南関東競馬史上最強の牝馬であるロジータの名を永く残すために作られたロジータ記念。
エンタノメガミがやや出負け。ラブスプラッシュが先手を奪って,2番手にトキノミスオース,3番手にピュアーフレーム。一塊でゆったりとしたペースでしたが,1周目の正面でエンタノメガミが外から4番手に上がりややペースアップ。前4頭と後ろが少し離れました。
向正面に入ると今度はカネショウバナナも上昇。5頭が一団になりましたが,エンタノメガミは後退し,トキノミスオースとピュアーフレームに交わされると逃げたラブスプラッシュも後退。トキノミスオースが先頭で直線に入ると,ピュアーフレームとの間を割ってカネショウバナナが2番手に。しかしカネショウバナナもここで一杯になり,後方で構えていたオルビアが外から急襲。トキノミスオースにも迫りましたがトキノミスオースが凌いで優勝。オルビアが2着で,3着も外を伸びたシーホアンが入っています。
優勝したトキノミスオースはJRA未勝利で川崎転入。転入初戦の前走を勝ってここに挑んでいました。転入前も好走を続けていましたし,体重もだいぶ増えてきていまして,ここにきて馬自身も成長してきているようです。どちらかといえば追込み型が台頭しやすいレースであったといえ,先行して凌いだのも立派。鞍上の坂井英光騎手は正月のニューイヤーカップ以来の南関東重賞2勝目です。
これらの根拠,とくに後者のものから考えて,個物Aがその個物が様態となっている神の属性を表現するということは,その個物Aが原因となって何らかのもの,たとえばXが生じるということであるといっていいだろうと思います。しかしここでは精神のうちに生じる概念について考えているのであって,このとき,精神というのは必ずしも個物であると限定できるわけではなく,無限様態としての精神も実在するということを前提としていますので,同様のことが個物だけではなくて無限様態の場合にも妥当するということについて,簡単に説明しておくことにします。
まず,個物が神の属性を一定の仕方で表現する理由ということについては,第一部定義五に訴えました。ところで,この定義五は様態に一般の定義であって,その際には無限様態も有限様態も関係ありませんから,同じ理由によって,無限様態が神の属性を表現する理由については不足するところはないということになると思います。
一方,表現する内容についても,それが原因となってある結果を生じさせるということに関しては,個物と有限様態とで,相違を見出さなければならないような理由があるとは僕には考えられません。したがって,無限様態もまた,それが原因となってある結果を生み出す限り,神の属性を表現すると考えてよいだろうと思います。もしも無限様態の場合と個物の場合との間に,ある相違点があるのだとすれば,それは表現の仕方なのだと僕は思います。すなわち,個物がある一定の仕方で神の属性を表現するのであるとすれば,無限様態は絶対的な仕方において神の属性を表現するということになるのだろうと思います。
エンタノメガミがやや出負け。ラブスプラッシュが先手を奪って,2番手にトキノミスオース,3番手にピュアーフレーム。一塊でゆったりとしたペースでしたが,1周目の正面でエンタノメガミが外から4番手に上がりややペースアップ。前4頭と後ろが少し離れました。
向正面に入ると今度はカネショウバナナも上昇。5頭が一団になりましたが,エンタノメガミは後退し,トキノミスオースとピュアーフレームに交わされると逃げたラブスプラッシュも後退。トキノミスオースが先頭で直線に入ると,ピュアーフレームとの間を割ってカネショウバナナが2番手に。しかしカネショウバナナもここで一杯になり,後方で構えていたオルビアが外から急襲。トキノミスオースにも迫りましたがトキノミスオースが凌いで優勝。オルビアが2着で,3着も外を伸びたシーホアンが入っています。
優勝したトキノミスオースはJRA未勝利で川崎転入。転入初戦の前走を勝ってここに挑んでいました。転入前も好走を続けていましたし,体重もだいぶ増えてきていまして,ここにきて馬自身も成長してきているようです。どちらかといえば追込み型が台頭しやすいレースであったといえ,先行して凌いだのも立派。鞍上の坂井英光騎手は正月のニューイヤーカップ以来の南関東重賞2勝目です。
これらの根拠,とくに後者のものから考えて,個物Aがその個物が様態となっている神の属性を表現するということは,その個物Aが原因となって何らかのもの,たとえばXが生じるということであるといっていいだろうと思います。しかしここでは精神のうちに生じる概念について考えているのであって,このとき,精神というのは必ずしも個物であると限定できるわけではなく,無限様態としての精神も実在するということを前提としていますので,同様のことが個物だけではなくて無限様態の場合にも妥当するということについて,簡単に説明しておくことにします。
まず,個物が神の属性を一定の仕方で表現する理由ということについては,第一部定義五に訴えました。ところで,この定義五は様態に一般の定義であって,その際には無限様態も有限様態も関係ありませんから,同じ理由によって,無限様態が神の属性を表現する理由については不足するところはないということになると思います。
一方,表現する内容についても,それが原因となってある結果を生じさせるということに関しては,個物と有限様態とで,相違を見出さなければならないような理由があるとは僕には考えられません。したがって,無限様態もまた,それが原因となってある結果を生み出す限り,神の属性を表現すると考えてよいだろうと思います。もしも無限様態の場合と個物の場合との間に,ある相違点があるのだとすれば,それは表現の仕方なのだと僕は思います。すなわち,個物がある一定の仕方で神の属性を表現するのであるとすれば,無限様態は絶対的な仕方において神の属性を表現するということになるのだろうと思います。