⑦-3の第2図から先手が飛車を取った後は攻め合いに。後手が逃げ切れるか否かの局面になりました。
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先手玉に分かりやすい詰めろが掛かった局面。さしあたっては後手玉が詰むかどうか。追っていく手は▲1三飛しかなく,△2四王▲2二龍△3五王▲3九香まで,ほぼ一本道の展開といえそうです。
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こういう王手には△3七歩と中合いし,▲同香△2六王と交わすのが手筋。ただここでそれは反則なので,△3七銀と放り込みました。
これには▲4六銀がまず浮かぶ手で,当時の解説者だった島朗現九段は,それで後手玉は詰んでいたと言っていました。しかし先手は▲3七同香と取り,△2六王に▲2五龍。△同王▲3六銀△2六王▲2三龍△3七王▲2七龍△4八王と進めました。
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結論からいうと第3図の後手玉に詰みはないようです。解説者が正しいなら,銀を取った手は疑問手だったといえるでしょう。しかしだから先手が負けになったというわけでもなく,まだ戦いが続くのです。
無限であるものは有限ではないというテーゼは真の命題でなければなりません。しかし無限であるものが有限であるものによって限定されてはなりません。このことを前提として,『エチカ』で運用されている限定と否定の関係を参照すれば,解決法はひとつしかないといえます。すなわちそれは,有限であるものは無限ではないというテーゼを,偽の命題であるとみなすことです。なお,持続が永遠の特殊な形態であるという理解の根拠は,これから説明することと同様の訴訟過程で説明されます。テーゼとして置き直せば,僕は永遠であるものは持続しないという命題は真であり,持続するものは永遠ではないという命題は偽であると考えているというように理解してもらって構いません。おそらくこれ以上は永遠性と持続性を直接的に射程に入れることはないと思いますが,無限と有限の関係はそれとパラレルであると解釈してください。
有限であるものは無限ではないというテーゼが偽であるとは,有限であるものは無限であるというテーゼが真であると主張するのと同じことです。そして一般的に考えるならば,これが不条理であるということは当然です。ただ,限定と否定の関係は,むしろこの不条理が成立する蓋然性が高いということを示しています。なぜなら,この不条理が成立するならば,無限と有限との間には,無限であるものが有限であるものを限定し,有限であるものは無限であるものによって限定されるという,一方的な関係だけあるということになるからです。そしてこのような関係こそ,無限であるものと有限であるものとの間に存在するべき正しい関係であると考えられるからです。
確かに一般的には有限であるものは無限であるという命題が真であると考えることはできません。このことは単に名目的に考えるだけで結論できます。すなわち無限であるとか有限であるということがどういった事柄であるのかということをとくに考えなくても,有限であるものはそれが無限ではないから有限といわれているのであり,これだけで有限は無限ではないということが真でなければならないということが帰結するからです。逆にいうなら,もしも一般的にこれを考えようとするなら,解決法として導出させたい事柄を帰結させることは不可能であるということになります。
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先手玉に分かりやすい詰めろが掛かった局面。さしあたっては後手玉が詰むかどうか。追っていく手は▲1三飛しかなく,△2四王▲2二龍△3五王▲3九香まで,ほぼ一本道の展開といえそうです。
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こういう王手には△3七歩と中合いし,▲同香△2六王と交わすのが手筋。ただここでそれは反則なので,△3七銀と放り込みました。
これには▲4六銀がまず浮かぶ手で,当時の解説者だった島朗現九段は,それで後手玉は詰んでいたと言っていました。しかし先手は▲3七同香と取り,△2六王に▲2五龍。△同王▲3六銀△2六王▲2三龍△3七王▲2七龍△4八王と進めました。
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結論からいうと第3図の後手玉に詰みはないようです。解説者が正しいなら,銀を取った手は疑問手だったといえるでしょう。しかしだから先手が負けになったというわけでもなく,まだ戦いが続くのです。
無限であるものは有限ではないというテーゼは真の命題でなければなりません。しかし無限であるものが有限であるものによって限定されてはなりません。このことを前提として,『エチカ』で運用されている限定と否定の関係を参照すれば,解決法はひとつしかないといえます。すなわちそれは,有限であるものは無限ではないというテーゼを,偽の命題であるとみなすことです。なお,持続が永遠の特殊な形態であるという理解の根拠は,これから説明することと同様の訴訟過程で説明されます。テーゼとして置き直せば,僕は永遠であるものは持続しないという命題は真であり,持続するものは永遠ではないという命題は偽であると考えているというように理解してもらって構いません。おそらくこれ以上は永遠性と持続性を直接的に射程に入れることはないと思いますが,無限と有限の関係はそれとパラレルであると解釈してください。
有限であるものは無限ではないというテーゼが偽であるとは,有限であるものは無限であるというテーゼが真であると主張するのと同じことです。そして一般的に考えるならば,これが不条理であるということは当然です。ただ,限定と否定の関係は,むしろこの不条理が成立する蓋然性が高いということを示しています。なぜなら,この不条理が成立するならば,無限と有限との間には,無限であるものが有限であるものを限定し,有限であるものは無限であるものによって限定されるという,一方的な関係だけあるということになるからです。そしてこのような関係こそ,無限であるものと有限であるものとの間に存在するべき正しい関係であると考えられるからです。
確かに一般的には有限であるものは無限であるという命題が真であると考えることはできません。このことは単に名目的に考えるだけで結論できます。すなわち無限であるとか有限であるということがどういった事柄であるのかということをとくに考えなくても,有限であるものはそれが無限ではないから有限といわれているのであり,これだけで有限は無限ではないということが真でなければならないということが帰結するからです。逆にいうなら,もしも一般的にこれを考えようとするなら,解決法として導出させたい事柄を帰結させることは不可能であるということになります。