判断にその感情の意識とは別の,いわば中立的な意識が介在する余地はありません。このことからも,中立的な良心が前もってあって.その良心が善なり悪なりを判断するということが,僕たちの錯覚にすぎないことが理解できるでしょう。
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書簡七十三&政治秩序

2024-07-01 19:26:24 | 哲学
 『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,ロンドンでオルデンブルクHeinrich Ordenburgと面会したライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが,何通かの書簡を見せてもらったとされています。そのうちのひとつが書簡七十三です。これは書簡七十一の返信で,出された日付が確定できないのですが,1675年11月か12月。遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。
                                        
 書簡七十一でオルデンブルクは3つの質問をスピノザにしています。これはその質問に対する解答です。ここでは質問は省略し,スピノザが何をいっているのかだけを示します。
 まず,神Deusと自然Naturaに対する見解opinioは,近代のキリスト教徒たちが抱いているものと,スピノザ自身が抱いているものとで異なるということです。このことは,第一部定義六で神を絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamであるといっていうことおよび,第四部序言で神と自然とをそうは違わないものと規定していることから明らかですが,ここでスピノザが強調しているのは,第一部定理一八に関することです。すなわち近代のキリスト教徒たちは神を超越的原因causa transiensとみなすが,スピノザは神を内在的原因causa immanensとみなすということです。したがってスピノザの見解では,第一部定理二九備考にあるように,内在的原因としての能産的自然Natura Naturansとその結果effectusである所産的自然Natura Naturataに,自然が分類されることになります。
 次に,神の啓示の確実性certitudoは,奇蹟miraculumの上には築かれないということです。これは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』で詳しく分析されている事柄のひとつで,スピノザにとって奇蹟は無知を表すものなので,啓示の確実性を担保するのではありません。それを担保するのは教説の中にある叡智そのものであって,無知ではないのです。
 最後に,我々の救いのためにキリストを肉に従って認識するcognoscereことは,絶対に必要であるというわけではないということです。ここで救いというのは,第五部定理四二の至福beatitudoと解していいだろうと僕は考えます。スピノザは,キリストを肉に従って認識することによっては救われないといっているのではなく,その方法でも救われることは是認しています。ただ救われる方法は,それだけではないというのがこの部分の主旨です。

 契約pactumの二重化という考え方が示しているのは,スピノザが政治の秩序ordoに宗教religioが必要であると考えていることです。これはそれ自体でみれば時代的制約というほかないのであって,たとえば現代の日本の政治にこの理論をそのまま適用するのは難しいでしょう。しかし國分は,このように考えてスピノザの政治理論を捨ててしまうことは,スピノザの議論そのものがもっている構造を捉え損ねることになると指摘しています。スピノザが政治に宗教が必要であるというときに示されているのは,単純な法制度や理性的計算だけで政治の秩序は作出することができないということで,これは現代の政治論,というか現代に限らず政治論一般に適用できると國分は考えるのです。いい換えれば政治秩序のためには,法制度や計算には還元することができない何かが必要だと國分はいうのです。実際に僕たちが法lexを遵守するのは,処罰に不安metusを感じるからであるという場合もあるでしょうが,すべからくそこに還元することができるわけではないでしょう。不安による秩序形成も計算による秩序形成も,意味をなさないわけではないし,僕は大いに意味があると考えますが,しかし一方でそれだけに頼ることができないのも事実だと思いますし,それだけに頼ってしまうのは望ましくもないでしょう。なのでこの國分の指摘は,耳を傾ける価値が大いにあると思います。
 神Deusとの契約というような要素をそのままの形で現代の世俗国家に適用することはできません。ではそうした国家Imperiumは,法制度と理性的計算だけで政治秩序を作り出しているのかといえば,そういうわけでもありません。現代の世俗国家も,ある価値の共有というのは必要としていたのだし,その価値を宗教以外の何かに求めてそれを実現しようとしたのだと國分はいいます。このゆえにその法規範は,神との契約がそうであったように,至高の政治権力を抑制することもできるし,暴走を防ぐこともできるのです。
 國分がいうように,このような保証は完全なものではありません。それは神との契約が完全な保証になり得ないというのと同じです。ただ法や計算には還元できない何かがあることは,その通りではないでしょうか。
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書簡十一&放棄

2024-06-24 19:07:48 | 哲学
 書簡十三は書簡十一への返信です。当然ながらこちらはオルデンブルクHeinrich Ordenburgからスピノザに宛てられたもの。1663年4月3日付で遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。
                                        
