1日に対局があった第6期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
先手の里見香奈女流名人は3手目に▲2六歩と突いて居飛車。上田初美女王の得意とする四間飛車穴熊に銀冠で対抗。先手が積極的に戦いにいく将棋に。中盤戦で差がついた将棋だったようです。
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後手が戦いに打って出るチャンスを逃したため,すでに指しにくくなっているそうですが,ここで△5一飛と寄って受けたのがさらに悪化を招いた一手で,結果的には敗着になってしまいました。先手は▲6四歩と伸ばし,後手は当然△5四飛。そこで▲6五桂と跳ねていきました。△7ニ金引は当然。そこで▲5六歩と打ち,角が移動した後の飛車成りを受けておいたのは渋い好手。対して△3三銀と引いたのは,先手が▲2四飛としたら飛車で取れるようにした手で,かなり辛そうですが,この局面では最善であったとのこと。しかし▲8四歩△同歩の突き捨てを入れてから▲6三歩成△同金▲3一角成で,先手は馬を作ることに成功しました。
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この馬はよく働き,先手の勝利を引き寄せることになりました。後手は最後は粘るだけのような将棋となってしまい,寄せきった先手が勝っています。
里見女流名人が3連勝で女王を奪取。これで五つ目のタイトル獲得。マイナビ女子オープンは初の出場でしたので,女王は初獲得。女流棋士の呼称に合わせ,今後は原則的に里見香奈女王・女流名人と表記することにします。
ここまで考察してくれば,次に探求するべき事柄も明らかになります。すなわち,認識内容の不一致が,認識する精神の本性の不一致に帰せられるのであるなら,各個人の間で,また同一の人間の異なった時間において,精神の本性が一致するといえる場合というのが,どういう場合であるのかということです。少なくとも自明であると断言できるような認識作用というのは,そうした場合の作用のうちにしかあることができないからです。
それを示しているのが第四部定理三五であるといえます。すなわち人間は理性に従って事物を認識する限り,本性の上で一致します。いい換えるなら,人間の精神が理性によってある事物を認識する限り,その認識される内容は,必然的に一致することになるでしょう。
ただし,ここでは気を付けておかなければならないことがふたつあります。まず第一に,この定理というのは,理性に従うなら人間の本性は一致するということを示しているのであって,人間の本性が一致するのは人間が理性に従う場合のみであるということを示しているわけではありません。したがって,理性によって認識することのうちには,自明とみなすことができる事柄があり得るという結論は得ることが可能ですが,自明であるとみなし得る事柄は,理性による認識のうちにだけあるという結論を得ることは必ずしもできません。
第二に,理性による認識のうちには,自明である事柄が含まれ得るという結論はここから導き出せますが,このことは,理性による認識のすべてが自明であるという意味ではありません。自明とみなし得るような事柄は本性が一致するといわれる認識のうちにしかあることはできず,理性による認識はその本性が一致するといわれる認識であるということは確かです。しかし,本性が一致する認識のすべてが自明であるとみなせる認識であるという結論を得ているわけではありません。したがって理性による認識のすべてを自明であるとみなすこともできないのです。
では理性による認識のうち,どのような認識を自明とみなせるのかということが次の課題として出てきますが,その前に考えておきたいことがあります。
先手の里見香奈女流名人は3手目に▲2六歩と突いて居飛車。上田初美女王の得意とする四間飛車穴熊に銀冠で対抗。先手が積極的に戦いにいく将棋に。中盤戦で差がついた将棋だったようです。
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後手が戦いに打って出るチャンスを逃したため,すでに指しにくくなっているそうですが,ここで△5一飛と寄って受けたのがさらに悪化を招いた一手で,結果的には敗着になってしまいました。先手は▲6四歩と伸ばし,後手は当然△5四飛。そこで▲6五桂と跳ねていきました。△7ニ金引は当然。そこで▲5六歩と打ち,角が移動した後の飛車成りを受けておいたのは渋い好手。対して△3三銀と引いたのは,先手が▲2四飛としたら飛車で取れるようにした手で,かなり辛そうですが,この局面では最善であったとのこと。しかし▲8四歩△同歩の突き捨てを入れてから▲6三歩成△同金▲3一角成で,先手は馬を作ることに成功しました。
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この馬はよく働き,先手の勝利を引き寄せることになりました。後手は最後は粘るだけのような将棋となってしまい,寄せきった先手が勝っています。
里見女流名人が3連勝で女王を奪取。これで五つ目のタイトル獲得。マイナビ女子オープンは初の出場でしたので,女王は初獲得。女流棋士の呼称に合わせ,今後は原則的に里見香奈女王・女流名人と表記することにします。
ここまで考察してくれば,次に探求するべき事柄も明らかになります。すなわち,認識内容の不一致が,認識する精神の本性の不一致に帰せられるのであるなら,各個人の間で,また同一の人間の異なった時間において,精神の本性が一致するといえる場合というのが,どういう場合であるのかということです。少なくとも自明であると断言できるような認識作用というのは,そうした場合の作用のうちにしかあることができないからです。
それを示しているのが第四部定理三五であるといえます。すなわち人間は理性に従って事物を認識する限り,本性の上で一致します。いい換えるなら,人間の精神が理性によってある事物を認識する限り,その認識される内容は,必然的に一致することになるでしょう。
ただし,ここでは気を付けておかなければならないことがふたつあります。まず第一に,この定理というのは,理性に従うなら人間の本性は一致するということを示しているのであって,人間の本性が一致するのは人間が理性に従う場合のみであるということを示しているわけではありません。したがって,理性によって認識することのうちには,自明とみなすことができる事柄があり得るという結論は得ることが可能ですが,自明であるとみなし得る事柄は,理性による認識のうちにだけあるという結論を得ることは必ずしもできません。
第二に,理性による認識のうちには,自明である事柄が含まれ得るという結論はここから導き出せますが,このことは,理性による認識のすべてが自明であるという意味ではありません。自明とみなし得るような事柄は本性が一致するといわれる認識のうちにしかあることはできず,理性による認識はその本性が一致するといわれる認識であるということは確かです。しかし,本性が一致する認識のすべてが自明であるとみなせる認識であるという結論を得ているわけではありません。したがって理性による認識のすべてを自明であるとみなすこともできないのです。
では理性による認識のうち,どのような認識を自明とみなせるのかということが次の課題として出てきますが,その前に考えておきたいことがあります。