『カラマーゾフの兄弟』を読んだとき,僕にはスメルジャコフが性的不能者であるように感じられました。謎ときシリーズのカラマーゾフ編で江川卓が明らかにしたところでは,スメルジャコフはロシアのキリスト教においてドストエフスキーの小説に大きく関係している異端派のひとつ,去勢派の信徒で,実際に去勢していると理解することもできるそうですから,僕の感じ方もあながち間違ってはいなかったことになります。このことはドストエフスキーとキリスト教との関係について言及した一連のシリーズのひとつ,スメルジャコフの場合においても説明したことです。
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一方,『白痴』のムイシュキン公爵は性的無垢な成人として描写されています。しかし僕は,ムイシュキンに関しては,スメルジャコフとは異なり,性的不能者であるとは考えなくても,ごく自然に物語を読み進めていくことができました。この相違がどこにあったのかと反省してみると,次のふたつの点が思い浮かびます。
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僕はドストエフスキーに関しては,空白の時期があります。『白痴』は空白以前,高校生か遅くとも学生時代の初期,10代後半に読んでいます。『カラマーゾフの兄弟』は逆に空白後で,早くても20代の後半になってからでした。少なく見積もっても10年の時間差がありますから,この間の僕自身の変化が,ムイシュキンとスメルジャコフの解釈の相違をもたらしたことは,大いにありそうです。
しかしもうひとつ,スメルジャコフとムイシュキンには,はっきりした差異があるように僕には思えます。ムイシュキンが性的無垢な存在であるとすれば,スメルジャコフは無垢というより,性を忌避する,あるいはそれを憎むような傾向がより強く感じられるのです。僕はそこにある種のルサンチマン的な要素を感じ,スメルジャコフを性的不能者と解したのです。これに対してムイシュキンというのは,性を忌避するといった感じではありません。むしろそれには興味がない,関心がないといわんばかりに振舞っているように感じられるのです。なので僕はそれをムイシュキンの個人的性格に帰することができたのだと思います。
U先生は僕がみなと赤十字病院に通院するようになってからは3人目,その前の入院中の,これはどちらかといえば名目上のといっていいのかもしれませんが,H先生も含めると4人目の主治医です。この年の5月が初対面で,この日の診察が3度目の顔合わせ。最初の診察のときから何となく感じてはいたことですが,それ以前の主治医と比べますとこのU先生は,フランクといいますか,フレンドリーに僕に対して接してきました。もちろんそれは僕だけにではなく,すべての患者に対して同様でしょう。この日は健診の依頼をしたので,それまでよりもずっと多く,そしていつもの診察であれば話さないような内容の事柄が話題になったのですが,それまでに感じていた印象が正しかったということに確信がもてました。この病院でいえば,唾石ができたときに診察してもらった耳鼻咽喉科のm先生は,総合内科の医師たちに比べると明らかにフレンドリーでしたが,U先生はそれ以上であるように僕には感じられます。
変に誤解を受けないためにいっておけば,僕自身は,医師がフレンドリーに接してこようが,逆に威厳をもって接してこようが,そうしたことにはこだわりはありません。人によっては好みの対応というのがあるでしょうが,僕にとってはこれはさほど重要なことではありません。U先生に関してフレンドリーだといっているのは,事実としてそうであるというだけで,それが僕にとってよいとか悪いとかではありませんし,それまでの主治医についていいとか悪いとかいっているのでもありません。
この週の末,8日の土曜日はまた妹のピアノのレッスンでした。そして翌日,9日の日曜日は,母と妹で美容院に行っています。
時間としては少し前後することになりますが,母の趣味のひとつにガーデニングがありまして,数日前に水を撒いていたところ,大量の蜂が飛んできたそうです。そのときはびっくりしただけでしたが,よく調べてみますと庭,実際には庭というほどの広さではないのですが便宜的に庭といいますが,大きな蜂の巣ができていたようです。放置しておくのは危険ですので,週が明けた10日に,母が業者に駆除の依頼をしました。
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一方,『白痴』のムイシュキン公爵は性的無垢な成人として描写されています。しかし僕は,ムイシュキンに関しては,スメルジャコフとは異なり,性的不能者であるとは考えなくても,ごく自然に物語を読み進めていくことができました。この相違がどこにあったのかと反省してみると,次のふたつの点が思い浮かびます。
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僕はドストエフスキーに関しては,空白の時期があります。『白痴』は空白以前,高校生か遅くとも学生時代の初期,10代後半に読んでいます。『カラマーゾフの兄弟』は逆に空白後で,早くても20代の後半になってからでした。少なく見積もっても10年の時間差がありますから,この間の僕自身の変化が,ムイシュキンとスメルジャコフの解釈の相違をもたらしたことは,大いにありそうです。
しかしもうひとつ,スメルジャコフとムイシュキンには,はっきりした差異があるように僕には思えます。ムイシュキンが性的無垢な存在であるとすれば,スメルジャコフは無垢というより,性を忌避する,あるいはそれを憎むような傾向がより強く感じられるのです。僕はそこにある種のルサンチマン的な要素を感じ,スメルジャコフを性的不能者と解したのです。これに対してムイシュキンというのは,性を忌避するといった感じではありません。むしろそれには興味がない,関心がないといわんばかりに振舞っているように感じられるのです。なので僕はそれをムイシュキンの個人的性格に帰することができたのだと思います。
U先生は僕がみなと赤十字病院に通院するようになってからは3人目,その前の入院中の,これはどちらかといえば名目上のといっていいのかもしれませんが,H先生も含めると4人目の主治医です。この年の5月が初対面で,この日の診察が3度目の顔合わせ。最初の診察のときから何となく感じてはいたことですが,それ以前の主治医と比べますとこのU先生は,フランクといいますか,フレンドリーに僕に対して接してきました。もちろんそれは僕だけにではなく,すべての患者に対して同様でしょう。この日は健診の依頼をしたので,それまでよりもずっと多く,そしていつもの診察であれば話さないような内容の事柄が話題になったのですが,それまでに感じていた印象が正しかったということに確信がもてました。この病院でいえば,唾石ができたときに診察してもらった耳鼻咽喉科のm先生は,総合内科の医師たちに比べると明らかにフレンドリーでしたが,U先生はそれ以上であるように僕には感じられます。
変に誤解を受けないためにいっておけば,僕自身は,医師がフレンドリーに接してこようが,逆に威厳をもって接してこようが,そうしたことにはこだわりはありません。人によっては好みの対応というのがあるでしょうが,僕にとってはこれはさほど重要なことではありません。U先生に関してフレンドリーだといっているのは,事実としてそうであるというだけで,それが僕にとってよいとか悪いとかではありませんし,それまでの主治医についていいとか悪いとかいっているのでもありません。
この週の末,8日の土曜日はまた妹のピアノのレッスンでした。そして翌日,9日の日曜日は,母と妹で美容院に行っています。
時間としては少し前後することになりますが,母の趣味のひとつにガーデニングがありまして,数日前に水を撒いていたところ,大量の蜂が飛んできたそうです。そのときはびっくりしただけでしたが,よく調べてみますと庭,実際には庭というほどの広さではないのですが便宜的に庭といいますが,大きな蜂の巣ができていたようです。放置しておくのは危険ですので,週が明けた10日に,母が業者に駆除の依頼をしました。