 手紙の前半部分,というかこれは中心部分ですが,この部分はロバート・ボイルRobert Boyleからスピノザへの返事になっています。スピノザがオルデンブルクに宛てた書簡六の中で,スピノザはボイルに対して数々の疑問を投げ掛けていたのですが,それに対するボイルからの返信ということです。ただ,スピノザとボイルの間では,哲学的な立ち位置が異なりますので,この返信がスピノザを納得させられるものであったかどうかは疑問です。いくらボイルが自身の硝石に関する実験の正当性を主張したとしても,スピノザの中心的な関心はそこにあったわけではなかったと思われるのです。
 このことに関連してはこの部分の冒頭で,ボイルは硝石に関する哲学的な分析を試みることにあったわけではなく,スコラ学派で受け入れられている通俗的な学説が薄弱な基礎の上に立っているということと,諸物の間にある種差は部分の大きさ,運動motusと静止quies,位置に帰せられることを示すためであったといわれています。つまり,何か正しい哲学的分析の結論を出すということを意図しているわけではなく,単に現に受け入れられている哲学的基盤は,実際には基盤として怪しいということを示す意図であったということです。たぶん現に受け入れられている基盤が怪しいということはスピノザも同意すると思いますが,では実際の基盤が何かということはスピノザには明らかだと思えていたので,それを導こうとしないことには不満を抱いたのではないでしょうか。
 後半はオルデンブルクからスピノザに対する質問ですが,これはスピノザの著作が完成したかどうかを問うものにすぎません。この著作は『短論文Korte Verhandeling van God / de Mensch en deszelfs Welstand』か『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』ですが,畠中はその両方を示しているという主旨の訳注を付しています。

 ホッブズThomas Hobbesがいう自然法lex naturalisは,社会契約という形で現実化されることになっています。この点に関しても,ホッブズがそれを理念的に考えていたのか,それとも人類の歴史が現にそういうものであったと解していたかは分かりません。僕はそもそもホッブズがいう自然状態status naturalisというのが人類の歴史の中で存在したと考えないので,これは理念的にしか解することができません。自然法はあるいは社会契約は,人間が自然状態を脱却するために現実化されるものですから,脱却するべき自然状態が存在しなかったのなら,そこから脱却するために社会契約を締結する必要性もなかったということになるからです。ただホッブズの政治理論では,あるいは国家論では,人びとは自らの意志voluntasで自然権を放棄して,共通の権力を設立するための契約pactumを結ぶということに,事実としてなっています。
 僕がそれをどのように解しているのかということから分かるように,たとえこれを理論的なものとだけ解するにしても,大きな難点を抱えています。この難点を國分は別の角度から説明しています。ホッブズがいう自然権が,どんなことでも行うことができる自由libertasであるというなら,この自然権は個々の人間に与えられている力potentiaそのものと解するほかありません。一方で自然法が教えているのは,この自然権を放棄することとなっています。ここで放棄するというのは,たとえば手にしている武器を捨てて使えないようにするという意味です。しかし,たとえば武器を捨てるのと同じように,自然権を捨てることができるのかといえば,そんなことができるわけがありません。武器と違って自然権は個々の人間に属する力のことだからです。武器は捨てることができますが,力は捨てることができません。できるとすれば,力を使用しないということ,すなわち自制するということだけです。
 ここから分かるように,ホッブズは実際には捨てることができないものを捨てるように自然法が命じているといっているのです。他面からいえば,力を自制するということを力を放棄するといっているのです。つまり自制と放棄を同じ意味で使用しているという点で,この論理には不徹底なところが残っています。
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書簡六十一&第四部定理四七備考

2024-06-14 19:35:03 | 哲学
 書簡三十三オルデンブルクHeinrich Ordenburgからスピノザに送られたのが1665年12月8日。次のオルデンブルクからスピノザへの書簡は,記録が残っているのは書簡六十一で,1675年6月8日付です。実に10年ほどの間隔で送られたものでした。遺稿集Opera Posthumaに掲載されています。
                                        
 ただし,この書簡の少し前に,オルデンブルクがスピノザに書簡を送ったことが,この書簡から確定できます。その書簡の内容は,スピノザが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を寄贈してくれたことへの礼と,『神学・政治論』へのオルデンブルクの見解だったようです。オルデンブルクはその書簡がスピノザに届いたかどうか心許なく思っていると書いていますので,たぶん届かなかったのでしょう。オルデンブルクとスピノザの間の書簡はほとんどが遺稿集に掲載されていて,届いたのならそれも掲載されたとするのが妥当だと僕は思うからです。
 おそらくスピノザに届かなかった書簡の中で,オルデンブルクは『神学・政治論』について批判的な見解を記したのですが,こちらの書簡ではその見解というのは誤りであって,スピノザがキリスト教を害そうと企てていることはまったくあり得ないと考え直したという主旨のことをいっています。オルデンブルクとスピノザの間で文通が再開されたのは,何度もいっているようにチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausがオルデンブルクと面会したことが契機となっているのですが,そのときにおそらくチルンハウスが,何らかの仕方でオルデンブルクを説得し,オルデンブルクは自身の見解を改めたということでしょう。ただし実際は,オルデンブルクが最初に感じたことの方が,オルデンブルクの思想には近かったのであって,そのことはこれ以降の文通によって徐々に明らかになっていくことになります。そもそもチルンハウスとオルデンブルクの間で,キリスト教がどのような宗教であるのかということの考え方に差異があり,しかしオルデンブルクはその差異に気付かなかったために,チルンハウスにはキリスト教に反しないと思われたことについて,オルデンブルクもそれを鵜呑みにしてしまったということだったのではないでしょうか。ただその誤解があったから,文通は再開されることになったとはいえると思います。

