7日に放映された銀河戦のEブロック5回戦,勝又清和六段と中村亮介四段の一戦で,あまり見られないような攻め筋が出ましたので紹介してみます。
中村四段が先手で得意の四間飛車。これに対して後手の勝又六段が,飛車先を突かず,6一の金も動かさずに天守閣美濃に囲うという工夫をして第1図。
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ここから△7四歩▲3九玉に△7二飛と寄り,▲2六歩に△7五歩▲同歩△6四銀と仕掛けました。
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先手は▲7四歩△同飛として▲7八飛とぶつけましたが後手は△8四飛。金が動いていないので先手の飛車は成ることができません。
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ここから▲6五歩は当然の反発。対して△8八角成▲同飛△6五銀としたために,▲3五歩以下の反撃が厳しく,この将棋は先手の快勝に終りました。
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ではこの仕掛けが無理であったのかといえばそうでもなく,第3図からの▲6五歩には△5五銀とし,▲5六歩に△4四銀と引いておけば,後手も少なくとも互角には戦えていたようです。
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参考図以下は,飛車成りを受ける▲7七飛に△5三銀のような手順が予想され,後手は△7三桂と跳ねることもできそうです。実戦的なことをいえば勝ちにくいような気もしますが,四間飛車に対してこういう指し方も成立するようです。
王将戦は後手番の久保利明八段のごきげん中飛車。羽生善治王将は本局は③Bを選択しました。28手目の△4二金が波紋を呼ぶ一着。先手は▲2四歩と仕掛け,角金交換の駒損で飛車先突破を目指し,後手が得した角で△1二角と受けたところ▲2三歩として封じ手。できれば△3五銀としたいですが,▲3四飛で部分的には危なそう。ただし玉型は後手の方がいいので,これもあるかもしれません。△2一歩の方が無難な感じはします。
明日は女流名人戦五番勝負の第三局も指されます。矢内理絵子女流名人が一気に防衛を決めるか,斎田晴子女流四段が一頑張りするかという一戦です。
大井では金盃。これはルースリンド◎が中心。ロイヤルボス○とレッドドラゴン▲を相手に,ナイキアースワーク△とアウスレーゼ△。
十全な観念の本性に対して,もしも真の観念の本性というのを考えてみたらどうでしょうか。
第一部公理六は公理であって定義ではありません。これはとりもなおさず,ここでいわれていることが真の観念の本性に属するわけではないということを意味します。実際,ある事物の本性というのは,その事物の内的特徴を意味するわけですが,観念が観念されたものと一致するということは,その観念にとっての外的特徴を意味するわけですから,この公理が真の観念の本性を示してはいないということは間違いないと思います。
ところが,真の観念というのは,まさにある観念がそうした外的特徴から考えられた場合に,観念されたものと一致する場合にそうみなされる観念なのです。いい換えれば,そうした外的特徴のみによってそういうことができる観念です。ですから,真の観念には真の観念に固有の本性はないということになると思います。
スピノザの哲学においては,事物の定義というのが事物の本性を示すということになっています。これで考えれば,それに固有の本性がないような真の観念というのは,実は定義することができないようなあるものであるということになります。十全な観念が今回のテーマである第二部定義四においてきちんと定義されているのに対して,真の観念が第一部公理六で公理として示されていることには,こうした理由があるからだと僕は考えています。
中村四段が先手で得意の四間飛車。これに対して後手の勝又六段が,飛車先を突かず,6一の金も動かさずに天守閣美濃に囲うという工夫をして第1図。
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ここから△7四歩▲3九玉に△7二飛と寄り,▲2六歩に△7五歩▲同歩△6四銀と仕掛けました。
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先手は▲7四歩△同飛として▲7八飛とぶつけましたが後手は△8四飛。金が動いていないので先手の飛車は成ることができません。
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ここから▲6五歩は当然の反発。対して△8八角成▲同飛△6五銀としたために,▲3五歩以下の反撃が厳しく,この将棋は先手の快勝に終りました。
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ではこの仕掛けが無理であったのかといえばそうでもなく,第3図からの▲6五歩には△5五銀とし,▲5六歩に△4四銀と引いておけば,後手も少なくとも互角には戦えていたようです。
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参考図以下は,飛車成りを受ける▲7七飛に△5三銀のような手順が予想され,後手は△7三桂と跳ねることもできそうです。実戦的なことをいえば勝ちにくいような気もしますが,四間飛車に対してこういう指し方も成立するようです。
王将戦は後手番の久保利明八段のごきげん中飛車。羽生善治王将は本局は③Bを選択しました。28手目の△4二金が波紋を呼ぶ一着。先手は▲2四歩と仕掛け,角金交換の駒損で飛車先突破を目指し,後手が得した角で△1二角と受けたところ▲2三歩として封じ手。できれば△3五銀としたいですが,▲3四飛で部分的には危なそう。ただし玉型は後手の方がいいので,これもあるかもしれません。△2一歩の方が無難な感じはします。
明日は女流名人戦五番勝負の第三局も指されます。矢内理絵子女流名人が一気に防衛を決めるか,斎田晴子女流四段が一頑張りするかという一戦です。
大井では金盃。これはルースリンド◎が中心。ロイヤルボス○とレッドドラゴン▲を相手に,ナイキアースワーク△とアウスレーゼ△。
十全な観念の本性に対して,もしも真の観念の本性というのを考えてみたらどうでしょうか。
第一部公理六は公理であって定義ではありません。これはとりもなおさず,ここでいわれていることが真の観念の本性に属するわけではないということを意味します。実際,ある事物の本性というのは,その事物の内的特徴を意味するわけですが,観念が観念されたものと一致するということは,その観念にとっての外的特徴を意味するわけですから,この公理が真の観念の本性を示してはいないということは間違いないと思います。
ところが,真の観念というのは,まさにある観念がそうした外的特徴から考えられた場合に,観念されたものと一致する場合にそうみなされる観念なのです。いい換えれば,そうした外的特徴のみによってそういうことができる観念です。ですから,真の観念には真の観念に固有の本性はないということになると思います。
スピノザの哲学においては,事物の定義というのが事物の本性を示すということになっています。これで考えれば,それに固有の本性がないような真の観念というのは,実は定義することができないようなあるものであるということになります。十全な観念が今回のテーマである第二部定義四においてきちんと定義されているのに対して,真の観念が第一部公理六で公理として示されていることには,こうした理由があるからだと僕は考えています。