力道山の死後に残された日本プロレスの幹部の要請に応じて馬場は帰国の決断をしたのですが,実際に帰国する直前に当時の三大タイトル,具体的にはNWA,WWWF,WWAに連続して挑戦しました。そのファイトマネーが高額であったこととは別に,これはなかなかの快挙です。
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当時のアメリカのプロレスはテレビで全米に中継されていたわけではありません。したがって,NWAのチャンピオンは各地を転戦しますからどこでも有名でしたが,ほかのふたりはそうでもなかったのです。たとえば当時のWWWFの王者は人間発電所と称されたブルーノ・サンマルチノでしたが,彼はお膝元であるニューヨークを中心とした東海岸ではトップレスラーであったものの,西海岸では無名でした。逆にWWAは西海岸が本拠でしたので,そこでどんなプロレスが行われているか,東海岸のファンには知られていなかったのです。力道山は日本プロレスを旗揚げする前にこの西海岸で戦っていて,そこではトップレスラーの一角でしたが,東海岸では知られていませんでしたから,馬場と一緒にWWWFのマットに立ったときには,馬場の師匠である力道山というように紹介を受けたようです。
どの地区であれそのトップのタイトルに挑戦できるということ自体,すでにそのリングでトップの一角をなしているということを示します。したがってこの当時の馬場は,アメリカのある特定の地区においてトップレスラーであったというわけではなくて,どの地区に行ったとしてもトップとしての扱いを受けるような花形選手であったわけです。アメリカのプロモーターというのはかなりシビアなところがあるらしく,客を呼ぶことができないようなレスラーは,どんなに優れた技術をもっていたとしても,トップでは戦わせないし,ましてタイトルに挑戦させるなど言語道断であったようです。
結果的にいえば馬場はそれらのタイトル挑戦にはことごとく失敗し,王者になることはできませんでした。しかし各地の王者に続けざまに挑戦したということ自体が,いかに高く評価されていたかということの証明であると思います。
『スピノザ『エチカ』の研究』における福居純の読解と,今回の僕の考察とでもうひとつ大きな相違があるのは,そもそも第二部定理九をどのような観点から理解するべきなのかということに存します。
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僕は第二部定理一二の理解のために,第二部定理九に原因の十全性という視点を取り入れることを迫られました。原因の十全性と観念の十全性との間には不可避な関係がありますから,このためには第二部定理九で示されている個物の観念のすべてを,十全な観念であると考えなくてはなりません。そこでこの定理の末尾にある「無限に進む」ということばを積極的に読解するということになったわけです。いい換えれば,第二部定理九は神の無限知性を具体的に構成するような定理であると読解するに至りました。
しかし福居の場合はこれとは違っています。福居によればそもそも第二部定理九の「無限に進む」というのは,何らの前提なしに積極的な意味を有するものとして理解されなければなりません。福居は『スピノザ「共通概念」試論』においても,第二部定理九が現実的に存在する個物の観念について言及しているとしても,それは永遠の真理として理解されなければならない事柄であって,そう理解するのでなければ結果と原因の無限連鎖を支持することにはならないという意味のことを主張していますから,これは福居にとって一貫した考え方であると思います。
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しかるにそれが積極的な意味において理解されなければならないのであれば,これが神の無限知性を構成すると考えられなければならないということもまた必然です。いい換えればそれは第二部定理七系が個物の観念に対して適用されているのであって,すなわち第二部定理七系の意味により,そのすべてが十全な観念であると考えられなければならないということになります。したがって,僕にとってはある必要に迫られて導入された原因の十全性という観点は,第二部定理九には最初から導入されている,あるいは導入されているということを認めないのであれば,この定理を十全に理解したということにはならないということになっているといえるでしょう。
最初の読解には相違があっても,得られた結論は一致します。なので第二部定理一二に至る道も,結果的には同じになっているのです。
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当時のアメリカのプロレスはテレビで全米に中継されていたわけではありません。したがって,NWAのチャンピオンは各地を転戦しますからどこでも有名でしたが,ほかのふたりはそうでもなかったのです。たとえば当時のWWWFの王者は人間発電所と称されたブルーノ・サンマルチノでしたが,彼はお膝元であるニューヨークを中心とした東海岸ではトップレスラーであったものの,西海岸では無名でした。逆にWWAは西海岸が本拠でしたので,そこでどんなプロレスが行われているか,東海岸のファンには知られていなかったのです。力道山は日本プロレスを旗揚げする前にこの西海岸で戦っていて,そこではトップレスラーの一角でしたが,東海岸では知られていませんでしたから,馬場と一緒にWWWFのマットに立ったときには,馬場の師匠である力道山というように紹介を受けたようです。
どの地区であれそのトップのタイトルに挑戦できるということ自体,すでにそのリングでトップの一角をなしているということを示します。したがってこの当時の馬場は,アメリカのある特定の地区においてトップレスラーであったというわけではなくて,どの地区に行ったとしてもトップとしての扱いを受けるような花形選手であったわけです。アメリカのプロモーターというのはかなりシビアなところがあるらしく,客を呼ぶことができないようなレスラーは,どんなに優れた技術をもっていたとしても,トップでは戦わせないし,ましてタイトルに挑戦させるなど言語道断であったようです。
結果的にいえば馬場はそれらのタイトル挑戦にはことごとく失敗し,王者になることはできませんでした。しかし各地の王者に続けざまに挑戦したということ自体が,いかに高く評価されていたかということの証明であると思います。
『スピノザ『エチカ』の研究』における福居純の読解と,今回の僕の考察とでもうひとつ大きな相違があるのは,そもそも第二部定理九をどのような観点から理解するべきなのかということに存します。
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僕は第二部定理一二の理解のために,第二部定理九に原因の十全性という視点を取り入れることを迫られました。原因の十全性と観念の十全性との間には不可避な関係がありますから,このためには第二部定理九で示されている個物の観念のすべてを,十全な観念であると考えなくてはなりません。そこでこの定理の末尾にある「無限に進む」ということばを積極的に読解するということになったわけです。いい換えれば,第二部定理九は神の無限知性を具体的に構成するような定理であると読解するに至りました。
しかし福居の場合はこれとは違っています。福居によればそもそも第二部定理九の「無限に進む」というのは,何らの前提なしに積極的な意味を有するものとして理解されなければなりません。福居は『スピノザ「共通概念」試論』においても,第二部定理九が現実的に存在する個物の観念について言及しているとしても,それは永遠の真理として理解されなければならない事柄であって,そう理解するのでなければ結果と原因の無限連鎖を支持することにはならないという意味のことを主張していますから,これは福居にとって一貫した考え方であると思います。
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しかるにそれが積極的な意味において理解されなければならないのであれば,これが神の無限知性を構成すると考えられなければならないということもまた必然です。いい換えればそれは第二部定理七系が個物の観念に対して適用されているのであって,すなわち第二部定理七系の意味により,そのすべてが十全な観念であると考えられなければならないということになります。したがって,僕にとってはある必要に迫られて導入された原因の十全性という観点は,第二部定理九には最初から導入されている,あるいは導入されているということを認めないのであれば,この定理を十全に理解したということにはならないということになっているといえるでしょう。
最初の読解には相違があっても,得られた結論は一致します。なので第二部定理一二に至る道も,結果的には同じになっているのです。