 第四部定理四七は,希望spesと不安metusに関する一般的な評価であって,それらはともに善bonumではあり得ないといわれています。各々の評価が一致するのは,スピノザが希望と不安を表裏一体の感情affectusとしてみているからで,たとえ希望はそれ自体でみれば喜びlaetitiaであり,第四部定理八により,善が意識化された喜びであったとしても,意識化された希望はそれ自体では善ではあり得ないということになるのです。ですからここではスピノザは一般的には希望も不安も善ではあり得ないといっているのですが,相対的にみれば喜びである希望を低く評価し,悲しみtristitiaである不安を高く評価しているということになるでしょう。とりわけ希望がそれ以外の喜びと比較されたとき,このことはより明瞭になるといえるでしょう。一方,不安は悲しみの一種なので,それ自体で悪malumといわれなければならないのですが,それが希望と表裏一体の感情としてみられるなら,それ自体で悪であるというより,それ自体で善ではあり得ないといういい方になるのであって,このときには不安はほかの悲しみと比較されたときには,相対的に高く評価されていることになります。
 スピノザはこの後の備考Scholiumで,さらに一般的な評価を下しています。
 「これに加えて,これらの感情は,認識の欠乏および精神の無能力を表示するものである。そしてこの理由から安堵,絶望,歓喜および落胆もまた無能な精神の標識である」。
 希望や不安が認識cognitioの欠乏privatioを示しているということは,各々の感情の定義Definitioから明白であるといえるからここでは詳しく説明しません。ただこれは,僕たちはある確実な事柄については希望も不安も感じないということから,経験的に明白であるとだけいっておきます。実現するか実現しないか分からない事柄に対して僕たちは希望なり不安なりを感じるのですが,ここで分からないというのは確実な認識の欠乏にほかならないのであって,それは僕たちの精神mensの無能力impotentiaそのものです。他面からいえば,現実的に存在する人間は未来のことを確実に知る力potentiaをもたないのであり,その力がないという意味で無能impotentiaです。要するにこの種の無能力は,現実的に存在するすべての人間に妥当することになります。
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努力と能動&観想と表象

2024-06-05 19:02:22 | 哲学
 努力conatusとは何かということを検討したときに明らかにしたように,現実的に存在する人間が自己の有esseに固執するperseverareことに努力するconariとき,それが能動的である場合を努力というのであれば,努力はすべての能動actioに帰せられることになります。いい換えればこの場合の努力は能動と意味の相違がないことになります。よってこのような意味において努力という語を使用することには何も意味がないことになってしまいます。
                                   
 このことから理解できるのは,スピノザの哲学で努力といわれるときには,それは能動を意味するわけではないということです。もちろん能動的に努力することもあるのですが,受動的に努力することもあるということです。第三部定理六というのは,現実的に存在する人間が能動的である場合でも受動的である場合でも適用されます。これは第三部定理九から明らかです。そしてこの定理Propositioにおいてスピノザは努力という語を用いているのですから,スピノザが努力を能動あるいは受動passioの一方と関連付けていないということは明白です。
 コナトゥスconatusを努力という日本語に翻訳するとき,気をつけなければならないことはいくつかあるのですが,このこともそのひとつであるといえるでしょう。一般的には僕たちは何事かに向けて努力するというなら,その人がその何事かに向かって能動的に立ち向かうという意味に理解するのではないでしょうか。ところがスピノザの哲学で努力といわれるときには,それは成立しないのです。それどころか,第三部定理六というのは能動的であろうと受動的であろうと成立するのであり,しかも人間は能動的であるか受動的であるかのどちらかなのですから,実はこの定理は人間が現実的に存在しているときには常に適用されるのです。そしてこのことが努力といわれるのですから,現実的に存在する人間は常に努力しているということになります。ここがとくに重要です。現実的に存在する人間は常に努力しているのであって,そこに能動も受動もないのです。

 観想するcontemplariという思惟作用は,精神の能動actio Mentisであるか受動passioであるかとは関係なく使われるということが分かりました。したがって,これはある仕方で精神mensが事物を認識するcognoscereときに,それが受動であるか能動であるかに関わらずに用いられるということになります。ではその仕方がどのような仕方であるのかということについては,國分がいっていることがヒントになるのではないでしょうか。國分がいうには,人間は自分の能力potentiaを観想することはあるけれど,自分の無能力impotentiaを観想することはないのであって,それは表象されるのだといっていて,その理由は,自己の力は自分自身を認識するだけで成立する思惟作用であるのに対し,自己の無能力は自分自身を認識するだけでは成立しない思惟作用であって,自分自身を他と比較するときに成立する思惟作用であるといっていました。つまり人間の精神mens humanaがある事物を観想するというのは,観想されるあるものをそれ単独で認識する場合に用いられる思惟作用であるということになります。
 第二部定理一七は,表象imaginatioという作用について,事物を現実的に存在するということを観想するといっていて,これは國分の指摘に反すると思われるかもしれませんが,そうともいえません。というのはこの定理Propositioでいわれているのは,ある表象像imagoが単独で認識されるということを前提しているのであって,そのような単独で認識された表象像は,やはり単独で認識された別の表象像によって排除されるといっていると解せるからです。ですから自己の無能力は観想されるということはなく表象されるのですが,だからといって表象像が観想されることはないというわけではありません。一方,自己の力は観想されるものであって,それは概念される場合もあるのですが,必ず概念されるというわけではなく,表象される,つまり自己の力が現実的に存在すると観想される場合もあるでしょう。表象するimaginariとは,事物が現実的に存在すると知覚されることですが,観想するは事物が概念される場合と知覚される場合の両方を含むので,表象像が観想されるということはあり得るのであって,ただし複数のものが比較されるなら,それは観想するとはいわれないのです。
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返信の推測&慣性の法則とコナトゥス

