『ある哲学者の人生』を紹介したおり,英文の直訳というのが選択されているがために,日本語として読解の困難な文章が,僕にとっては頻出したということを書きました。ここでは仮に,そうした文章のことを悪文といっておくことにします。しかしこれは必ずしも悪い意味ではないのです。むしろ僕は,悪文には悪文の効能とでもいうべきものが含まれると思っているくらいです。
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僕は読書というのは,ただ単に本を読むということだとは少しも思っていません。紙の上に印刷されたインクによる記号を目で追う作業は,読むということではあるでしょうが,読書とはいえないと思っています。読書というのはただ文字を目で追うことなのではなくて,それについて考え,また理解したり疑問を抱いたりすることを伴っていなければならないと思っています。逆にいえばそうした作業を必要としないような書物は,読書をするには値しないような書物であるといえるでしょう。
この考えるという作業に対して,悪文というのは実に効果的なのです。一読しただけでは何を意味しているのか判然としないような文章というのは,そもそも文章の意味を理解するというだけのために考えるという作業を必要とします。つまり悪文というのは,読者に対して考えるという作業を強要するような文章であるといえるのです。おそらくこのことのために,わざわざ筆者や訳者が悪文を用いる場合があるだろうと僕は信じています。また,僕自身が,意図的にそういう文章表現を用いる場合があります。
すらすらと読み進めていけるということは,悪いことではありません。しかしそうであるがゆえに考えるという営みが疎かになってしまうのであれば,元も子もありません。悪文である限り,そのような事態は回避することができます。だから僕は悪文というのも一概に悪いものではないと思っているのです。
中央検査室で採血を行う技師の数は,最大の場合で4人です。物理的に採血をする場所が4ヶ所しかありませんから,これ以上の人数の技師がいても無意味です。ただ,その4ヶ所のすべてに技師が待機している,つまり4人の患者が同時に採血している場合というのはあまり多くありません。もちろんそういうときもあるにはありましたが,頻度でいうならば,3人の技師で採血を行っているというケースが最も多かったと思います。また,過去にはふたりだけという場合もありました。ただ,この日のようにひとりしかいなかったというのは初めて。そしてこういうケースはこれ以降にも経験していませんから,今までのところはこの日だけであったということになります。ただし,この日は採血を待っている患者の数も,僕の前にはひとりだけでしたので,ひどく待たなければならなくなったというわけではありませんでした。
この日は診察の予約が午後2時半。これですと時間的な余裕がありますので,院内の食堂ではなく,外食のために小港まで出ました。食事を終えてまたみなと赤十字病院に戻ったのが予約時間の近く。そしてこの日はほとんど待たず,ほぼ予約の時間に診察が開始されました。
この日のHbA1Cは7.2%でした。上限が6.2%ですから異常ではありますが,これはなかなか正常にはなりません。むしろ前回,2月18日の通院のときには7.8%まで上昇していましたから,いくらかの改善があったということになります。
この日はオーダーの項目がここ最近にしては少なかったのですが,もうひとつの異常値がありました。それはCKという項目。CKというのはクレアチンキナーゼないしはクレアチンキネーゼの略。U/Lという,1リットル中の国際単位で示した数値が結果として出ます。この上限が197のところ,検査結果では200でした。大したオーバーではありませんから,その点では問題ないとはいえます。ただ,この値というのは,筋肉の量に比例して大きくなる傾向があるようです。僕はそんなに筋肉はありませんから,むしろ小さい数値が出るべきであるとはいえますので,通常の場合と比べれば,僅かなオーバーでも異常性は高いといえるかもしれません。
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僕は読書というのは,ただ単に本を読むということだとは少しも思っていません。紙の上に印刷されたインクによる記号を目で追う作業は,読むということではあるでしょうが,読書とはいえないと思っています。読書というのはただ文字を目で追うことなのではなくて,それについて考え,また理解したり疑問を抱いたりすることを伴っていなければならないと思っています。逆にいえばそうした作業を必要としないような書物は,読書をするには値しないような書物であるといえるでしょう。
この考えるという作業に対して,悪文というのは実に効果的なのです。一読しただけでは何を意味しているのか判然としないような文章というのは,そもそも文章の意味を理解するというだけのために考えるという作業を必要とします。つまり悪文というのは,読者に対して考えるという作業を強要するような文章であるといえるのです。おそらくこのことのために,わざわざ筆者や訳者が悪文を用いる場合があるだろうと僕は信じています。また,僕自身が,意図的にそういう文章表現を用いる場合があります。
すらすらと読み進めていけるということは,悪いことではありません。しかしそうであるがゆえに考えるという営みが疎かになってしまうのであれば,元も子もありません。悪文である限り,そのような事態は回避することができます。だから僕は悪文というのも一概に悪いものではないと思っているのです。
中央検査室で採血を行う技師の数は,最大の場合で4人です。物理的に採血をする場所が4ヶ所しかありませんから,これ以上の人数の技師がいても無意味です。ただ,その4ヶ所のすべてに技師が待機している,つまり4人の患者が同時に採血している場合というのはあまり多くありません。もちろんそういうときもあるにはありましたが,頻度でいうならば,3人の技師で採血を行っているというケースが最も多かったと思います。また,過去にはふたりだけという場合もありました。ただ,この日のようにひとりしかいなかったというのは初めて。そしてこういうケースはこれ以降にも経験していませんから,今までのところはこの日だけであったということになります。ただし,この日は採血を待っている患者の数も,僕の前にはひとりだけでしたので,ひどく待たなければならなくなったというわけではありませんでした。
この日は診察の予約が午後2時半。これですと時間的な余裕がありますので,院内の食堂ではなく,外食のために小港まで出ました。食事を終えてまたみなと赤十字病院に戻ったのが予約時間の近く。そしてこの日はほとんど待たず,ほぼ予約の時間に診察が開始されました。
この日のHbA1Cは7.2%でした。上限が6.2%ですから異常ではありますが,これはなかなか正常にはなりません。むしろ前回,2月18日の通院のときには7.8%まで上昇していましたから,いくらかの改善があったということになります。
この日はオーダーの項目がここ最近にしては少なかったのですが,もうひとつの異常値がありました。それはCKという項目。CKというのはクレアチンキナーゼないしはクレアチンキネーゼの略。U/Lという,1リットル中の国際単位で示した数値が結果として出ます。この上限が197のところ,検査結果では200でした。大したオーバーではありませんから,その点では問題ないとはいえます。ただ,この値というのは,筋肉の量に比例して大きくなる傾向があるようです。僕はそんなに筋肉はありませんから,むしろ小さい数値が出るべきであるとはいえますので,通常の場合と比べれば,僅かなオーバーでも異常性は高いといえるかもしれません。