スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本大震災被災地支援静岡記念&K伯母の急死

2011-11-28 19:03:50 | 競輪
 直後に競輪祭が控えている関係で強豪の参戦が少なく,混戦模様と目された静岡記念の決勝。並びは菊地-明田-小野-大槻の北日本,中村-奥谷-紫原-新井の西日本で,藤原が単騎。
 前受けは菊地。必然的に5番手が藤原,6番手以降に遠征勢で周回。残り2周のホームで上昇した中村が菊地を叩くと,切り替えた藤原まで出きってバック。打鐘を迎えてもスローペース。菊地は4コーナーから山おろしをかけるように発進し,ラインの4人をすべて引き連れてかまし先行。バックから紫原が捲って出ましたが,これは明田が牽制。その明田が返す刀で踏み込むと抜け出して優勝。マークの小野が2着で逃げた菊地が3着と,北日本の上位独占。
 優勝した北海道の明田春喜選手はこれが記念競輪初優勝。冒頭に記した理由でここはそれほど強い選手が集結してなく,その中では北日本にわりと有力選手が多かったので,恵まれた部分は否めません。今日は何といっても菊地が上手く駆けたのがレースのポイント。番手の仕事をしての優勝ですので,その点は称えていいのではないかと思います。

 翌日は月が変わって10月1日。まだ就寝中であった早朝,午前5時頃に電話が鳴りました。常識的にいってもこんな時間の電話というのは尋常ではありません。電話の相手はの長兄にあたるY伯父で,K伯母が急死したという内容でした。実際に電話を受けたのは僕ではなく母であり,僕も母から聞いて大変に驚いたわけですが,母は前日には実際にK伯母と会ったばかりだったのですから,僕以上の驚きがあったのではないかと思います。
 後に正確なところが判明するのですが,このときに得ることができた情報というのは,ひとつはK伯母が死んだのはこの日の午前3時頃であったということで,もうひとつは死因は食べ物を喉に詰まらせての窒息死であったということでした。しかしさすがに僕はこの話を聞いて訝しく思いました。K伯母が入院していたところが,リハビリ患者だけを専門に扱うような病院であったのか,それとも母が入院していた磯子中央病院のように,総合病院に併設する形でリハビリ病棟があったのかは分かりません。ただ,病院であることには違いがないわけで,午前3時頃に何か食べるものが与えられるということは考えられません。したがってK伯母が食べたものが喉に詰まったのであるとすれば,K伯母自身が何か食べるものを用意しておいて,それを食べて窒息してしまったということになります。ただ,仮にそうしたものをK伯母が用意しておいた,たとえば母は入院中はお菓子や果物を僕が差し入れていましたから実際にそういうことがあったので,K伯母の場合にもそれは考えられないことではありませんでしたが,それを午前3時頃に摂取するというのがまず普通ではありません。もちろん夜中に目が覚めて,小腹が空いていたから何かをつまむというようなことはあり得ないことではありませんから,実際にそういうことがあったのだとしても,喉に詰まってしまうほど食べるというのはやはり考えられないように思いました。それにそもそも,喉が詰まってしまうような危険性がある食べ物を,病人に差し入れるということ自体が非常識です。ただ,K伯母は自分で歩けましたから,もしかしたらそれはK伯母自身が用意しておいたものだったのだろうかと考えていたのです。
コメント
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