2024-05-28 19:14:31 | 哲学
 書簡三十三には返信がありません。これは見つかっていないだけかもしれませんし,スピノザが書かなかったのかもしれません。その内容がどのようなものになるかは,推測するしかありませんので,試みてみます。ただしこれは,オルデンブルクHeinrich Ordenburgがユダヤ人の動向について尋ねている事柄に限定します。
                                        
 ユダヤ人の帰還に関しては,スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の中で,いずれはユダヤ人は再び建国するであろうということをいっていますが,これは将来的なことであって,スピノザが生きている時代にそのようなことが起こるとはスピノザは考えていなかったと思います。この部分はすでに探求したように,ユダヤ人は国家Imperiumを失った後でもユダヤ人としてのアイデンティティを失わなかったということの帰結としていわれているのであり,すなわちユダヤ人はこれからもユダヤ人としての儀式を継続していくだろうし,それが継続していくのであればいずれは再建国も夢ではないだろうというような意味だと僕は考えています。
 一方,アムステルダムAmsterdamのユダヤ人がこのことをどのように受け止めているのかということは,スピノザはよく分からなかったのではないでしょうか。スピノザはユダヤ人共同体からは追放されていましたし,追放した側のユダヤ人たちは,スピノザとの接触を禁じられていました。スピノザの方も積極的に交流するつもりはなかったでしょうから,この時点でスピノザと交流があったアムステルダム在住のユダヤ人というのは皆無であった筈です。もちろんスピノザの友人の中には,アムステルダムでユダヤ人と交流をもっていた人がこの時点でもまだいたでしょうから,そうした友人を通じてユダヤ人たちのことがスピノザに伝わるということがまったくなかったとは思いませんが,それでも帰還について具体的にどのように考えているのかということがスピノザに伝わっていたとは思えません。ですからこのことについてはスピノザは噂としては聞き及ぶことがあったとしても,何か具体的に答えることができたとは思えないです。ですからスピノザはオルデンブルクのこの質問に対しては,確たることは答えられなかったと僕は考えています。

 『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』で慣性の法則がコナトゥスconatusとされていることによって,なぜ現実的に存在する個物res singularisがコナトゥスを有するということになるのかということについては,國分の説明をみていきましょう。
 ある個物が現実的に存在するということは,その個物を生成し,存在させる方向へ諸々の原因causaが一致して働きをなしたからです。このことは個物が自己原因causa suiではないということから明白といわなければなりません。しかるにこの働きは,外部からそれを妨げる原因が与えられない限りは,慣性の法則によってその状態を維持しようとします。このことは第三部定理四と一致しているといえるでしょう。したがって個物は現実的に存在している以上は,存在し続ける方向へとpotentiaが働くのです。もちろん現実的に存在する個物は,ほかの現実的に存在する諸々の個物の影響を多様な仕方で受けますから,存在し続ける方向へと働く力自体は変化するといわなければなりません。このことは現実的に存在する個物の実在性realitasは,より大なる実在性からより小なる実在性へも移行するし,より小なる実在性からより大なる実在性へも移行することもあるということで,かつもし外部の力が現実的に存在するある個物のコナトゥスを完全に凌駕してしまえば,その個物は存在することをやめてしまうでしょう。すなわち,現実的に存在する人間についていえば,人間は喜びlaetitiaを感じることもあれば悲しみtristitiaを感じることもあり,たとえ悲しみを感じるとしてもそれは実在性すなわち完全性perfectioなのであって,かつ,外部の力に凌駕されてしまうなら,その人間は死んでしまうであろうということです。この人間の例からして,國分がいっていることが成立していることはよく理解できると思います。
 したがって,現実的に存在する個物は,必ずいつか現実的に存在することをやめることになるのですが,現実的に存在することになった以上は,その存在を持続するdurare方向へと働く力を,自然界には慣性の法則があるというのと同じ意味で,有していることになるのであって,かつ現実的に存在している間はその力すなわちコナトゥスをもち続けることになるのです。
 この部分の考察はここまでです。
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現在と未来&第三部諸感情の定義一説明

2024-05-21 19:10:36 | 哲学
 支払いの例から分かるように,第四部定理六四第四部定理六六は両立します。すなわち,悪の認識は混乱した認識cognitioであり,それは理性ratioによる認識ではあり得ないのですが,僕たちは理性に従うのであれば,より大なる未来の悪malumよりもより小なる現在の悪を欲望することになるのです。このことをどのように論理づけていくかが課題です。
                                   
