豊橋記念も雪の影響を受けまして,2日目は優秀競走が中止に。11日の決勝(動画)は問題なく行われましたが,9名のうち東日本が8名と,レースの方もやや波乱の展開でした。
小林選手がSを取って前受け。中団に海老根選手,後方に高谷選手で周回。残り3周のバックから高谷選手が上昇,残り2周のホームで小林選手に並びかけますが,小林選手も引かずに併走のままバックに。ここで高谷選手が小林選手を叩くと,海老根選手が発進し,打鐘で前に。後方になった小林選手の反撃を見て海老根選手がホームから発進して先行。小林選手は渡辺選手の牽制もあって出られず,高谷選手も内に包まれて動けず。楽な番手となった渡辺選手が直線で踏み込むと突き抜けて快勝。小林選手から渡辺選手を追うような形になった小橋選手を,直線だけ外に出るとよく伸びた有坂選手が捕えて2着。小橋選手が3着でした。
優勝した静岡の渡辺晴智選手は長くトップクラスで活躍していて,現在もS級S班。しかし記念競輪は2001年の福井記念以来となる2勝目。確かに2着が多いということはありましたが,これはかなり意外でした。,今年はダービーが地元の静岡で行われるということもあり,いい弾みになったかもしれません。南関東は強い先行型がそう多くないので,位置に恵まれないことも多々ありますが,この日のような形になれば,やはり力は確かなものがあります。
明日は佐世保記念の2日目優秀,佐世保バーガー賞です。九州が5人いて,並びの予想が難しい。佐藤-山田の北日本は間違いないところ。普通に考えれば菅原-小野の大分と,井上-紫原-合志の九州に分かれ,吉田-石橋という感じですが…。
それではこれらのことを踏まえて,第二部定義四で,内的特徴denominatio intrinsecaといわれるとき,それがどのようなことを意味するのかということを考えてみます。
ここでは第一部公理六の一致ということを,本性の一致と秩序と連結の一致というふたつの意味で考えています。ところで,本性natura,essentiaにしろ原因と結果の秩序ordoと連結connexioにしろ,それを観念ideaと観念されたものideatumという関係において考えずに,もしもそれ単独で考えるならば,それはまさにある事物あるいは観念の内的特徴であると考えることができると思います。つまり,たとえば物体corpusとしてのある三角形があるとき,この三角形の本性はこの三角形の内的特徴です。なぜならこの三角形の本性は,この三角形の性質だけを含み,ほかのもの一切の性質を含まないからです。同様にある思惟の様態cogitandi modiとして三角形があるとき,すなわちある知性intellectusのうちに三角形の観念があるとき,この三角形の観念の本性は,この三角形の観念の性質だけを含み,ほかの一切の観念の性質についてはそれを含みませんから,この三角形の観念の内的特徴であるといえるわけです。
同様に,物体として三角形Aが現実的に存在する場合,それが存在する原因と結果の秩序と連結は,三角形Aの秩序と連結であり,ほかの物体の秩序と連結ではありません。よってこれも三角形Aの内的特徴であるといえると思います。同様に,ある知性のうちに三角形Aの観念が現実的に存在する場合にも,これと同様のことがいえますから,これはこの三角形Aの観念の内的特徴であるといっていいと思います。
よって,事物あるいは観念の内的特徴とは,その事物あるいは観念の本性および原因と結果の秩序と連結であると考えることにします。
小林選手がSを取って前受け。中団に海老根選手,後方に高谷選手で周回。残り3周のバックから高谷選手が上昇,残り2周のホームで小林選手に並びかけますが,小林選手も引かずに併走のままバックに。ここで高谷選手が小林選手を叩くと,海老根選手が発進し,打鐘で前に。後方になった小林選手の反撃を見て海老根選手がホームから発進して先行。小林選手は渡辺選手の牽制もあって出られず,高谷選手も内に包まれて動けず。楽な番手となった渡辺選手が直線で踏み込むと突き抜けて快勝。小林選手から渡辺選手を追うような形になった小橋選手を,直線だけ外に出るとよく伸びた有坂選手が捕えて2着。小橋選手が3着でした。
優勝した静岡の渡辺晴智選手は長くトップクラスで活躍していて,現在もS級S班。しかし記念競輪は2001年の福井記念以来となる2勝目。確かに2着が多いということはありましたが,これはかなり意外でした。,今年はダービーが地元の静岡で行われるということもあり,いい弾みになったかもしれません。南関東は強い先行型がそう多くないので,位置に恵まれないことも多々ありますが,この日のような形になれば,やはり力は確かなものがあります。
明日は佐世保記念の2日目優秀,佐世保バーガー賞です。九州が5人いて,並びの予想が難しい。佐藤-山田の北日本は間違いないところ。普通に考えれば菅原-小野の大分と,井上-紫原-合志の九州に分かれ,吉田-石橋という感じですが…。
それではこれらのことを踏まえて,第二部定義四で,内的特徴denominatio intrinsecaといわれるとき,それがどのようなことを意味するのかということを考えてみます。
ここでは第一部公理六の一致ということを,本性の一致と秩序と連結の一致というふたつの意味で考えています。ところで,本性natura,essentiaにしろ原因と結果の秩序ordoと連結connexioにしろ,それを観念ideaと観念されたものideatumという関係において考えずに,もしもそれ単独で考えるならば,それはまさにある事物あるいは観念の内的特徴であると考えることができると思います。つまり,たとえば物体corpusとしてのある三角形があるとき,この三角形の本性はこの三角形の内的特徴です。なぜならこの三角形の本性は,この三角形の性質だけを含み,ほかのもの一切の性質を含まないからです。同様にある思惟の様態cogitandi modiとして三角形があるとき,すなわちある知性intellectusのうちに三角形の観念があるとき,この三角形の観念の本性は,この三角形の観念の性質だけを含み,ほかの一切の観念の性質についてはそれを含みませんから,この三角形の観念の内的特徴であるといえるわけです。
同様に,物体として三角形Aが現実的に存在する場合,それが存在する原因と結果の秩序と連結は,三角形Aの秩序と連結であり,ほかの物体の秩序と連結ではありません。よってこれも三角形Aの内的特徴であるといえると思います。同様に,ある知性のうちに三角形Aの観念が現実的に存在する場合にも,これと同様のことがいえますから,これはこの三角形Aの観念の内的特徴であるといっていいと思います。
よって,事物あるいは観念の内的特徴とは,その事物あるいは観念の本性および原因と結果の秩序と連結であると考えることにします。