現地時間27日に開催された今年のドバイ国際招待競走。今年は日本から4レースに1頭ずつが参戦しましたので,レース順に簡単に回顧します。
タぺタ1600mのゴドルフィンマイルGⅡには今年の根岸ステークスを勝ったグロリアスノアが出走。好位につけたものの外から寄られるところがありやや位置取りを下げ,手応えは悪そうに見えたものの直線ではそれなりに伸びて4着。この馬は現状の日本のトップクラスとは少し差がありますが,このレースはサポートレースの趣があり,相手関係もさほど厳しくなかったのが入着できた要因かもしれません。よく走っていると思います。
タぺタ1200mのゴールデンシャヒーンGⅠには昨年のJRA賞最優秀短距離馬のローレルゲレイロが出走。出負けしましたが押して先手を奪いきり,直線では勝ち馬に早目に交わされましたがよく粘って4着。路線自体の日本のレベルが高くないことを考えれば好走。この馬は一般にそう思われているよりかなり強い馬だと思います。
芝2410mのシーマクラシックGⅠには昨年のJRA賞最優秀3歳牝馬のブエナビスタ。中団より後ろ目の位置取りから直線は馬群を割って伸びてくるレースとなり,2着。もう少し早く前が開いていればというレースになってしまいましたが,力は十分に示してくれました。ただ,出走した4頭の中では最も勝機があると思っていただけに少しばかり残念ではあります。
タぺタ2000mのワールドカップGⅠには前哨戦のマクトゥームチャレンジ3を勝ったレッドディザイア。馬群の真っただ中でレースを進め,直線で外には出せたものの,ほとんど伸びることなく11着。勝ち馬が前哨戦の2着馬で,上昇はしていたのでしょうがこんなに差をつけられる筈はなく,力を発揮できませんでした。前哨戦後の調整に問題があったかレースの進め方がよくなかったのか,あるいは何かほかの原因があったか分かりませんが,力を十全に出せずにレースを終えてしまったのは残念です。
僕が人間の精神のうちにある尿意という観念を,混乱した観念であると考える理由は,その中に尿の十全な観念が含まれてはいないということのほかに,もうひとつ別の,おそらくより強力と思える理由があります。これはこの尿意が実際に人間の精神のうちに生じる場面というのを経験的な観点から考えてそうした結論に至るのですが,どちらかといえば背理法によって説明した方が簡潔ですので,先に一般的に観念についてこのようなことがいえるということを明示しておくことにします。
尿意というのはここでの規定では排尿ないしそれに直結する観念のことですから,これは個物の観念です。そこで,これはそれ自体でみた場合には十全な観念であるか混乱した観念であるかということには関係なく,尿意がある人間の知性のうちに生じる場合は,第二部定理九の仕方で生じるということになります。そこで今は,尿意の原因となる別の個物の観念を,Xの観念ということにします。
次に,尿意がそれ自体でみた場合に十全な観念であると仮定してみます。すると第二部定理四〇により,Xの観念もまた,それ自体で,すなわちこの人間の知性の一部を構成するという観点からみた場合に,尿意と同様に十全な観念であるということになります。いい換えれば,Xの観念は,この人間の精神の本性を構成する限りで,神のうちにあるということになるでしょう。
このことから,尿意が十全な観念であるなら,というか一般的にある人間の精神のうちに,それがどんなものであれ十全な観念が生じるという場合には,その人間の精神はこの十全な観念に対して,第三部定義一でいう十全な原因であるということになります。したがって尿意がある人間の精神のうちで十全な観念であるなら,この人間の精神のうちに尿意が生じる場合には,その人間の精神以外には何も必要ないということになります。
タぺタ1600mのゴドルフィンマイルGⅡには今年の根岸ステークスを勝ったグロリアスノアが出走。好位につけたものの外から寄られるところがありやや位置取りを下げ,手応えは悪そうに見えたものの直線ではそれなりに伸びて4着。この馬は現状の日本のトップクラスとは少し差がありますが,このレースはサポートレースの趣があり,相手関係もさほど厳しくなかったのが入着できた要因かもしれません。よく走っていると思います。
タぺタ1200mのゴールデンシャヒーンGⅠには昨年のJRA賞最優秀短距離馬のローレルゲレイロが出走。出負けしましたが押して先手を奪いきり,直線では勝ち馬に早目に交わされましたがよく粘って4着。路線自体の日本のレベルが高くないことを考えれば好走。この馬は一般にそう思われているよりかなり強い馬だと思います。
芝2410mのシーマクラシックGⅠには昨年のJRA賞最優秀3歳牝馬のブエナビスタ。中団より後ろ目の位置取りから直線は馬群を割って伸びてくるレースとなり,2着。もう少し早く前が開いていればというレースになってしまいましたが,力は十分に示してくれました。ただ,出走した4頭の中では最も勝機があると思っていただけに少しばかり残念ではあります。
タぺタ2000mのワールドカップGⅠには前哨戦のマクトゥームチャレンジ3を勝ったレッドディザイア。馬群の真っただ中でレースを進め,直線で外には出せたものの,ほとんど伸びることなく11着。勝ち馬が前哨戦の2着馬で,上昇はしていたのでしょうがこんなに差をつけられる筈はなく,力を発揮できませんでした。前哨戦後の調整に問題があったかレースの進め方がよくなかったのか,あるいは何かほかの原因があったか分かりませんが,力を十全に出せずにレースを終えてしまったのは残念です。
僕が人間の精神のうちにある尿意という観念を,混乱した観念であると考える理由は,その中に尿の十全な観念が含まれてはいないということのほかに,もうひとつ別の,おそらくより強力と思える理由があります。これはこの尿意が実際に人間の精神のうちに生じる場面というのを経験的な観点から考えてそうした結論に至るのですが,どちらかといえば背理法によって説明した方が簡潔ですので,先に一般的に観念についてこのようなことがいえるということを明示しておくことにします。
尿意というのはここでの規定では排尿ないしそれに直結する観念のことですから,これは個物の観念です。そこで,これはそれ自体でみた場合には十全な観念であるか混乱した観念であるかということには関係なく,尿意がある人間の知性のうちに生じる場合は,第二部定理九の仕方で生じるということになります。そこで今は,尿意の原因となる別の個物の観念を,Xの観念ということにします。
次に,尿意がそれ自体でみた場合に十全な観念であると仮定してみます。すると第二部定理四〇により,Xの観念もまた,それ自体で,すなわちこの人間の知性の一部を構成するという観点からみた場合に,尿意と同様に十全な観念であるということになります。いい換えれば,Xの観念は,この人間の精神の本性を構成する限りで,神のうちにあるということになるでしょう。
このことから,尿意が十全な観念であるなら,というか一般的にある人間の精神のうちに,それがどんなものであれ十全な観念が生じるという場合には,その人間の精神はこの十全な観念に対して,第三部定義一でいう十全な原因であるということになります。したがって尿意がある人間の精神のうちで十全な観念であるなら,この人間の精神のうちに尿意が生じる場合には,その人間の精神以外には何も必要ないということになります。