 まず,課題の中で,わりと簡単に片づけられることをあげておきましょう。
 第二部定理四四系二にあるように,ものを永遠の相aeternitatis specieの下に認識するpercipereということは理性の本性natura Rationisに属します。よって,もしも理性が悪を認識するということがあるのなら,それがいつ与えられる悪であるのかということは関係ありません。ですから理性は単に大なる悪よりは小なる悪を欲望するのであって,それが現在の悪であるのか未来の悪であるのかということは関係ありません。つまりここでいわれていることのうち,その悪が未来に関係するか現在と関係するかということは,条件としては無視することができます。逆にいえば,理性は大なる悪よりは小なる悪を欲望するというだけで,未来の大なる悪よりも現在の小なる悪を欲望するということは帰結するのです。このことは,第四部定理六五でいわれていることなのであって,すなわち第四部定理六五でいわれていることが真verumであるのなら,第四部定理六六でいわれていることも真であるということが帰結するのです。よって,第四部定理六五は,ふたつの悪を理性が認識するということを前提としていますので,これがなぜ第四部定理六四と矛盾しないのかということを解決することができれば,第四部定理六六と第四部定理六四の間にあると思われる矛盾も解消されます。
 そこでここからは,第四部定理六五が,どのようなことを前提としていわれているのかということを考えていくことにします。

 第三部諸感情の定義一によれば,欲望cupiditasとは,与えられる各々の変状affectioによって,現実的に存在する人間が何事かをなすように決定される限りにおいて,人間の現実的本性actualis essentiaであるとなっています。したがって人間の現実的本性は,受動状態においてという限定をつけなければなりませんが,人間を何事かをなすように突き動かす力potentiaといえます。この力は第三部定理九備考でいわれている衝動appetitusにほかなりませんし,第三部定理七でいわれているコナトゥスConatusにほかなりません。したがってこの定義Definitioは,同じく第三部定理九備考でいわれている,欲望は意識を伴った衝動であるCupiditas est appentitus cum ejusdem conscientiaということを,否定しているわけではないことは理解できるでしょう。
 第二部定理二三は,現実的に存在する人間の精神mens humanaが,自身の精神を認識するcognoscereのは,その人間の身体humanum corpusが外部の物体corpusによって刺激されるaffici観念ideaを通してのみであるといっています。他面からいえば,僕たちはこの様式を通してしか自分の精神を認識しないのです。第三部諸感情の定義一が,各々の変状について言及しているのは,なぜ人間が自身の欲望を認識できるのかを示すことよって,第三部定理九備考でスピノザがいっていたことの妥当性の根拠を示すためであったと國分は指摘しています。確かに第三部定理九備考は,その全文を通して,人間の身体が外部の物体から刺激を受けるafficiこと,およびその刺激を受けた身体の観念を形成するということには触れていません。一方,第三部定理九は,人間が自己の有に固執していることと自己の有に固執していることを意識していることを等置しているように解釈できますが,なぜそのように解釈することができるのかということはまったく示していません。これらを合わせて考えるならば,この國分の指摘には一理あるといわざるを得ないでしょう。
 このことはスピノザの説明からも明白です。スピノザは,欲望を,人間があることをなすように決定される限りで人間の本性であると定義することができたけれどもそうしなかったことについて,次のように説明しているからです。
 「だがこの定義からは(第二部定理二三により)精神が自己の欲望ないし衝動を意識しうるということは出てこない」。
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書簡十三&チルンハウスとシュラー

2024-04-20 19:11:52 | 哲学
 スピノザがデカルトRené Descartesの物理学の影響を受けていた一例を示している書簡十三は,1663年7月27日付で,書簡十一の返信としてスピノザからオルデンブルクHeinrich Ordenburgに出されたもので,遺稿集Opera Posthumaに掲載されました。
                                        
 この書簡の最初の部分に,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の出版の経緯が書かれています。これは返信が遅れた事情の説明のために付せられたのですが,もしかしたらこれがないと出版の事情の詳しいことは後世に残らなかったかもしれません。
 書簡の本文の全体は,ロバート・ボイルRobert Boyleの実験に関連する事項で占められています。その中に,デカルトと関連する事柄が含まれています。
 スピノザはこれより前に,硝石の粒子はより大なる孔においてはきわめて微細な物質によって包まれるということを,真空vacuumすなわち空虚vacuumは存在しないということから論証しました。スピノザがそのように論証しているということはボイルも理解しています。ところがボイルは空虚の不可能性を,仮説としています。スピノザはこの点を不審に考えています。というのはボイルは実在的な偶有性,この偶有性というのはスコラ哲学の用語で,たとえばものの色とか匂いというような性質を意味しますが,スコラ学派ではこの偶有性は実体substantiaから離れた実在性realitasを有するとされていて,これが実在的偶有性といわれ,ボイルはその実在的偶有性を否定しています。それを否定するnegareという点でボイルはスピノザやデカルトと一致するのですが,そうであるなら空虚の不可能性を疑うのはおかしいとスピノザは考えるのです。実体なき量が存在するなら実在的偶有性は存在することになるので,偶有性の実在性を否定するならば実体なき量が存在するということを否定することになり,それは空虚の存在を否定するのと同じことだとスピノザは考えるのです。
 もうひとつ,ボイルは自身がデカルトを非難しているとは思っていなかったようですが,ボイルが書いたことと『哲学原理Principia philosophiae』を読み比べれば,ボイルがデカルトの名誉を傷つけないような仕方で,いい換えればボイルの哲学する自由libertas philosophandiに基づいて,デカルトを非難しているのは明白だとスピノザはいっています。ボイルはデカルトのことをおそらく頭に入れずに書いたのですが,それがスピノザはデカルトへの非難と受け止めたということです。いい換えればそれは,ボイルがデカルトの影響を受けていないのに対し,スピノザは受けていたということになるでしょう。

 ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが訪問するという通知をスピノザがチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausから受け取っていたということは,当然ながらチルンハウスはライプニッツがスピノザを訪問するということを知っていたということを意味します。ここでもう一度,これを時系列で追っていきましょう。
 チルンハウスがパリに到着したということをスピノザに伝えている書簡は書簡七十です。これはシュラーGeorg Hermann Schullerからのもので,1675年11月15日付です。パリに着く前にチルンハウスはイギリスを訪ねていて,そこでオルデンブルクHeinrich Ordenburgそしておそらくはロバート・ボイルRobert Boyleと面会しています。この面会で途絶えていたスピノザとオルデンブルクとの間の文通は再開したのですが,オルデンブルクからスピノザに宛てられた書簡六十一は,1675年6月8日付ですでにスピノザに届いています。つまりこの前にチルンハウスはロンドンでオルデンブルクと面会したことになります。
 書簡七十には,チルンハウスからの手紙が3ヶ月も途絶えていたので,イギリスからパリへ移る中途で何かよくないことが起こったのではないかとシュラーは心配していたという旨の記述があります。これは,チルンハウスとシュラーの間では,3ヶ月の書簡の不通でシュラーが心配するくらいの書簡のやり取りがあったということを意味する重要な資料だといえます。そしてシュラーは,今,手紙が来たといっていますから,書簡七十は,3ヶ月ぶりの書簡がチルンハウスからシュラーに届いてすぐに出されたものだと分かります。この書簡の中に,パリに到着したチルンハウスがすぐにホイヘンスChristiaan Huygensと会ったことと,ライプニッツにも出会い,『エチカ』の手稿を読ませることの許可を求めているということが書かれているわけですから,実際にチルンハウスがパリに到着したのは,チルンハウスからの書簡がシュラーに届くよりもある程度は前のことだったでしょう。ただしどんなに早くても3ヶ月前ですから,1675年8月より前だったということはあり得ません。書簡六十一が6月8日付ですから,8月にはチルンハウスがパリに到着していたという可能性はあり得ます。書簡七十の内容から,11月ということはないと思われます。
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努力&奇妙

2024-03-28 19:43:41 | 哲学
 フロムErich Seligmann Frommが『人間における自由Man for Himself』で働きと目標とを関連付けて説明するとき,それ自体では誤りがあるとはいえません。というか,むしろフロムはスピノザの哲学を正しく解釈しているといえるでしょう。ただその妥当性の再考のときにいったように,スピノザの哲学において目標というものを考察する場合に第三部定理六を援用するときには,注意しておかなければならない点があります。
                                        
 この定理Propositioは,現実的に存在する個物res singularisはそれ自身の現実的有actuale esseに固執しようと努めるconariといっています。このことはその個物が能動的であるか受動的であるかに関係ありませんが,人間にとっての徳virtusとはその人間にとっての能動actioを意味することになるので,フロムがなしている限定では受動的である場合にもこの定理が成立するということを考慮する必要はありません。したがって,現実的に存在する人間は能動的である限りは自己の有に固執しようと努めるということがフロムがここでいっていることの意味になります。するとあたかも現実的に存在する人間は,自己の有に固執するperseverareことに能動的に努めるということになるようですが,これをそのままの意味で理解してしまうと,誤りに陥る危険性があります。ここで努めるというのは,自主的に努力するということを意味するよりも,そういう傾向があるconariというほどの意味だからです。
 ただし,現実的に存在する人間が能動的であるとは,その人間がある結果effectusに対しては十全な原因causa adaequataであるという意味ですから,人間が能動的に自己の有の維持に向けて努力をするといういい方が,全面的に誤りであるといえるわけではありません。人間がある事柄に向かって十全な原因として取り組むということを努力するというのである場合は,まさに人間は自己の有の維持に能動的に努力するということにほかならないからです。ただしこのようにいう場合は,人間が何事かに向けて能動的に立ち向かうことはすべて努力といわれなければならないので,能動的に何事かをなすならそれはそれはすべて努力といわれることになります。つまりこの努力は,自己の有に維持することだけに向けられる努力ではありません。いい換えればこの場合は人間はすべての事柄に努力するということになります。

