船中の日記について書いたときに触れましたが,漱石には日記をつけている期間というのが断続的にありました。それらはすべて全集に収録されているとのこと。ただ,僕は全集は所有していません。日記を読むためだけに所有する気はないので,おそらく入手することはないと思います。僕が使用した『漱石日記』は,岩波文庫版で,その一部が収録されているものです。
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編者である平岡敏夫によれば,漱石の日記として残っているものは,期間別に12に分類できるとのこと。
①1900年9月から1901年11月までで,これは留学日記。僕が抜粋したのはこの部分。
②1907年の3月と4月に京都を旅行したおりの日記で,これは漱石が朝日新聞社に入社した頃のもの。
③1909年3月から8月まで。これは『それから』が書かれていた頃。
④同年9月と10月。これは満州,朝鮮の旅行記。
⑤1910年6月と7月。これは都内の胃腸病院に入院中のもの。
⑥同年8月から1911年1月まで。退院後に修善寺で療養中のもの。いわゆる大患を挟む日記です。
⑦1911年5月から12月。これは『彼岸過迄』の材料。ただし中途に3ヶ月の中断があるようです。
⑧1912年5月から10月。明治から大正への移行を挟みます。
⑨1914年10月から12月。これは家庭問題が中心で,漱石自身の心情が綴られています。
⑩1915年3月と4月。これは京都への旅行記。
⑪同年11月。こちらは熱海と箱根への旅行記。
⑫1916年。これは断続的なもの。糖尿病の治療記録のような内容です。
文庫版では①③④⑥⑧⑨⑫が収録されています。ただし③の前半部,④の終末部,⑧の5月末の部分は省略されています。これらのカットはすべて紙数の関係によるものです。
1916年7月27日が⑫の最後。つまり漱石が書いた最後の日記。漱石が死んだのはこの年の12月9日のことでした。
スピノザの哲学における無限と有限の関係は,どのように把握されるべきであるのかということについて,かつてテーマとして設定し,詳しい分析を試みたことがありました。これが無限の一義性の僕の把握の仕方と大いに関係してきます。そこでまず,どういう観点からそのことを問題として設定し,その問題はどのように解決されたのかということを,おさらいしておくことにします。
スピノザの哲学では,限定と否定の間に,何らかの相関関係があると推測されます。これは第一部定義六説明のテクストに依拠した解釈です。そこでは,神が絶対に無限と定義されなければならない理由について,それは神の本性には,一切の否定を含まないあらゆるものが属さなければならないからであるという主旨のことが表明されています。すなわち,絶対に無限であるということと,一切の否定が含まれないということが等置されています。このことから,限定と否定の間に,相関関係があるということだけは明白です。なぜなら,あるものが絶対に無限であるなら,他のものから限定されるということはあり得ない筈で,これが一切の否定を含まないということに等置されているのだからです。
そこでこの相関関係を,最も素朴なものとして理解してみましょう。つまりAがBではないという否定と,AがBに限定されるということを,何の前提なしに等置してしまうのです。いい換えれば,一般的命題として,AがBではないという言明が真の命題であるならば,AはBによって限定される,他面からいうならBはAを限定するとみなすのです。
このように理解した場合に,設定されるべき問題というのが生じます。無限であるものは有限なものではないという命題は,真の命題らしく思われます。しかし上述の仮定からすれば,これが真の命題であるなら,無限であるものが有限なものによって限定されるということを認める必要が出てきます。しかしこんなことをいうのは不条理であるに決まっているようにも思えます。この矛盾をどのように解決するべきであるのかということが,当時のテーマの中心を構成していました。
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編者である平岡敏夫によれば,漱石の日記として残っているものは,期間別に12に分類できるとのこと。
①1900年9月から1901年11月までで,これは留学日記。僕が抜粋したのはこの部分。
②1907年の3月と4月に京都を旅行したおりの日記で,これは漱石が朝日新聞社に入社した頃のもの。
③1909年3月から8月まで。これは『それから』が書かれていた頃。
④同年9月と10月。これは満州,朝鮮の旅行記。
⑤1910年6月と7月。これは都内の胃腸病院に入院中のもの。
⑥同年8月から1911年1月まで。退院後に修善寺で療養中のもの。いわゆる大患を挟む日記です。
⑦1911年5月から12月。これは『彼岸過迄』の材料。ただし中途に3ヶ月の中断があるようです。
⑧1912年5月から10月。明治から大正への移行を挟みます。
⑨1914年10月から12月。これは家庭問題が中心で,漱石自身の心情が綴られています。
⑩1915年3月と4月。これは京都への旅行記。
⑪同年11月。こちらは熱海と箱根への旅行記。
⑫1916年。これは断続的なもの。糖尿病の治療記録のような内容です。
文庫版では①③④⑥⑧⑨⑫が収録されています。ただし③の前半部,④の終末部,⑧の5月末の部分は省略されています。これらのカットはすべて紙数の関係によるものです。
1916年7月27日が⑫の最後。つまり漱石が書いた最後の日記。漱石が死んだのはこの年の12月9日のことでした。
スピノザの哲学における無限と有限の関係は,どのように把握されるべきであるのかということについて,かつてテーマとして設定し,詳しい分析を試みたことがありました。これが無限の一義性の僕の把握の仕方と大いに関係してきます。そこでまず,どういう観点からそのことを問題として設定し,その問題はどのように解決されたのかということを,おさらいしておくことにします。
スピノザの哲学では,限定と否定の間に,何らかの相関関係があると推測されます。これは第一部定義六説明のテクストに依拠した解釈です。そこでは,神が絶対に無限と定義されなければならない理由について,それは神の本性には,一切の否定を含まないあらゆるものが属さなければならないからであるという主旨のことが表明されています。すなわち,絶対に無限であるということと,一切の否定が含まれないということが等置されています。このことから,限定と否定の間に,相関関係があるということだけは明白です。なぜなら,あるものが絶対に無限であるなら,他のものから限定されるということはあり得ない筈で,これが一切の否定を含まないということに等置されているのだからです。
そこでこの相関関係を,最も素朴なものとして理解してみましょう。つまりAがBではないという否定と,AがBに限定されるということを,何の前提なしに等置してしまうのです。いい換えれば,一般的命題として,AがBではないという言明が真の命題であるならば,AはBによって限定される,他面からいうならBはAを限定するとみなすのです。
このように理解した場合に,設定されるべき問題というのが生じます。無限であるものは有限なものではないという命題は,真の命題らしく思われます。しかし上述の仮定からすれば,これが真の命題であるなら,無限であるものが有限なものによって限定されるということを認める必要が出てきます。しかしこんなことをいうのは不条理であるに決まっているようにも思えます。この矛盾をどのように解決するべきであるのかということが,当時のテーマの中心を構成していました。