玉野記念2日目優秀として争われたももたろう賞(動画)。並びは昨日の予想通りで、出入りの激しいレースになりました。まず前を抑えたのが岡部選手で、さらにこれを井上選手が抑えて先行態勢に。残り2周のバックから小嶋選手が踏み込むと、井上選手は流しませんでしたが、先行争いというほどの争いにはならずにホームから小嶋選手が叩いて先行。やや離れ気味になった鈴木選手も何とか3番手を確保して井上選手が4番手。すると1コーナーから石丸選手が発進。バックで外をぐんぐんと上がっていきましたが、渡辺選手の横までで力尽きました。結果、逃げた小嶋選手と番手の渡辺選手、さらに8番手から捲り追い込んできた岡部選手の3人でゴールは接戦となりましたが、番手からきわどく差した渡辺選手が1着、小嶋選手が2着に逃げ粘り、大外を強襲の岡部選手は3着まででした。玉野の風の状況がどうであったのかは僕には分かりませんが、小嶋選手の強さが際立ったレースであったとは思います。
それではいよいよ第二部定理四〇をそれ自体で証明します。これは実際にスピノザがしているように、ある精神のうちにある十全な観念というのを、神と関連付ければ簡単に証明できます。すなわち、ある精神のうちに十全な観念Aがあり、この精神のうちでこのAの観念を原因としてBという観念が結果として生じるというのは、神に関連させれば、ある精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念Aを原因としてBという別の観念が生じるといっているにほかならないのです。ところで、ある精神の本性を構成する限りでの神というのは、たとえば第二部定理一一系に従う限り、その精神そのもののことであるということになります。次に第二部定理七系の意味からして、ある観念は神のうちにある場合には必然的に十全な観念であり、混乱した観念ではないということになります。したがって、ある精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念があるというのは、その精神のうちにある十全な観念があるということを意味しているのです。したがってこの場合、Aが十全な観念である限り、Bもまた十全な観念であるということになります。よって、精神のうちにある十全な観念を原因としては、十全な観念だけが結果として生じるということになるのです。
それではいよいよ第二部定理四〇をそれ自体で証明します。これは実際にスピノザがしているように、ある精神のうちにある十全な観念というのを、神と関連付ければ簡単に証明できます。すなわち、ある精神のうちに十全な観念Aがあり、この精神のうちでこのAの観念を原因としてBという観念が結果として生じるというのは、神に関連させれば、ある精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念Aを原因としてBという別の観念が生じるといっているにほかならないのです。ところで、ある精神の本性を構成する限りでの神というのは、たとえば第二部定理一一系に従う限り、その精神そのもののことであるということになります。次に第二部定理七系の意味からして、ある観念は神のうちにある場合には必然的に十全な観念であり、混乱した観念ではないということになります。したがって、ある精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念があるというのは、その精神のうちにある十全な観念があるということを意味しているのです。したがってこの場合、Aが十全な観念である限り、Bもまた十全な観念であるということになります。よって、精神のうちにある十全な観念を原因としては、十全な観念だけが結果として生じるということになるのです。