スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋聖戦&本性の認識

2014-06-03 19:20:55 | 将棋
 淡路島で指された昨日の第85期棋聖戦五番勝負第一局。対戦成績は羽生善治棋聖が70勝,森内俊之竜王が57勝。千日手が7局あります。
 振駒で森内竜王の先手。羽生棋聖の横歩取りに。中盤で先手が後手玉頭から駒損の猛攻をかける展開になりました。
                         
 後手が7筋で味付けをしてから2二の銀を引いた局面。ここで▲3五金と打ちました。これは飛車を取る狙いですが,打った金が働く展開はやや考えにくく,思い切った手という印象。後手は△5五歩と突きました。▲1五歩△6四飛▲5五銀となって先手は飛車の捕獲に成功。△6五桂は攻めを見せつつ玉の逃げ道を作ることにもなっている一石二鳥の手。先手は▲5四歩△6二王▲6四銀の手順で飛車を取り,△同歩に▲5三歩成△7三王としてから▲8一飛と打ちました。
                         
 やはり金は遊んでしまいましたが,だからといって先手が著しく形勢を損ねたかといえばそうでもないように思います。後手は△8八角と打ちました。
 金は見捨てて早逃げする手もあったかと思いますが,金取りなので▲8六金と逃げるのは普通の手。というよりこれは後手玉の上部脱出阻止に役立ちそうなので,自然な手ともいえそうです。ここから△5七銀▲7八玉△5八銀不成▲同銀△7七歩▲6八玉と進みました。先手の指し手はすべて必然手であるように思われます。そして△8二歩。
                         
 ▲9一飛成が第一感ですが,後手が△5七角から馬を5七にもってきて▲9三龍を防ぐ手順が生じるので,そう指すと先手が負けとのこと。ということでここで▲5九玉と逃げることになりましたが,△7九角成▲4八玉に△4六馬も絶好で,後手の勝ち。つまり第2図で▲8六金と逃げてからは後手が勝ちの局面であったようです。
 羽生棋聖が先勝。第二局は21日です。

 有限である事物,とりわけその本性のうちに持続性を含むと考えられる個物res singularisの認識のうちに,永遠性が含まれ得ることの論理的可能性を示す根拠は,『エチカ』にはふたつほどあると思われます。
 ひとつが第一部定義八説明。このテクストは,永遠性と無限定な持続の峻別がひとつの主眼にはなっていますが,同時に事物の本性の永遠性を示唆する内容になっています。この事物とは当然ながらあらゆる事物です。もし,ある種の事物の本性は永遠の真理ではないとしたならば,このテクストは成立し得ないからです。したがって,無限であろうと有限であろうと,その事物の本性に着目する限り,それは一定の持続や無限定な持続のうちの真理であるのではなく,永遠の真理であるということになります。
 事物を真に認識するということのうちには,その事物の本性を真に認識するということが含まれます。いい換えるなら,観念対象ideatumとなっているものが無限なものであろうと有限なものであろうと,それを真に認識することのうちには,すでにある永遠の真理の認識が含まれているということになります。理性の認識が真の認識であることに注目すれば,これは第二部定理四四系二に合致しますから,このような解釈が誤りであるようには思えません。
 res singularisの本性のうちに持続性が含まれているとして,そのこと自体が永遠の真理なのだと解することは,不可能ではありません。命題として置き直せば,res singularisは持続するものであるというのは真の命題,永遠から永遠にわたっての真の命題であると主張して,何らかの誤謬が含まれているとはいえないからです。
 実際に問題となるのは,res singularis一般ではなく,具体的なres singularisの場合です。ただどんな具体的なres singularisであれ,それが存在するなら,第二部定義二の意味により,そのres singularisの存在を定立するような本性も存在します。そしてその本性の認識が永遠の真理の認識になると考えられるでしょう。
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