日曜日のジャパンカップダートはニホンピロアワーズが勝ちました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は曾祖母のミルカレント。1992年,アメリカ産です。ファミリーナンバーは22-dで,これはナイトライトと同じ。ミルカレントからみて5代母の姉が,ナイトライトの母にあたります。
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ニホンピロアワーズもそうですが,ミルカレントから続く一族はほとんどが小林百太郎さんの名義で,ニホンピロ○○と名付けれて出走。ただ,重賞の勝ち馬はニホンピロアワーズ以外には出ていませんでした。
ミルカレントの半姉で1983年にアメリカで産まれたのがミルレーサー。アメリカで2頭の産駒を出産した後,輸入され,3年目に新種牡馬のサンデーサイレンスを配合されて誕生したのがフジキセキ。フジキセキが誕生したのは1992年で,血統関係からはミルカレントの甥ということになりますが,この2頭は同い年。ミルカレントが輸入されたのは,その姉からフジキセキが産まれていたということも大きな要因であったと思われます。
フジキセキのひとつ上の半姉はシャイニンレーサー。この馬は1996年のマーメイドステークスを勝っています。そして繁殖入り後に2002年のクイーンカップを勝ったシャイニンルビーを産みました。
この一族の重賞の勝ち馬は現在のところこの4頭。ほかにフジキセキのひとつ下の半妹からは,2009年のトゥインクルレディー賞を勝ったフサイチミライが出ています。
ミルカレントはそうでもありませんが,ミルレーサーの方はわりと分枝が広がっていますので,今後も活躍馬が出る可能性は残っているのではないでしょうか。
『スピノザ『エチカ』の研究』で福居純が示している読解と,今回の僕の考察の根幹部分の一部が一致するということは,逆にいえば僕の考察を全体としてみた場合には,共通する点と相違する点の両方が含まれているということになります。ここではそれをすべて取り上げることはしませんが,共通点および相違点のうち,興味深く思われるところ,ないしは僕の考察と大きく関係する部分を抽出しておきます。
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まずは共通点からです。
福居は第二部定理九を,神の無限知性を構成するものと読解します。いい換えれば,単にある人間の精神のうちにある個物の観念とそれをみるならば,それが十全な観念であるか混乱した観念であるかは関係なく,この定理でいわれている個物の観念には該当しないということになります。
次に,福居はこのことを前提として第二部定理九系を読解します。いい換えれば第二部定理九系の消極的意味が成立しなければならないと考える点において,僕の考察と福居の読解とは完全に一致しているといえるでしょう。
そしてこのことを前提として,福居は第二部定理一二を読解します。よって第二部定理一二の新しい意味が成立しているという点で,僕の考察と一致することになります。要するに考察の最初の部分と,そこから得ることができる結論に関しては,福居と僕とは一致しているといっていいでしょう。
第二部定理一一系に関していえば,僕が出した第二部定理一一系の具体的意味のうち,第二の点には福居は言及していません。しかし僕が触れなかったいわば第四の意味を抽出しています。それは,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念がないのであれば,AはXを認識しない,つまりAの精神のうちにはXの十全な観念も混乱した観念も存在しないということです。僕はそれは第三の点に依拠すれば証明が可能であると思いますが,福居が指摘しているように,第二部定理一九はこの意味から帰結していると考えることは可能でしょう。
これはいわば第二部定理一一系の消極的意味というべきものであって,消極的の意味を考えれば,僕の第二部定理九系の消極的意味とパラレルな関係にあることはお分かりいただけるものと思います。このことは,第二部定理九系の消極的意味,第二部定理一一の具体的意味,第二部定理一二の新しい意味が,三つ組の関係にあることの,ひとつの根拠になるでしょう。
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ニホンピロアワーズもそうですが,ミルカレントから続く一族はほとんどが小林百太郎さんの名義で,ニホンピロ○○と名付けれて出走。ただ,重賞の勝ち馬はニホンピロアワーズ以外には出ていませんでした。
ミルカレントの半姉で1983年にアメリカで産まれたのがミルレーサー。アメリカで2頭の産駒を出産した後,輸入され,3年目に新種牡馬のサンデーサイレンスを配合されて誕生したのがフジキセキ。フジキセキが誕生したのは1992年で,血統関係からはミルカレントの甥ということになりますが,この2頭は同い年。ミルカレントが輸入されたのは,その姉からフジキセキが産まれていたということも大きな要因であったと思われます。
フジキセキのひとつ上の半姉はシャイニンレーサー。この馬は1996年のマーメイドステークスを勝っています。そして繁殖入り後に2002年のクイーンカップを勝ったシャイニンルビーを産みました。
この一族の重賞の勝ち馬は現在のところこの4頭。ほかにフジキセキのひとつ下の半妹からは,2009年のトゥインクルレディー賞を勝ったフサイチミライが出ています。
ミルカレントはそうでもありませんが,ミルレーサーの方はわりと分枝が広がっていますので,今後も活躍馬が出る可能性は残っているのではないでしょうか。
『スピノザ『エチカ』の研究』で福居純が示している読解と,今回の僕の考察の根幹部分の一部が一致するということは,逆にいえば僕の考察を全体としてみた場合には,共通する点と相違する点の両方が含まれているということになります。ここではそれをすべて取り上げることはしませんが,共通点および相違点のうち,興味深く思われるところ,ないしは僕の考察と大きく関係する部分を抽出しておきます。
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まずは共通点からです。
福居は第二部定理九を,神の無限知性を構成するものと読解します。いい換えれば,単にある人間の精神のうちにある個物の観念とそれをみるならば,それが十全な観念であるか混乱した観念であるかは関係なく,この定理でいわれている個物の観念には該当しないということになります。
次に,福居はこのことを前提として第二部定理九系を読解します。いい換えれば第二部定理九系の消極的意味が成立しなければならないと考える点において,僕の考察と福居の読解とは完全に一致しているといえるでしょう。
そしてこのことを前提として,福居は第二部定理一二を読解します。よって第二部定理一二の新しい意味が成立しているという点で,僕の考察と一致することになります。要するに考察の最初の部分と,そこから得ることができる結論に関しては,福居と僕とは一致しているといっていいでしょう。
第二部定理一一系に関していえば,僕が出した第二部定理一一系の具体的意味のうち,第二の点には福居は言及していません。しかし僕が触れなかったいわば第四の意味を抽出しています。それは,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにXの観念がないのであれば,AはXを認識しない,つまりAの精神のうちにはXの十全な観念も混乱した観念も存在しないということです。僕はそれは第三の点に依拠すれば証明が可能であると思いますが,福居が指摘しているように,第二部定理一九はこの意味から帰結していると考えることは可能でしょう。
これはいわば第二部定理一一系の消極的意味というべきものであって,消極的の意味を考えれば,僕の第二部定理九系の消極的意味とパラレルな関係にあることはお分かりいただけるものと思います。このことは,第二部定理九系の消極的意味,第二部定理一一の具体的意味,第二部定理一二の新しい意味が,三つ組の関係にあることの,ひとつの根拠になるでしょう。