昨日の第7期マイナビ女子オープン挑戦者決定戦。対戦成績は清水市代女流六段が2勝,加藤桃子奨励会1級が3勝。
振駒で清水六段の先手となり加藤1級の一手損角換り4からの向飛車。先手が銀冠,後手が美濃から変則的な囲いに移行する持久戦に。本格的な戦いが開始されてすぐに決定的な差がつきました。
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後手が角を打ち込んだ局面。取られそうなので思い切った手という印象です。対して▲4八飛と受けたのですが,これが敗着に近いくらいの疑問手でした。△2五歩に▲6八金引とし,△7八角成▲同金で角は入手できたものの△2六歩と取り込まれ,▲6五歩に△2七歩成で2筋を突破されました。▲6八飛とこちらに戦力を集中させたものの△3八とと入られ,▲6四歩△同銀左▲4六角のときに△2九飛成。下段が開いているので▲6九歩と受けることに。
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先手は▲6五歩と打っていくのが狙いの攻め筋ですが,底歩を打ってしまってそれが不可能に。攻め合いがはっきり一手だけ間に合っていなかったという展開だったといえそうです。
加藤1級が挑戦者に。五番勝負の第一局は26日です。
延長の属性の直接無限様態である運動と静止が物体に対して「先立つ」からといって,各々の物体が運動したり静止したりすることはないということではありません。これは極論であり,それ自体でみる限り,曲解です。岩波文庫版110ページの第二部自然学①公理一は,明らかに物体が運動することそして静止することを認めなければ成立しないからです。
ただし,この公理でいわれている運動と静止は,延長の属性の直接無限様態である運動と静止とは,意味の上で相違があると理解することは可能です。第二部定義一は,物体が延長の属性を一定の仕方で表現するといっています。逆にみれば,あるものがあって,そのものが延長の属性を一定の仕方で表現しないとすれば,それは物体ではないということです。このとき,この表現の内実として示されているのが,この公理における運動と静止であると理解することは可能です。そしてこのように理解する限りでは,この場合の運動と静止は,延長の属性の直接無限様態として示されている運動と静止とは,懸隔があるといえないこともありません。どちらの理解も可能であるとは思いますが,いずれにしても,運動と静止が物体に対して先立つということは,スピノザの哲学,とりわけ自然学の理解として欠かせないところです。
僕が,スピノザの自然学のうちには,一般的な常識を覆しているところがあるかもしれないといったのは,この部分のことなのです。普通は,物体があって,それが運動をしたり静止をしたりすると理解するのではないでしょうか。他面からいえば,現実的に運動したり静止したりする物体が存在しなければ,運動も静止もあることも考えることもできないと理解されているのではないでしょうか。ところがスピノザの哲学ではこの秩序が転覆されています。運動と静止が先立つものとして必然的に存在することによって,物体はあることも考えることも可能なものであるという構造になっているのです。
これは非常に重要なことだと僕には思えるのですが,『エチカ』ではこの点に関して何も言及されていないに等しいのです。
振駒で清水六段の先手となり加藤1級の一手損角換り4からの向飛車。先手が銀冠,後手が美濃から変則的な囲いに移行する持久戦に。本格的な戦いが開始されてすぐに決定的な差がつきました。
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後手が角を打ち込んだ局面。取られそうなので思い切った手という印象です。対して▲4八飛と受けたのですが,これが敗着に近いくらいの疑問手でした。△2五歩に▲6八金引とし,△7八角成▲同金で角は入手できたものの△2六歩と取り込まれ,▲6五歩に△2七歩成で2筋を突破されました。▲6八飛とこちらに戦力を集中させたものの△3八とと入られ,▲6四歩△同銀左▲4六角のときに△2九飛成。下段が開いているので▲6九歩と受けることに。
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先手は▲6五歩と打っていくのが狙いの攻め筋ですが,底歩を打ってしまってそれが不可能に。攻め合いがはっきり一手だけ間に合っていなかったという展開だったといえそうです。
加藤1級が挑戦者に。五番勝負の第一局は26日です。
延長の属性の直接無限様態である運動と静止が物体に対して「先立つ」からといって,各々の物体が運動したり静止したりすることはないということではありません。これは極論であり,それ自体でみる限り,曲解です。岩波文庫版110ページの第二部自然学①公理一は,明らかに物体が運動することそして静止することを認めなければ成立しないからです。
ただし,この公理でいわれている運動と静止は,延長の属性の直接無限様態である運動と静止とは,意味の上で相違があると理解することは可能です。第二部定義一は,物体が延長の属性を一定の仕方で表現するといっています。逆にみれば,あるものがあって,そのものが延長の属性を一定の仕方で表現しないとすれば,それは物体ではないということです。このとき,この表現の内実として示されているのが,この公理における運動と静止であると理解することは可能です。そしてこのように理解する限りでは,この場合の運動と静止は,延長の属性の直接無限様態として示されている運動と静止とは,懸隔があるといえないこともありません。どちらの理解も可能であるとは思いますが,いずれにしても,運動と静止が物体に対して先立つということは,スピノザの哲学,とりわけ自然学の理解として欠かせないところです。
僕が,スピノザの自然学のうちには,一般的な常識を覆しているところがあるかもしれないといったのは,この部分のことなのです。普通は,物体があって,それが運動をしたり静止をしたりすると理解するのではないでしょうか。他面からいえば,現実的に運動したり静止したりする物体が存在しなければ,運動も静止もあることも考えることもできないと理解されているのではないでしょうか。ところがスピノザの哲学ではこの秩序が転覆されています。運動と静止が先立つものとして必然的に存在することによって,物体はあることも考えることも可能なものであるという構造になっているのです。
これは非常に重要なことだと僕には思えるのですが,『エチカ』ではこの点に関して何も言及されていないに等しいのです。