ムイシュキン公爵が白痴に戻る契機となったロゴージンによるナスターシャ殺しの告白。この告白の内容は意味ありげに描写されています。
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ロゴージンが使ったのは鍵の掛かった引き出しにしまっておいたナイフ。犯行は午前3時頃。そのナイフをナスターシャの左胸の下部に突き刺しました。ナイフは7センチから9センチくらいの深さに達しましたが,出血はほとんどなく,小匙に半分くらいでした。
これがロゴージンがムイシュキンに語った内容の概要。この後でムイシュキンが出血が少なかったことの解説を,医学的見地からするという,考えてみれば不思議な受け答えのシーンがあります。
ナイフというのが,男性器のアナロジーになるのはごく一般的でしょう。するとこの告白は,ナスターシャとの間で肉体関係が発生したという意味に受け取れることになります。そしてそのときに小匙半分ほどの出血があったというのは,ナスターシャは処女であったということの象徴だと理解するべきでしょう。
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この部分の描写をこう読解するのは,僕には自然なことであるように思えます。というよりもこういうイメージが発生しない方がむしろ不思議だと思えるくらいです。たとえば亀山郁夫は『ドストエフスキー 謎とちから』において,この部分にこのような象徴性を読み込んでいます。亀山の読解はさらに別の方向に進んでいきますが,それに関しては本をお読みください。
でも,ナスターシャはトーツキイという実業家に囲われていたのです。なのに処女性を象徴するような描写がされているということが,僕には不思議でなりませんでした。
母にとって従兄感覚であったというのですから,それは叔父にとっても同じようなものであったといえるでしょう。母の入院中には見舞いに来てくれたわけですし,祖母の納骨のときにも来ています。そうした関係ですから,亡くなったと知ってそのまま放置するわけにはいきません。遅ればせながらといわざるを得ませんが,この日の訪問になったわけです。
ゴールデンウィークが明けて8日の水曜日。この日は妹の指定歯科であるみなと赤十字病院への通院がありました。相変らず妹は歯の痛みは感じているようなのですが,とくに重大視しなければならないような状況でもありません。この時点では心配する必要はないということで,この日もクリーニングを施しただけでした。僕はこの日は羽田の整備場でした。
その2日後,10日の金曜日は今度は母がI歯科に。この日も歯石の除去だけをしたようです。先月の19日に施したばかりですから,おかしな話だと思われるかもしれませんが,おそらく上の歯と下の歯で,別々に行ったからだと思います。といいますのも実は母は歯科医に行ったということが20年ぶりだったのです。つまりそれだけの期間の歯石が残っていたということになりますから,治療時間の関係もあり,上下を両方とも一度でクリーニングするということが不可能だったのでしょう。年齢からすれば総入れ歯であってもおかしくはないわけで,20年も歯医者に行く必要がなかったということ自体がすごいことだとはいえると思います。僕はこの日は神奈川区の反町でした。
翌11日の土曜日に,磯子中央病院で妹の健康診断がありました。2月に面接をした港南区内の施設を利用してのショートステイがこの月に予定されていまして,その準備のひとつでした。予約時間が午前10時。検査は採血と採尿だけで済ませられるもの。ただし朝食は抜かなければなりませんでしたので,検査の後で食事をしてから帰ってきました。みなと赤十字病院は院内に食堂がありますが,磯子中央病院にはありません。ですから近くの店で食べてきたものと思います。帰ってきたのが午後1時頃でしたから,検査自体はそんなに大変ではなかった筈です。
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ロゴージンが使ったのは鍵の掛かった引き出しにしまっておいたナイフ。犯行は午前3時頃。そのナイフをナスターシャの左胸の下部に突き刺しました。ナイフは7センチから9センチくらいの深さに達しましたが,出血はほとんどなく,小匙に半分くらいでした。
これがロゴージンがムイシュキンに語った内容の概要。この後でムイシュキンが出血が少なかったことの解説を,医学的見地からするという,考えてみれば不思議な受け答えのシーンがあります。
ナイフというのが,男性器のアナロジーになるのはごく一般的でしょう。するとこの告白は,ナスターシャとの間で肉体関係が発生したという意味に受け取れることになります。そしてそのときに小匙半分ほどの出血があったというのは,ナスターシャは処女であったということの象徴だと理解するべきでしょう。
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この部分の描写をこう読解するのは,僕には自然なことであるように思えます。というよりもこういうイメージが発生しない方がむしろ不思議だと思えるくらいです。たとえば亀山郁夫は『ドストエフスキー 謎とちから』において,この部分にこのような象徴性を読み込んでいます。亀山の読解はさらに別の方向に進んでいきますが,それに関しては本をお読みください。
でも,ナスターシャはトーツキイという実業家に囲われていたのです。なのに処女性を象徴するような描写がされているということが,僕には不思議でなりませんでした。
母にとって従兄感覚であったというのですから,それは叔父にとっても同じようなものであったといえるでしょう。母の入院中には見舞いに来てくれたわけですし,祖母の納骨のときにも来ています。そうした関係ですから,亡くなったと知ってそのまま放置するわけにはいきません。遅ればせながらといわざるを得ませんが,この日の訪問になったわけです。
ゴールデンウィークが明けて8日の水曜日。この日は妹の指定歯科であるみなと赤十字病院への通院がありました。相変らず妹は歯の痛みは感じているようなのですが,とくに重大視しなければならないような状況でもありません。この時点では心配する必要はないということで,この日もクリーニングを施しただけでした。僕はこの日は羽田の整備場でした。
その2日後,10日の金曜日は今度は母がI歯科に。この日も歯石の除去だけをしたようです。先月の19日に施したばかりですから,おかしな話だと思われるかもしれませんが,おそらく上の歯と下の歯で,別々に行ったからだと思います。といいますのも実は母は歯科医に行ったということが20年ぶりだったのです。つまりそれだけの期間の歯石が残っていたということになりますから,治療時間の関係もあり,上下を両方とも一度でクリーニングするということが不可能だったのでしょう。年齢からすれば総入れ歯であってもおかしくはないわけで,20年も歯医者に行く必要がなかったということ自体がすごいことだとはいえると思います。僕はこの日は神奈川区の反町でした。
翌11日の土曜日に,磯子中央病院で妹の健康診断がありました。2月に面接をした港南区内の施設を利用してのショートステイがこの月に予定されていまして,その準備のひとつでした。予約時間が午前10時。検査は採血と採尿だけで済ませられるもの。ただし朝食は抜かなければなりませんでしたので,検査の後で食事をしてから帰ってきました。みなと赤十字病院は院内に食堂がありますが,磯子中央病院にはありません。ですから近くの店で食べてきたものと思います。帰ってきたのが午後1時頃でしたから,検査自体はそんなに大変ではなかった筈です。