 このようにみれば,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』でスピノザが知るためには知っていることを知る必要はないというとき,國分がそれを奇妙な言い回しといっていることの意味がよく理解できるのではないでしょうか。國分はこのことをかみ砕いていうなら,何かを確実に知っているなら,そのことだけで確実性certitudoは明らかだから,自分が確実であるということをさらに知る必要はないということであると指摘しています。つまりここでは國分はこのことを,確実性とは何かということと関連させて考えています。つまり真理veritasのしるしsignumというのは観念ideaの確実性ということと同じであると國分は考えているわけで,その点は僕も同意します。ただ確実性そのものについての考察は,『スピノザー読む人の肖像』の中の『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の考察で示したばかりですから,僕のこの点に関する見解opinioはここでは省きます。
 スピノザは当たり前のことをいっているように思えると國分はいっていますが,同時にここで立ち止まってはいけないのです。僕たちが何か確実なことを知ろうとする過程において,それに照合させればそれが真理であるとされるようなしるしを僕たちが追い求めるとすれば,実は僕たちは確実に知るために,自分がそれを確実に知っているということを知ろうとしているのだということをスピノザはいっているのです。なぜなら,すでに得ている何らかの観念について,真理のしるしに照合させて真理であることを確認するという行為は,自分がその観念について確実であるということを知ろうとすることと同じであるからです。
 自分がある事柄を確実に知っているということを知ることができるのは,そのことを確実に知っている場合だけです。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。したがって,真理のしるしを追究するということは,ある事柄を確実に知る前に,自分が確実であるということを知ろうとする営為であるといえます。そのようなことが不可能であるのはいうまでもないでしょう。このような意味において,真理のしるしはあるとすれば真理そのものであって,真理のほかに真理のしるしといえるものはなく,それを知ろうとするのは無駄なことなのです。
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返信&強い決意

2024-03-17 19:42:38 | 哲学
 オルデンブルクHeinrich Ordenburgはスピノザの外見を知っていたのですから,少なくともスピノザがユダヤ人であるということは分かっていたのです。その上で書簡三十三では,ユダヤ人の帰還に関して聞いていることと,そのこと自体に関するスピノザの考えを尋ね,とくにアムステルダムAmsterdamのユダヤ人がこのことについて何を聞き,どう受け止めているのかを知りたくてたまらないといっています。スピノザがユダヤ人であるということをオルデンブルクは知っていたということを踏まえれば,オルデンブルクは当事者であるユダヤ人としてのスピノザの考えを知りたかったのでしょうし,当事者であるユダヤ人としてスピノザが聞き及んでいることを知りたくてたまらないといっていると解するべきなのではないかと僕は思います。しかし一方で,スピノザはユダヤ人であるにしても,アムステルダムのユダヤ人共同体から追放されていることをオルデンブルクは知っていた可能性がきわめて高いと僕には思えますので,この質問はいかにも不自然なものに僕には感じられるのです。
                                        
 この書簡の返信は遺稿集Opera Posthumaには掲載されていません。書簡三十三はユダヤ人の帰還だけを問うたものではありませんから,スピノザが返事をしなかったというようには僕には思えません。そしてスピノザは自分の書いた書簡についてはそのすべてを保管していたのですから,その返信の原稿もあったのではないかと推測されます。したがってそれが遺稿集に掲載されなかったのは,編集者たちが何らかの理由で掲載しなかったからではないかと思うのですが,仮にそうであったとしたら,その理由がどのあたりにあったのかというのは不明です。そもそも書簡三十三は遺稿集に掲載されたのですから,その返信を掲載しないというのは不自然すぎるようにも思えます。となると,そもそもスピノザが返信を書かなかったということになるのですが,そうするとオルデンブルクのほかの書簡には返事を書いているスピノザが,なぜこの書簡に限っては返事を書かなかったのかという疑問が生じることになります。
 スピノザが返事を書かなかったにせよ,僕が推定するように編集者たちが遺稿集への掲載を見送ったにせよ,何らかの理由があったのには間違いありません。何かそのヒントとなるものがほしいと僕は強く思っています。

 スピノザの哲学に狂気の居場所が残されているのは,直接的にはデカルトRené Descartesの哲学に対する批判であるといえるでしょう。しかし,現代社会のオペレーションシステムは,デカルトの創作したオペレーションシステムになっているということに注意を払えば,それは単にデカルトに対してだけ通用するものであるというわけではなく,現代社会を生きる僕たちに対しても向けられている批判であるといえます。つまりそれは,現代の僕たちの,理性への過信に対する警鐘であるといえるのであって,僕たちはその観点からスピノザの注意喚起を理解するのがよいと僕は考えます。
 僕たちはもしかしたら理性ratioによってすべての狂気を払拭した,あるいは払拭していると思い込んでいるかもしれません。しかし実際はそうではないのであって,第四部定理四および第四部定理四系の文脈から,人間というのは現実的に生きている限りは常に狂気に晒されているのであって,現に狂気を孕みながら生きているということになるのです。もしもそのことに気付かなければ,僕たちは容易に自身の狂気を自身の理性と勘違いしてしまうでしょう。狂気と共に生きている人間が現に存在していると感じることはあるかもしれませんが,そのように感じる人は,往々にして自分はそうではないと思い込んでいるものです。しかし実際には,現実的に生きている人間は多かれ少なかれ狂気と共に生きているのであって,それに例外はありません。そしてそのことを思えば,理性によって真理veritasを探求しようとするときに,強い決意decretumを必要とするのは,デカルトやスピノザの時代だけでなく,現代においても同様であるといえます。むしろ現代の方が,そうした決意が必要とされるのかもしれません。デカルトやスピノザの時代は,理性が確たる地位を築いていなかったがゆえに,真理の探究のためには強い決意が必要とされたのでした。それに対していえば,現代は理性の地位があまりにも確立され過ぎてしまったがために,真理を探究するために強い決意が必要とされるようになったといえるのではないでしょうか。
 フーコーMichel Foucaultの『狂気の歴史Histoire de la folie à l'âge classique』に関連する論考はこれだけです。次の考察に移ることにします。
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支払い&対立

