昨日のコメントにレスしてあります。
昨日から始まっていた 王将戦は羽生王将が佐藤棋聖を破り4勝3敗で防衛,三冠を守りました。佐藤棋聖は3連敗のあと3連勝(このケースは将棋界で2度目)し,初の大逆転を目指しましたが,それはなりませんでした。今からすれば,第二局で,詰みを逃したのが痛かったように思いますが,あれは詰ます手順が筋悪だったので,仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。
人間精神は人間身体の観念です(これについてはここでの証明を省きます。第二部定理一一を参照してください)。つまり,人間精神という観念の対象は人間身体なのです。なので,定理九系からして,ある人間身体の中に起こる現象の観念は,その人間身体の観念を有する限りでの神,いい換えればその人間精神の本性を構成する限りでの神,つまるところは,その人間精神の中にあるでしょう。つまり、ある人間の精神は,その人間の身体の中に起こる現象の観念を有する,あるいはその現象を認識するということになります。これで定理一二は証明されました。そしてこのように証明する限り,この論理構造には何の矛盾もないように思われます。
昨日から始まっていた 王将戦は羽生王将が佐藤棋聖を破り4勝3敗で防衛,三冠を守りました。佐藤棋聖は3連敗のあと3連勝(このケースは将棋界で2度目)し,初の大逆転を目指しましたが,それはなりませんでした。今からすれば,第二局で,詰みを逃したのが痛かったように思いますが,あれは詰ます手順が筋悪だったので,仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。
人間精神は人間身体の観念です(これについてはここでの証明を省きます。第二部定理一一を参照してください)。つまり,人間精神という観念の対象は人間身体なのです。なので,定理九系からして,ある人間身体の中に起こる現象の観念は,その人間身体の観念を有する限りでの神,いい換えればその人間精神の本性を構成する限りでの神,つまるところは,その人間精神の中にあるでしょう。つまり、ある人間の精神は,その人間の身体の中に起こる現象の観念を有する,あるいはその現象を認識するということになります。これで定理一二は証明されました。そしてこのように証明する限り,この論理構造には何の矛盾もないように思われます。