スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

いわき平記念&尿意の対象

2010-03-25 19:00:56 | 競輪
 感動的だったダービーの余韻は続いていますが,新しい戦いは休む間もなく開始。22日にはいわき平記念の決勝(動画)が争われました。
 並びは鈴木-山崎-伏見-佐藤の福島,倉野-松尾-村上の中部近畿で,荻原と岩津は単騎。
 前受けは鈴木。5番手に荻原で,結果的に岩津は荻原マークのレース。7番手から倉野の周回。残り3周から倉野が上昇し,鈴木を叩きに出ましたが,鈴木も引かずに残り2周から早くも先行争い。村上は外を追わずに佐藤の後ろへ。打鐘で倉野がいけないとみた松尾が強引に鈴木を叩き,松尾-鈴木-倉野-山崎という隊列に。ホームから山崎がこれを叩きに出ましたが,外から荻原-岩津でかまして先行。伏見に迎え入れられた山崎が,村上の捲りに併せるようにバックから発進しましたが,岩津がうまくけん制して自ら発進。追い上げてきた村上が後ろに入る形となり,佐藤がその後ろに。直線で粘る岩津を交わした村上が優勝。岩津が2着で3着に佐藤。
 優勝した京都の村上博幸選手は日本選手権に続いて連続優勝。意外でしたが記念競輪は2007年の大垣記念以来の2勝目。ファンはもちろん乗っていた選手たちも思ってもいなかったレースになったという気がします。松尾についていかなかったのが逆によかったという結果で,のっている選手はさらに幸運にも恵まれるようにできているようです。
 結果云々と関係なく,このレースはとても迫力があるいいレースだったと思います。競輪の人気が復活するためには,こういったレースが多くみられるようになることが一番だと僕は思います。

 ここでいう尿意とはある観念であるわけですが,ではそれがどういう観念であるのか,別のいい方をするなら,この尿意という観念の対象をどのようなものとして僕が考えているのかということを明らかにしておきましょう。
 人間の身体は,膀胱に尿が溜まってくると,それを体外に排出しようとします。尿をずっとためておくことは,人間の身体の維持に逆らうことになりますから,人間の身体がこうした運動をなすこと,あるいはなそうとすることは,第三部定理七から説明することができます。要するにこれは自己保存の法則のひとつなのです。
 そこで尿意という観念の対象なのですが,ここではこれをこの,尿を体外に排出しようとする,排出するのではなくて排出しようとする身体の運動の観念であるとします。あるいは単に膀胱に尿が溜まっている状態の観念と考えてもらっても構いません。前述の理由により膀胱に尿が溜まっている状態にあっては,身体はこれを必然的に排出しようとしますので,結果的には同じことだからです。いい方を変えれば,溜まった尿を排出するという運動は,人間の身体が自身の実在性を維持するために発揮する力なのであって,したがってこの運動自体は,膀胱に尿が溜まっているという状態を,実際に尿が溜まっている人間の現実的な力という観点からみたものにすぎないということもできると思います。
 尿意ということばが含むニュアンスの中には,単なる身体の状態の観念というよりも,身体がなそうとしている運動の観念ということが多く含まれているとは思います。ただこれは,僕たちが通常はこのような場合には,それを状態としてではなく力として意識するということであって,実際にはどちらで考えてもそう大差はないといえるのではないでしょうか。
コメント
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