桜花賞を勝ったダイワスカーレットの父であるアグネスタキオン。この馬の母系はかなり優秀です。
日本での祖となっているのは1957年にイギリスで産まれたヘザーランズ(1-l)という馬。僕が知る限り,残っているのは輸入されて最初に産んだイコマエイカンから続く血脈で,とくにこのイコマエイカンが1976年に産んだアグネスレディーからの分枝は現在でも大きく繁栄しています。
このアグネスレディーはオークスの勝ち馬で,最優秀3歳(当時は4歳)牝馬に選出されました。このアグネスレディーが1987年に産んだアグネスフローラは桜花賞を勝ってオークスは2着。やはりこの年の最優秀3歳牝馬に選出されています。
そしてこのアグネスフローラこそがアグネスタキオンの母。つまりアグネスタキオンは母も祖母も大レース,しかもクラシックを勝っているので,アグネスタキオンまで含めると3代続けてのクラシック制覇。のみならず,アグネスタキオンのひとつ上の全兄になるアグネスフライトもダービーを勝っています。
このようにアグネスタキオンは超がつくほどの良血馬。皐月賞までに見せたパフォーマンスは,アグネスフライトの比ではありませんでしたので,かえすがえすも故障で引退というのは残念でした。
明日からGⅡのふるさとダービー函館が開催の予定ですが,台風の進路が懸念されます。これは昼の開催です。
スピノザの哲学において絶対に無限absolute infinitumであるということがどういうことであるのかということ,また絶対に無限な実在というのは神Deusだけであるということについてはこれで十分であると考えます。そこで今度は,第一部定義六説明において,もうひとつの無限として示されている,事物が自己の類において無限であるといわれる場合について考えていくことにします。
僕が思うに,これについてはむしろ有限finitumについての定義Definitioである第一部定義二を参照するのが適当です。なぜなら,この第一部定義二の意味というのは,ある事物についてそれが有限であるような場合には,必ず自己の類において有限なのであって,ほかの意味において,たとえば事物が無限である場合のように,絶対的な意味で有限であるといわれることはないということになっているからです。したがって,自己の類において無限であるものというのは,自己の類にはとどまるのだけれども,しかし有限であるとはいわれ得ないもののことであるということが,ここから出てくると考えられます。
そこでもう一度この第一部定義二の意味に注目すれば,ここでいわれている自己の類というのは,この定義の後半部分の説明から鑑みて,同一の属性attributumであると解釈するのが妥当であろうというのが結論になっています。よって,自己の類において無限であるものとは,ほかの属性に属するものによってはそうではないけれども,自己の属性に属するほかのものによっては一切の限定determinatioを受けないものであると解釈するのが妥当であろうと思われます。
日本での祖となっているのは1957年にイギリスで産まれたヘザーランズ(1-l)という馬。僕が知る限り,残っているのは輸入されて最初に産んだイコマエイカンから続く血脈で,とくにこのイコマエイカンが1976年に産んだアグネスレディーからの分枝は現在でも大きく繁栄しています。
このアグネスレディーはオークスの勝ち馬で,最優秀3歳(当時は4歳)牝馬に選出されました。このアグネスレディーが1987年に産んだアグネスフローラは桜花賞を勝ってオークスは2着。やはりこの年の最優秀3歳牝馬に選出されています。
そしてこのアグネスフローラこそがアグネスタキオンの母。つまりアグネスタキオンは母も祖母も大レース,しかもクラシックを勝っているので,アグネスタキオンまで含めると3代続けてのクラシック制覇。のみならず,アグネスタキオンのひとつ上の全兄になるアグネスフライトもダービーを勝っています。
このようにアグネスタキオンは超がつくほどの良血馬。皐月賞までに見せたパフォーマンスは,アグネスフライトの比ではありませんでしたので,かえすがえすも故障で引退というのは残念でした。
明日からGⅡのふるさとダービー函館が開催の予定ですが,台風の進路が懸念されます。これは昼の開催です。
スピノザの哲学において絶対に無限absolute infinitumであるということがどういうことであるのかということ,また絶対に無限な実在というのは神Deusだけであるということについてはこれで十分であると考えます。そこで今度は,第一部定義六説明において,もうひとつの無限として示されている,事物が自己の類において無限であるといわれる場合について考えていくことにします。
僕が思うに,これについてはむしろ有限finitumについての定義Definitioである第一部定義二を参照するのが適当です。なぜなら,この第一部定義二の意味というのは,ある事物についてそれが有限であるような場合には,必ず自己の類において有限なのであって,ほかの意味において,たとえば事物が無限である場合のように,絶対的な意味で有限であるといわれることはないということになっているからです。したがって,自己の類において無限であるものというのは,自己の類にはとどまるのだけれども,しかし有限であるとはいわれ得ないもののことであるということが,ここから出てくると考えられます。
そこでもう一度この第一部定義二の意味に注目すれば,ここでいわれている自己の類というのは,この定義の後半部分の説明から鑑みて,同一の属性attributumであると解釈するのが妥当であろうというのが結論になっています。よって,自己の類において無限であるものとは,ほかの属性に属するものによってはそうではないけれども,自己の属性に属するほかのものによっては一切の限定determinatioを受けないものであると解釈するのが妥当であろうと思われます。