王将戦七番勝負第三局。とくに何をしたというわけでもないのですが,サイトと僕のPCの相性の悪さは改善されていました。しかしそういう日に限って,中継を見られなかったのが残念です。
久保利明八段の封じ手は▲4五銀。ここからは先手の攻め,後手の受けという展開になるのですが,結果的に先手がそのまま攻めつぶして後手を投了に追い込みました。
昨晩,封じ手の局面からいろいろ考えてみたのですが,どうも後手が互角に戦うのがすでに難しくなっているように思え,おそらく1日目が終了した時点でこの将棋はすでに先手が有利に展開していたのではないかと思います。実際,感想戦でも,羽生王将は居飛車穴熊に組んだのが無理だったという見解だったようですし,封じ手直前の△5五歩もまずかったようです。そういう意味では久保八段の快勝,羽生善治王将にしてはえらく不出来な一局であったといっていいのではないでしょうか。
久保八段が1勝を返してこれで羽生王将の2勝1敗。このシリーズ,ここまでの内容には少し不満の残るところもありますが,ともあれシリーズ全体への興味はまだ尽きることがないような結果になりましたので,その点はよかったといえるのではないかと思います,
第四局は19日と20日。久保八段がごきげん中飛車を採用するかどうかに注目が集まります。
明日からは豊橋記念が開催されます。ここはもう小嶋選手が中心になります。
このときに僕は憐憫が感情の模倣であるという点に注目し,感情の模倣の有用性という観点から憐憫という感情の有用性を考えます。すなわち,一般的に感情の模倣というのは,複数の人間の間の本性を,たとえ部分的にではあっても,一致させ,あるいは対立を解消させる方向に作用させるので,理性に従っていない場合の人間一般にとって有用であり,憐憫はこの感情の模倣のひとつなのだから,理性に従っていない人間には有用であるということです。よって僕が憐憫という感情が有用であると考える場合の有用性の意味というのは,受動感情のうち憐憫という感情だけが特別な意味で有用であるということではありません。もう少しいえば,憐憫という感情が,他人を援助するような方向にある人間を作用させるから有用であると考えているわけではないということになります。
有用性の意味というのをこのように考えるならば,逆に人間が理性に従っている場合には憐憫という感情が無用であるといわれる場合の無用性の意味も明らかになります。すなわち第四部定理三五により,人間は理性に従っている限りでは,はじめから本性が一致しているのです。よって本性を一致させるような感情としての憐憫は無用であるということになるのです。
ただし,この無用性の意味はあくまでも第二義的なものです。理性の特徴は,人間が理性に従うとは,人間が能動的であるということを意味します。第三部定理五九により,能動的な人間に関係する感情は基本感情のうちの欲望と喜びだけですから,第三部諸感情の定義一八により,悲しみの一種である憐憫という感情を,理性に従っている人間は抱くということさえないでしょう。
久保利明八段の封じ手は▲4五銀。ここからは先手の攻め,後手の受けという展開になるのですが,結果的に先手がそのまま攻めつぶして後手を投了に追い込みました。
昨晩,封じ手の局面からいろいろ考えてみたのですが,どうも後手が互角に戦うのがすでに難しくなっているように思え,おそらく1日目が終了した時点でこの将棋はすでに先手が有利に展開していたのではないかと思います。実際,感想戦でも,羽生王将は居飛車穴熊に組んだのが無理だったという見解だったようですし,封じ手直前の△5五歩もまずかったようです。そういう意味では久保八段の快勝,羽生善治王将にしてはえらく不出来な一局であったといっていいのではないでしょうか。
久保八段が1勝を返してこれで羽生王将の2勝1敗。このシリーズ,ここまでの内容には少し不満の残るところもありますが,ともあれシリーズ全体への興味はまだ尽きることがないような結果になりましたので,その点はよかったといえるのではないかと思います,
第四局は19日と20日。久保八段がごきげん中飛車を採用するかどうかに注目が集まります。
明日からは豊橋記念が開催されます。ここはもう小嶋選手が中心になります。
このときに僕は憐憫が感情の模倣であるという点に注目し,感情の模倣の有用性という観点から憐憫という感情の有用性を考えます。すなわち,一般的に感情の模倣というのは,複数の人間の間の本性を,たとえ部分的にではあっても,一致させ,あるいは対立を解消させる方向に作用させるので,理性に従っていない場合の人間一般にとって有用であり,憐憫はこの感情の模倣のひとつなのだから,理性に従っていない人間には有用であるということです。よって僕が憐憫という感情が有用であると考える場合の有用性の意味というのは,受動感情のうち憐憫という感情だけが特別な意味で有用であるということではありません。もう少しいえば,憐憫という感情が,他人を援助するような方向にある人間を作用させるから有用であると考えているわけではないということになります。
有用性の意味というのをこのように考えるならば,逆に人間が理性に従っている場合には憐憫という感情が無用であるといわれる場合の無用性の意味も明らかになります。すなわち第四部定理三五により,人間は理性に従っている限りでは,はじめから本性が一致しているのです。よって本性を一致させるような感情としての憐憫は無用であるということになるのです。
ただし,この無用性の意味はあくまでも第二義的なものです。理性の特徴は,人間が理性に従うとは,人間が能動的であるということを意味します。第三部定理五九により,能動的な人間に関係する感情は基本感情のうちの欲望と喜びだけですから,第三部諸感情の定義一八により,悲しみの一種である憐憫という感情を,理性に従っている人間は抱くということさえないでしょう。