第22期竜王戦決勝トーナメントの右の山は,展望した通りに羽生善治名人と森内俊之九段が勝ち上がり,挑戦者決定戦三番勝負進出を賭けて激突しました。対戦成績は羽生名人が55勝,森内九段が43勝,ほかに千日手7局。
森内九段の先手となり,一手損角換り1-Ⅱ。先手が棒銀から超速攻を仕掛けました。
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ここから△1五同歩▲同銀△同香▲同香△1三歩▲1二歩。そこで△2二銀(第2図)と引きました。
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これは棒銀の教科書にあるような攻め方。途中,後手は通常の角換り棒銀の場合には△1三歩のところで△1六歩と反撃含みに指すこともありますが,この形では無理とのこと。ただ,最後の△2二銀は教科書では△2二銀打です。通常の角換りですと,△8五歩が突いてあるので,銀を引くと▲1一歩成△同銀▲8四香△同飛▲6六角という,やはりこれも教科書にあるような攻め筋がありますが,この場合は一手損が生きてそれはありません。だから銀を引いたと思ったのですが,以下,▲2四歩△同歩▲同飛に△2三銀打(第3図)の進展は驚きました。
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常識的には予定通りとは思えないのですがどうだったのでしょう。1二の歩は取れましたが,先手にポイントを与えてしまったような気はします。
実戦はここから,後手の右辺の金銀3枚と桂馬を先手がすべて取って大きな駒得に。しかし先手玉も薄いので簡単ではなく,最後は馬をただで取られましたが,そこまでのリードを生かした先手が押し切っています。
森内九段が挑戦者決定戦に進出。しばらくタイトル戦から遠ざかっていましたので,ここはチャンスをものにしてほしいところです。
自分の死を現実的に表象するようになっても,それに対する恐怖感は感じなかったのですが,このことの理由のひとつに,もっと別の感情が生じたからだということは上げられるかもしれません。それは,一種の罪悪感でした。罪悪感という感情は,必ず何か対象を伴って生じるような感情ですが,このときの僕の罪悪感の対象というのは,先立つ不幸ということばで表されるような事柄でした。煙草について話したとき,同時に僕の家族構成も説明しましたが,そこにある通り,僕は両親と祖母がひとり健在なのです。
僕がこういう種類の罪悪感を感じたことには,はっきりとした理由があります。これは中学生か高校生の頃のことですが,当時,僕と同年代の自殺というのが社会問題になっていました。そのときに母が,親より先に死ぬことくらい親不孝なことはないから自殺してはいけないという主旨のことを言ったのです。僕は未婚で子どももありませんから,今でも母の気持ちをそっくりそのまま理解できていないとは思いますが,なるほどそういうものなのかと思いまして,できることなら両親が生きている間は死なないでいたいということを常々思っていました。だから自分が死んでしまうということについて,恐怖感というのはなかったけれども罪悪感めいたものが生じたのです。
もちろん,だれだって自ら望んで死ぬ,つまり自分自身の本性のみを原因として死ぬということは,第三部定理四からしてありませんから,親より先に死んだ人を親不孝と責めるつもりはありません。むしろそういう人たちは,このときに僕が感じていた罪悪感に似たような感情を,多かれ少なかれ抱いていたのではないかと思うのです。
森内九段の先手となり,一手損角換り1-Ⅱ。先手が棒銀から超速攻を仕掛けました。
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ここから△1五同歩▲同銀△同香▲同香△1三歩▲1二歩。そこで△2二銀(第2図)と引きました。
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これは棒銀の教科書にあるような攻め方。途中,後手は通常の角換り棒銀の場合には△1三歩のところで△1六歩と反撃含みに指すこともありますが,この形では無理とのこと。ただ,最後の△2二銀は教科書では△2二銀打です。通常の角換りですと,△8五歩が突いてあるので,銀を引くと▲1一歩成△同銀▲8四香△同飛▲6六角という,やはりこれも教科書にあるような攻め筋がありますが,この場合は一手損が生きてそれはありません。だから銀を引いたと思ったのですが,以下,▲2四歩△同歩▲同飛に△2三銀打(第3図)の進展は驚きました。
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常識的には予定通りとは思えないのですがどうだったのでしょう。1二の歩は取れましたが,先手にポイントを与えてしまったような気はします。
実戦はここから,後手の右辺の金銀3枚と桂馬を先手がすべて取って大きな駒得に。しかし先手玉も薄いので簡単ではなく,最後は馬をただで取られましたが,そこまでのリードを生かした先手が押し切っています。
森内九段が挑戦者決定戦に進出。しばらくタイトル戦から遠ざかっていましたので,ここはチャンスをものにしてほしいところです。
自分の死を現実的に表象するようになっても,それに対する恐怖感は感じなかったのですが,このことの理由のひとつに,もっと別の感情が生じたからだということは上げられるかもしれません。それは,一種の罪悪感でした。罪悪感という感情は,必ず何か対象を伴って生じるような感情ですが,このときの僕の罪悪感の対象というのは,先立つ不幸ということばで表されるような事柄でした。煙草について話したとき,同時に僕の家族構成も説明しましたが,そこにある通り,僕は両親と祖母がひとり健在なのです。
僕がこういう種類の罪悪感を感じたことには,はっきりとした理由があります。これは中学生か高校生の頃のことですが,当時,僕と同年代の自殺というのが社会問題になっていました。そのときに母が,親より先に死ぬことくらい親不孝なことはないから自殺してはいけないという主旨のことを言ったのです。僕は未婚で子どももありませんから,今でも母の気持ちをそっくりそのまま理解できていないとは思いますが,なるほどそういうものなのかと思いまして,できることなら両親が生きている間は死なないでいたいということを常々思っていました。だから自分が死んでしまうということについて,恐怖感というのはなかったけれども罪悪感めいたものが生じたのです。
もちろん,だれだって自ら望んで死ぬ,つまり自分自身の本性のみを原因として死ぬということは,第三部定理四からしてありませんから,親より先に死んだ人を親不孝と責めるつもりはありません。むしろそういう人たちは,このときに僕が感じていた罪悪感に似たような感情を,多かれ少なかれ抱いていたのではないかと思うのです。