2024-03-12 19:16:02 | 哲学
 第四部定理六六残された課題について論理的に考察していく前に,結論めいたことになってしまいますが,いっておきたいことがあります。
                                   
 悪malumの確知が十全な認識cognitioであり得るということを示していく過程の中で僕は,もしも今日は100円を入手できるけれどもそれを断念すれば明日は1000円を入手できるのであれば,よほどの事情がない限りは明日の1000円の方を選択するであろうということを例として用いました。この例示が成立しているとするならば,これとは逆のこともいえるのでなければなりません。すなわち,もしも今日は100円を支払わなければならないが,それを拒否すれば明日は1000円を支払わなければならないとしたら,僕たちはよほどの事情がない限りは今日の100円を支払うことにするでしょう。この場合,100円を支払うことも1000円を支払うことも悪であって,僕たちは未来の大なる悪よりも現在の小なる悪を選択しているということになります。これは第四部定理六六にそのまま妥当しています。したがって,この例からしてこの定理Propositioは,僕たちが悪を認識するcognoscere場合にも成立しているということになるでしょう。
 第四部定理六五は,僕たちが理性ratioに従っていようといまいと成立するのですから,そこから帰結する筈の第四部定理六六にもそれは妥当します。しかし,100円を入手することと1000円を入手することを比較するときには理性に従ってそれらを認識することができるけれども,100円を支払うことと1000円を支払うことについては僕たちは表象imaginatioでしかそれを認識することができないというのは無理があると思います。確かに未来の大なる悪が現在の小なる悪を上回るような悪であると表象される限り,僕たちは明日の1000円よりも今日の100円を支払おうとするでしょうが,それは理性に従っていた場合には必ず明日の1000円の方が大なる悪と認識されるわけですから,このことを一般的に示すことが可能になるのです。
 このことから分かるように,おそらく第四部定理六六でいわれていることは,成立するのです。なのでそれがいかに第四部定理六四と両立するのかという観点から,この課題は探求されなければならないでしょう。

 これらの点から推測すると,デカルトRené Descartesやスピノザが,空虚vacuumは存在しないということを,哲学とは無関係な物理学的な観点から主張していたという可能性はきわめて低いように僕は思います。他面からいえば,デカルトが物理学的に空虚は存在しないと主張するとき,これは万有引力説を否定して渦動説を主張するときという意味を含みますが,それは純粋に物理学的にそう主張したというよりも,自身の哲学的帰結からそのように主張したと解する方がよいと僕は思います。このことは,スピノザがロバート・ボイルRobert Boyleと議論するときにも該当するのであって,ボイルは哲学的観点は無関係に単に物理学的に物事を主張するのに対して,スピノザは哲学的観点からそれを帰結させようとしています。つまりこの点ではデカルトとスピノザの間に一致があるのであって,それに対応させればボイルやニュートンIsaac Newtonの間に一致があるといえるでしょう。
 僕は基本的にこのような対立は,上述したようなものなのであって,物理学的な結論に関わるものではないと解します。万有引力説と渦動説の対立は万有引力説が正しかったというべきだし,スピノザとボイルとの間での硝石に関する対立も,ボイルの方が正しかったというべきだと思いますが,あくまでもそれは結論に関する正しさなのであって,空虚が存在するかしないかという点に関しての正しさではないというべきです。ニュートンについてははっきりとは分かりませんが,少なくともボイルはそういうことを主張しようとしていたわけではなく,それに限らず哲学的観点には一切の関心もなかったと僕は思います。
 さらにもうひとつ,國分はボエティウスAnicius Manlius Torquatus Severinus Boethiusやトマス・アクィナスThomas Aquinasが偶然というのをどのように解しているのかという説明をしていました。このとき,偶然が発生するためには,因果関係の系列が複数ある必要があり,かつある因果関係の系列と別の因果関係の系列との間には空虚がなければならないのでした。ボエティウスやアクィナスが,偶然をどのように考えていたのかは別として,そのときに空虚があるというにせよないというにせよ,その空虚というのを物理学的な意味における空虚と考えていたとは思えません。
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